自動販売機 第4話
「おやまあ」 第一声がそれか、と言ってやる気にもならずに、穴の入り口を見上げる。 「これはまた、大きな獲物が捕まったようだ」 「先輩を獲物とかいうな!」 「大声出さないでください。でもまあ、元気そうで良かったです」 ぼんやりと話す後輩の台詞に「良くない!」と反論していると、上から梯子が下ろされた。どうやら誰かがここに引っかかっているということは分かっていたようで、あらかじめ救出用梯子を用具委員会から借りてきていたらしい。 それをするぐらいなら落とし穴を作るな、と言いたいところだが、今回ばかりは授業のことで考え事をしていた自分が悪い。 「っと。ありがとう綾部」 「いいえ~。それにしても、先輩が引っ掛かるなんて珍しいこともあるもんですね。お尻濡れてませんか?」 「若干濡れてるわ、昨日雨降ったか?」 「もう忘れてるんですか、おじいちゃんですね。昨日は晴天です」 「あっそ」 聞いておいてなんだが穴掘り小僧の言い草にムッとして、竹谷まで言葉が適当になってしまった。 それにしても昨日の天気をなかなか思い出せないとは、確かに心配なことである。記憶力の低下はよろしくない。 「深くまで掘ったから土が湿ってるだろうと思ってきいただけです。先輩疲れてます?」 「……かもしれないな」 「僕はもう行きますから、どーぞ。お昼寝でもしててください」 「いやいや待てよ! この穴どうするんだよ、埋めて行け!」 「え~」 綾部の顔に面倒だという文字が浮かんでいる。 なんとも分かりやすい後輩だ。常時は感情の起伏があまりない方であるはずなのに、面倒事にかぎっては、心底嫌そうな顔をするのだ。 そうはいってもこれ以上被害を出さないために、竹谷は先輩としてしっかりと言っておいてやろうと、腰に手を当てて言った。 「ダメだ! 掘ったんなら最後まで面倒をみろ」 「埋めるまでが最後じゃないし……」 結局穴掘り小僧はブツブツ言いながら、己の掘った穴を綺麗にならしていくのである。 話を聞かないとはいえ、相手は五年生の先輩。本気で無視をすれば竹谷だって、放っておかない。性根から話を聞けない聞かん坊は、大人になって困るのだと、竹谷は後輩を心配しているのだ。 若干土の色は違うが、元通りになった地面を見て、満足そうに頷く。 踏み子ちゃんを持った張本人だけは「もう行っても良いですか?」と不機嫌気味にこちらを見ていたが。 「ああ。でも今度は、競合地域だけにしろよ?」 「忍者のたまごがそんな型にはまるものじゃあないと思います」 「つべこべ言うな!」 「はーい」 これ以上叱られては面倒だと思ったのか、綾部は口を大きく開けて、欠伸気味に返事した。 もう少し礼儀作法のある姿を見せて欲しいとは思えど、コイツに求めてもな……と感じ、竹谷は諦める。 とりあえずは元通りになったのだから良しとしよう。 竹谷は穴掘り小僧に別れを告げて、生物のいる小屋に足を向けた。 「せんぱーい」 「ん、なんだ?」 呼ばれたと思い竹谷が振り返ると、そこには立花が居た。 「立花仙蔵先輩!」 「―――竹谷八左ヱ門か」 「立花せんぱい、どこかへお出かけですか~?」 なるほど、綾部に呼ばれたのはこの、立花の方だったのか。竹谷が納得していれば、立花は綾部の質問に「学園長先生からのお使いにな」と言葉を濁していた。 おそらく何かあるんだろうな。 次年度の最上級生である五年生の竹谷はそのことにすぐ気づく。逆に、気づいたのかどうか微妙な綾部が、ふーん、だの、ほー、だの抜けた返事をする。 「なんだその返事……?」 竹谷が肩をガクッと落としていると、ふと 「竹谷」 と立花に名前を呼ばれる。 「どうかなさいましたか?」 「これ」 「はい?」 巾着を手渡された。 反射的に「これは?」と訊ねれば、 「綾部がいつも生物を怪我されていることへの謝罪だ」 と告げられる。 颯爽と去っていこうとする立花の背中に向かって、咄嗟に、 「でもこんなに重いものを」 と声をかければ、 「どうせこれからも綾部が面倒をかけるだろう」 と軽く笑われた。 元より顔の整っている先輩だ。かすかに見えた横顔だけで、竹谷はうっと唸ってしまう。なんせ美形を見慣れていないのだ。いやまあ、級友にも居るっちゃいるが……それとはまた別の話。 戸惑っている竹谷を他所に、当の本人である綾部は、「僕は迷惑かけてませ~ん」と頬を膨らませていたのだが。 立花が角を曲がったのを見てから巾着の中を開けてみれば、ざっと銭が十枚ほど入っていた。これはいくらなんでも、貰いすぎじゃないか……? こんなに良くしてもらって良いのか? それとも相手は作法委員会委員長であるし、何か良くないことの前振りか? そう悩み考えあぐねているうちに、気づけば綾部が居なくなっていた。 「あ、しまった!」 またどこかで穴を掘っていないかと心配になり、持っていた巾着を懐にしまっては辺りを見渡す。 しかしそこで目に飛び込んできたのは綾部ではなく、級友であった。 「何をぼさっとしてるんだ、また生物委員会で飼っている虫でも逃げたのか」 「そんな言い方すんなよ。孫兵たちだって好きで逃がしてるわけじゃないんだから……というか今日は、まだ逃がしてねえもん」 「もんとか言うな、もんとか。雷蔵ぐらい可愛くないと似合わんぞ」 「逆に雷蔵なら似合うのかよ」 「もちろん」 何を当たり前のことを、と恍けた顔をしてくる級友に、当然ながら腹が立つ。こっちこそ“何を言ってるんだお前”の気分である。 相も変わらぬ話の通じなさに肩を落とし、竹谷が級友の三郎を見ていれば、隣に誰もいないことに気づき、違和感を感じる。 「今日はその雷蔵は一緒じゃないんだな」 「ああ」 「喧嘩でもしたのか?」 「まさか」 からかって言ってみれば、思いのほかノリが悪い。なんだなんだ三郎のやつ、虫の居所が悪いような反応をして―――竹谷が唇を尖らせて様子を窺う。 三郎は思いのほか口数が少なく、ぼーっとしている。その様子は苛立っているというよりも、もぬけの殻のよう。 「さぶろう?」 竹谷が小さく呼べば、 「……なんだ」 と返ってくる割に、その声は小さい。竹谷のそれよりもはるかに。 かろうじて聞こえる程度の音量に、首をかしげながら竹谷は訊ねてみた。 「やっぱり何かあったのか?」 「別に……」 「ホントに?」 「本当に」 「ホントのホント?」 「しつこいぞ焼きそば男」 「よし、元気だな」 軽口が返ってきたことに安心していれば、三郎はため息を吐きだしながら疎ましそうにこちらを見てくる。そして「何もない」と再度言っては、どこかに歩いて行ってしまう。 「ちょ、おーい! 一緒に朝飯を」 慌てて竹谷が声をかける。 「誰が、狂喜染みた晩餐を好んで出席したがるというのだ」 そう三郎は吐き捨てて、振り返りもしなかった。 何を言ってるんだアイツ? 三郎は独特の世界観を持っている。そのため(時々というには頻度が多いように感じるが)口にする言葉が、こちらに分かりづらいときがある。 しかしながら今のはどう考えても、自分に説明する気のない台詞だったように受け取れた。 (なんだよ、どうしてそこまで言われなきゃいけないんだよ……) 困惑しながら竹谷が不貞腐れていれば、三郎が独り言を零した。 「さようなら」 しかしながら竹谷には、しっかり聞こえている。 どうして三郎は小さくそれを言うのだろうと不思議に思ったが、とりあえず返事をしておいて悪いことはないだろうと、こちらもオウム返しにしてやった。 「さようなら」 その足のまま食堂に向かえば、台所になぜか久々知が立っていた。 「兵助?」 今日は彼の当番だっただろうかと不思議に思っていたところ、久々知が満面の笑みで振り返ってくる。 「おはよう」 「ああ、うん」 この男にしては清々しいほどの綺麗な笑顔をしていたために、言葉が詰まる。 先ほどの立花といい、顔の整った奴はどうしてこう、表情が無に近いことが多いのだろう? 本当に止めてもらいたい。こういう感情の起伏があった際に笑顔を向けられると、ギクリとなってしまうのだ。驚かされるこっちの身にもなってほしいというもの。 竹谷は、久々知に責任転嫁をしている自覚があるままに、食堂の暖簾をくぐる。 「朝の当番なんてあったっけ?」 「ないよ。俺が作りたいって、食堂のおばちゃんに頼んだだけ」 「どうりでおばちゃんが居ないわけだ」 ニコニコとしたままの久々知を見てから辺りを見渡せば、食堂に誰もいないことが分かった。なのに、当の久々知は満面の笑顔。 ……もしかして今日は、豆腐地獄の日だったか。 「あのぉ、メニューって」 「豆腐だよ」 やっぱり豆腐地獄だった。 そりゃ三郎も『狂喜染みた晩餐』というわけだ。要約すれば地獄―――つまりそういうこと。 (うわ~どうしよう、兵助の豆腐か……旨いんだけど量が多いんだよなあ。朝からこれだと一日、胃もたれが) 五年生にもなって自分の体調を管理できないとあれば、先生方に何と言われるか分からない。しかも相手は地獄必須の久々知の豆腐ときた。これは逃げない方がおかしいというものだ。 ここは上手いこと言って久々知をごまかさなければ―――。そう竹谷が考えているうちに、良い匂いがしてくる。 「あ、良い匂い」 正直に感想が漏れた。鼻をくんとならせば、更に香辛料の効いた薫りが鼻孔をくすぐる。これは意外にも美味しそうな予感。 いや元々久々知は料理をそつなくこなすタイプである。香辛料というヒントから今回は麻婆豆腐の可能性が高い。ただ如何せんその量が問題である。 ……よし、こうなったら。 「兵助!」 「なーに、はっちゃん? もうすぐできるから待っててね」 「ああうん。―――じゃなくて!」 久々知の声が思った以上に優しくて思わず頷いてしまった。 すぐに首を振って『違う!』と自分に言い聞かせる。 「三郎たちも呼んでくるから待ってて!」 「三郎?」 「ああ、ここに来る前会ってさ。まだご飯食べてないみたいだから」 こうなったらアイツも巻き込んでやると意気込んで三郎の名前を上げる。いつも首尾よく逃げるアイツに、ちょっとした仕返しをしてやろうと考えたのだ。 しかしながらどうしたことか、久々知は台所から身体を半分出し、片足で敷居を踏んだまま、返事をしない。 「へいすけ?」 「……来てたんだ―――へぇ」 「どうしたんだ?」 久々知を見てみれば、彼は口を動かしてはいるが表情は驚くほど変わっていない。まるで自分の中で反芻しているだけのよう。 事実を確認して終わったのか、久々知が顔をフッと上げて、こちらを見た。 「で……なんで三郎のところに行くのだ?」 「へ」 何を訊ねられたのかわからず言葉が出てこない。 だって三郎は、竹谷にとっても久々知にとっても大切な友人のはずで、仲間で、こういう団欒の場では一緒に悪ふざけをして遊んできたわけで……。どうして今さら訊ねられるのだろうか、それがまず、竹谷には理解できなかった。 理解できないことに返事はできない。 竹谷は一瞬迷った。 すると久々知が、教科書にあるような綺麗な笑顔のまま問う。 「なんで?」 竹谷は意味がわからず逃げた。 竹谷という男には本能という部分において、常人よりもはるかに優れた嗅覚を持っていた。 久々知がお手本のような笑みを浮かべていることが引っ掛かったのか、瞬きの回数が極端に少ないことが気になったのか、そんな細かいことは竹谷にはわからない。 ただ言えることは―――目が笑っていなかった、ということ。 (あんなに綺麗に笑える奴だとは……知らなかった) 級友の新たな一面、五年目の真実というやつに驚いてはいるが、不思議と『悲しい』という気持ちは湧かなかった。 用具委員会が管理している倉の中、袋槍が入れられた籠と手裏剣用の的が立てかけられた間に、しゃがみこむ。 気分は一年生の頃にやった、かくれんぼうだ。 そこで隠れながら考えることは、“いつ出るか”ということ。 別に竹谷は逃げたかったわけじゃない。ただ、時間が欲しかっただけだ。 (―――どうして久々知が変なところで突っかかってきたのか? 三郎がどこに今いるのか、あと雷蔵と喧嘩したのかどうか) 竹谷の頭は性能が良くないため、あまり同時に何かを考えるのに向いていない。そのためこうして座り込んでじっくり考える必要があった。命にかかわるような非常時には瞬間的に身体が動くが、人間関係のあれそれのときには、めっぽう役に立たないスキルである。 こうやって考えて答えが見つかれば、もう隠れる必要はない。 なので竹谷ははじめに、出ていくタイミングを考える必要があった。 「ま、考えてもしゃあないな」 本人に聞けばいいや。 今は苛立ってたとしても久々知は大切な仲間―――なんてったって、五年間一緒にいた奴だ。向き合って腹を割って話せば通じるだろう。 そう思って膝の間に伏せていた顔を上げれば、鼻先に何か触れる。……黒い糸だ。 何が落ちてきているのだろう? と視線を伝わせた先に、目があった。 目が合った。「ひッ」 息を吸い込むのと同時に股の間に何かが落ちてきた。ザクッ。刹那、足を振りあげて相手と距離をとろうとして、できないことに気づく。 「く、そッ!」 膝小僧に当たる感覚から、これが袋槍であることが分かる。用具委員でもない竹谷が用具の数なんて把握しているはずがない。 久々知は元からここに竹谷が来ることを予測して、忍んでいたのだ。そうでないと忍たまである竹谷がここまで気配に気づけないはずがない。 座り込んだまま、股を開いている不格好な竹谷が、心底悔しそうな顔をする。それを見て久々知は馬鹿にするわけでもなしに、ただ、 「無駄だよ」 と言った。 この優等生は時々、あっさりと諦めることがある。 竹谷が危険を察知できる鼻を持っているならば、久々知のそれは成功だけを察知できるというのだろうか。勝機が七割を超さない限り久々知は首を縦に振らないのだ。 ということは、今回も竹谷が負けるということを久々知は言いたいのだろうか? 自分の勝利を確信して? ―――どうしてだ、と竹谷は嫌な気持ちになった。 竹谷は負けず嫌いだ。 どちらかといえばどうでも良いような勝負事でも、負けたくないと思う方である。 (まず負けるってなんだ。これは鬼ごっこなのか? それとも、かくれんぼう? ―――自分はそれらをしているつもりは全くない) もちろん久々知から一度は逃げたが、それは逃亡したというわけではなく、作戦タイムというやつで。……いや違う、整理する時間だ。 だのに、久々知は何を考えているのだろう? 負ければ何があるというのだ。 竹谷は馬鹿馬鹿しくなって、言ってやる。 「無駄ってなんだよ」 喧々した竹谷の声に反して、久々知は至って冷静に淡々と、返答を出す。 「気配が、全部読めなくなったからだ」 ……またしても竹谷にはわからない言葉が出てきた。 でも馬鹿にされているのだけは分かる、と自負していた。 竹谷は、それをお門違いとは知らず。 ―――竹谷は、文字の変換を目で見れない。 『気配が、全部読めなくなった身体』