少女はスカートのしたで鯨を游がせる。 第6話

驚くべきことに、先生の言ったとおりになった。 いや本当に驚きすぎて夢かと思ったぐらい。 なんと、銀子が、彼氏と別れたらしい。今まで彼氏が絶えたことのない、彼女がだ。 事の発端は珍しく朝、銀子と廊下で出会ったときのことだ。まず銀子が遅刻してこなかったことが不思議なのだが、それはまあ置いといて。今朝の彼女は少し怒っていた。 どうしたのかと思い、たずねた。 「私はトシ子ともっと遊びたいのに……邪魔されるから」 それはまるで友達に向ける怒りだった。 私は胸が熱くなった。 「ぎ、銀子は……私と遊びたいの、か?」 「はあ?? 当ったり前ぢゃん! 私にとってさいゆーせんはトシ子だし」 「~~っそ、そうか」 何を変なことを聞くんだとばかりに銀子に眉を寄せられた。それがまた、私を喜ばせる。……どうやら本当に私は、私たちは、友達だったらしい。しかもこんなに彼女が憤慨しているということは、相当の友達なようだ。 もしかしたら、いや、厚かましい思い込みかもしれないが親友も夢じゃないかも。 天にも昇る思いどころじゃない。私はここが天国かと錯覚するほど、幸せだった。思わず笑ってしまうほどに。 「……ふふ」 「トシ子~? どーしたの」 「なんでもねえ」 顔が緩んで仕方がなかった。だってほら、私は全然気づかなかったから。思い込みじゃなくて本当にまさか、銀子の友達になれていただなんて。 私はまったく想像していなかったのだから。少しぐらい幸せに浸かっていたって良いと思えた。 (そうだ! 近藤さんや総子にも教えてやらねえと) 頭の中で文面を考えながら、うきうきとしていた。そんな私を見て銀子は不満をたれていたが、それでも私の気分が良いということが伝わったらしく、 「トシ子がたのしそーだから、良いけどさぁ~~かわりに今日一緒に帰ってよ?」 と言われた。 それは願ってもないことだった。だってそれは、私が誘おうと思っていたことだったのだから。 私は一つ返事で受け入れた。 なんて今日は素晴らしい日なんだろうか。今日を記念日にした方がいいかもしれない……そうだ、【友達記念日】とかどうだろうか? そのまますぎて言葉に出すのは阻まれるが、自分の中でとどめておくぐらいは良いだろう。せめて携帯のスケジュール帳にスタンプぐらいは貼っておこうと思い、今まで一度も使ったことのない“friend”と書かれたスタンプを貼った。 「……へへ」 それだけでなんだか、物凄く幸せだった。 もう他に何もいらないような、そんな気分になれた。 (あ、そうだ) これも全部彼女の兄、銀八先生のおかげだった。 あまりにもテンションが上がっていて忘れかけていたが、彼の功績なしにはこの現実は語れないのだ。 帰る前に銀子に言って先生の所に行かせてもらおう。いや昼休憩に行った方がいいかもしれない。銀子との時間が減るのはちょっと嫌だった。 ……でも先生と沢山話したい気もする。なんだか昨日から、胸の奥が変なのだ。頭の中をいつも占めている銀子が、寝る前になぜか先生に変わっていた。思い出すのは、昨日の夕方のときの彼だ。 『だいじょうぶ』 そう言って腰を撫でた指を思い出し、その力強さに胸が苦しくなった。私は自分の布団を抱きしめてその苦しさを逃がそうとしたが、どうにもならず、足をジタバタとさせてベッドを蹴ったのだった。 おかげで今日は少し寝不足だったが。まあ、さっきのことがあったので総じて良き日だ。というかあれ以上に良いことなんてないだろう。 (やっぱり放課後にいこう) 昼に行くと先生も忙しいだろうと思った。 五時間目は総合だった。もちろん担当は、銀八先生だ。 この学校の総合はテーマが決まっており、それに沿っているので、生徒たちも想像がしやすかった。なんでもこの学校は国の指定した【LGBTに関する意識を向上させる教育を促進する高校】らしかった。 LGBTQとは、性的マイノリティと呼ばれる人の総称で、本当は色んな人がもっとそこに含まれるらしい。 今までの授業で、どのクラスにも何人かは居るものだと習ってきた。……まあそうだろうと思う、だって私の中学がそんな感じだったから。 そしてそれは障がいではなく、人の嗜好であるとも習った。別に人が誰を好きであろうが自由だし、それを周囲がとやかく言うのは間違っていると。 ―――そう言ったのは去年の担任の桂先生だ。彼はなぜかこの授業に熱を入れていて、よく女装をしてこの授業を行っていた。 『私は桂先生じゃない、桂子だ』 となりきってくれるのでそれはもう、楽しい授業だった。 そういうこともあり、私はわりと総合という時間が好きだった。自分自身同性愛についてはあまり良い印象がないが、それもまあ、自分が絡まなければ別にどうってことなかった。 それよか銀子が心配だった。だって銀子は男にだけじゃなく、女にもモテるのだ。……あんなに魅力的な子だったら、それもまあ仕方がないのだが。 私もたしかに中学の時に何度か女の子に告白されたが、いつの間にかそれも無くなった。おそらく私のがさつさに誰もついて来れなくなったのだろう。賢明な判断だと思う。 去年一昨年と銀子と同じクラスだったため、この時間は銀子が気分が悪くならないようにと後ろから見張っていた。 しかしながら彼女も強い者で、ケロッとした表情で、 『かーえろ』 と言ってのっけていた。……そういう強さが、私を喜ばせるのだけれど。 今日は別々になって初めての総合だ。 前回は一回目だったので授業の進め方の説明と、あとは役員決めで終わってしまって、まったくもってこの学校の総合らしくなかった。 実質初めての総合は、この時間だ。 「資料配るぞー」 チャイムが鳴り生徒が挨拶を終えると、銀八先生が紙を一枚配った。サイズはA4で、そこに多くの文字が書かれていた。 何となく読む気がなくなるような羅列にげっそりとなるが、先生の授業がどんなものか気になって、私は文字を目で追っていた。 ―――気づけばクラス全員が真剣に文を読んでいた。だってそれは、物語だった。 論文でもどこかの偉い人の見解でもなく、ただただ誰かの体験のように綴られた、物語。サラサラと読めて、そして、目が釘付けになるような話だったのだから。 【私は彼女を一目見たときから欲求が抑えられなかった。できればその細い首に多くの痕を残し、私のものだって証拠を残したかった。抱きしめたかった。キスをしたかった。しかし彼女は私のことをただのクラスメートとして見てくれなかった。それはそうだろうと思う。だって女の子同士はおかしい】 まるで私と同じことを考えているような子だと思った。これは共感できるかもしれない、そんなことすら考えていた。 でも、話はエスカレートする。 【私が初めてセックスをしたとき、目の前にいる男性と重ねたのは彼女だった。まったく似ていない顔に仕草、言葉遣いだった。それでも私は脳裏に彼女を描き続けた。私は寂しかった】 【―――のめり込んでしまう。決して彼女は私に気づかないのに、私は彼女の影ばかりおってしまう。もしも彼女が私を受け入れてくれたなら、どれほど幸せだろう。どれほど嬉しいだろう。そう思うと私は彼女に酷いことしか言えなかった】 そのとき段落が変わる。話に転機が訪れるようだ。 【私が抑えきれなくなってしまったのは、彼女が隠れて自慰をしているのを見てしまったときのことだ。私は思わず声を上げて喜んでしまった。真面目そうに見える彼女にも、人並みの、いや人並み以上の性欲はあるのだと知ってしまったからだ】 【私は彼女の周りの人間をどうにか遠ざけようと必死になった。まずは彼女の尊敬する友達という存在から離そうと、進路を決めた。また周囲で彼女のことを狙うすべての人間と会って話をした。彼女には私しかいない。そして私には彼女しかいない。そう思った】 【その反面、私はセフレ(※セックスフレンド)との性行為を止められなかった。止めてしまえばその場で彼女を襲ってしまうことが分かっていたからだ。女とはいえ、男と同じぐらい欲求がある人間もいるということを知ってほしい。私は彼女が欲しかった】 話が終焉に向かっていく。 私は、なぜか喉が渇いていた。 【そんな矢先だった。私には兄妹がいる。その兄が彼女の前に現れてしまった。私は混乱した。どうしてだろうと思った。事前に約束をして彼女には関わらないと約束したはずだった。彼女は元来男性が好きなのだから、私しかいない世界になった今、男が現われたらそれはもう兄にとられてしまうと思った】 【兄に話をした。彼は頷いてはくれたが納得してはくれなかった。彼も私と同じく、彼女が――】 そこで声が掛かった。 「よーし、速読の練習はできたかあ」 とぼけた声の先生が欠伸をしながらそう言って、紙を後ろから集めるように伝えた。 「……え、あ」 私は焦った。じっくりと読みすぎてまだ読めていなかったのだ。 しかし周囲はみんな読めたらしく、 「衝撃過ぎてきもー」 「てゆーか、あれ実話なわけ?」 「だったら援交だろ。どっかの文パクってきただけじゃねえの?」 「あ~なるー」 と口々に感想を言っていた。 気持ち悪いという人半分、考えさせられるという人半分。クラスは変な空気になっていた。私は最後まで読めていなかったため、どんな展開になったのかわからず話に付いていけなかった。口を閉じて色々と考え、情報を整理していた。 すると名前を呼ばれた。 「きょうは15日だからな。四月の4足して19番……土方ぁ~」 「は、い」 慌てて立ちあがる。 あてられても感想なんか言えねえぞ……最後まで読めてねえんだから。 私は冷や汗をかいて質問を待っていた。 「最後まで読めたか?」 「い、え……」 「じゃあ宿題に、速読の練習な。放課後に資料室こいよ」 「は、」 想像外の宿題に目が丸くなった。 いやいやいやおかしいだろ、総合の宿題で速読とか。 まじでこの学校の総合の方針と違う……。 私は反論しようとしたが、先生は聞く耳も持たず次の紙を配り始めてしまった。東京都内にあるLGBTの相談所の一覧だった。 どうやらもうさっきの話はおしまいらしい。 (こんの、やろ……っ) 私は机の上に拳を擦り付けながら、怒りをどうにか堪える。不条理すぎることには滅法我慢がきかない私だ。 ―――しかし不意に先生の目が、配っている紙から離れ、私の方を見た。 「っ、」 赤い目がとろりと溶けて、私の目をしっかりと捕らえていた。 ……私は声がでなかった。 結局何も言えずに、私は言われるがまま放課後に銀八先生の資料室に向かうことにした。まあ元々先生のところに行くつもりだったし、別に屈したわけじゃない。 私は自分にそう言い聞かせた。 手早くSNSを開いてそこに、【先生のところに宿題取りに行ってから帰ろう】と打ち込んだ。それに既読が付いたのを確認して、私は早足で教室を出た。 出来るだけ早く行って、話をちゃんとして、お礼を言って、早く銀子のところに帰る。頭の中でシミュレーションしてみる。……よし行こう。 いつの間にかたどり着いていた“資料室”の看板の前で深呼吸をひとつし、私はノックをした。 『ほーい』 「失礼します」 先生は前と同じようにソファーに寝転がっていた。頭の上に何かの漫画を置いて、ゆったりとくつろいでいたようだ。この教師、働いてるところを見たことないぞ……そう思いながら私は部屋に入った。 「お前、まだ読みきれてねえんだろ」 「はあ……まあ」 「んじゃ、貸してやっから。机の上のやつ読め。あー……飲み物入れてきてやるよ」 「お気遣いなく―――って宿題は?」 「したいの?」 「いや」 「じゃあそれ読め」 そう言って起き上がった先生はポットを置いていた部屋の隅に向かい、棚からスティック状の粉を出して飲み物を作ってくれていた。 私は困惑して、それでもとりあえずさっきの続きを読むことにした。 たしか……そうだ。兄に【私】が話しに行ったところだ。紙を裏返してみると、そこには鉛筆で書き足されているところがあった。 (なんだこれ?) 私は不審に思いながらも、それを含めて最後まで読んでいくことにした。 【兄に話をした。彼は頷いてはくれたが納得してはくれなかった。彼も私と同じく、彼女のことを犯したいと思っていたからだ。兄は私のスマホを勝手に盗み見、そこに映っていた彼女に惚れたらしい】 読んでいるとそこに先生が、コップを置いてきた。 「ほらよ」 「ありがとうございます」 お礼を言ったのになぜか先生は私の方を見たまま座ろうとしなかった。なんとなく気まずくなって、私はとりあえずそれを一口飲んだ。ココアだった。 「あっま……おいしいです」 「ひひ。甘いだろ?」 どうやら揶揄いたかっただけらしい。先生はひとしきり笑ってから満足そうに、私の隣に腰を掛けた。そして彼も漫画を読みはじめる。 私は、ホッとして紙に視線を落とした。 【あの誰も触れさせないような鋭い視線を屈させたらどんな表情をするだろうか? 一人でしている時ですらあんなに淫乱な声を上げているのだから、きっと性行為を行ったら、すぐに絶頂を迎えてしまうことだろう。私は兄と意見を共有した】 私は、声が震えた。 「なに……これ…」 どうして、さっきからすべてが鉛筆で塗り消されているんだ。 そして余白に書き足されている。 でも読むのを止められなかった。 【私は彼女を孕ませられない。私はなぜ女に生まれてしまったのだろう。そう嘆いていると、兄が言った。だったら二人で孕ませようと。兄がいれば彼女は子宮に赤ちゃんをつくれるし、私がいれば彼女は離れていけない―――私は腸が煮えくり返りそうになりながらも、そうしなければ彼女との赤ちゃんができないことを恨んだ】 【私は兄によく電話をかけた。半ば自慢だった。私はこれだけ彼女と仲がいいのだ、お前の入る隙は無いのだ、そう教えてやりたかった。しかしながら誤算が起きた】 【彼女が兄に興味を持ち始めてしまった】 【このままでは兄に彼女をとられる。私はまた焦って彼と話をした。もうこれ以上関わらないでほしいと、彼女の中に入らないでほしいと。しかし彼は笑うだけだった。そして言った】 【もう我慢しなくていいだろう。十分我慢した、お前も、俺も】 【そう言って私たちは】 ――そのときだ、文字を追っていた目がしょぼしょぼとしてきた。 文字を見ているはずなのに視線が合わない。頭の中がくらくらとして酩酊状態になっていく。 ふと手の力が抜けて、紙が下に落ちた。 「……っ」 咄嗟に拾おうと屈もうとしてソファーに手をつき、ガクッと倒れた。力がどこにも入らなかった。 「―――土方?」 先生が呼ぶ声がする。 でも反応ができなかった。やけに耳が聞こえにくいのだ。舌ももつれて、声が出せない。 「…ぇ……ぁ……」 必死に先生を呼ぶ。 しかし意味のある言葉にならなかった。 おかしい。身体が、だるくて重い。これは変だ。 そう思うのに落ちていく瞼を止められなかった。ソファーと一体化するように意識がどんどん沈んでいき、深い海に潜るようにゆっくりと眠ってしまった。 「さようなら 俺の生徒」 土方の身体が抱きかかえられて、彼女はそのままどこかに連れていかれた。

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