自動販売機 第5話
「なにをそう、怒ってるんだよ」 「怒ってない」 「いや怒ってんじゃん……」 「怒ってないって」 首部の後ろに腕を回しながら、久々知の後ろをついて歩く。 太腿の内側がスースーするのは、袋槍が切り裂いた痕に対して、肌に外気が触れているからだろう。冬も近いというのになんてざまだ。寒いったらありゃしない。 あのあと袋槍を抜いてくれた久々知に、 「制服、千切れた……」 とブツブツ言ってやれば、 「縫ってあげる」 となぜか上機嫌に返された。理由は分からないにしても、刺してきたのは相手なので、好きにさせることにした。 そのために着替えを―――と促す久々知に、素直な腹の虫を聞かせたのは竹谷だ。 ハッとなったように久々知が「食堂」と言いだした。 しまった思い出させてしまった! 竹谷も忘れていたが、久々知の豆腐地獄を阻止するのが今回の使命だった。 「朝ご飯食べよう」 「あー。うん」 「行こう」 もう逃げられないのか。 ガックリと肩を落としながら竹谷は暗い声で返事をした。 すると、それを聞いた久々知の声色が変わったような気がする。若干勢いのある、強みを感じさせる声。意気揚々とは正反対の支配的な声だ。 どうしたのだろう? あまりにも渋々といった態度の自分に、怒ってしまったのだろうか? 竹谷はそう心配になって、冒頭の問いをしたのである。 「じゃあ逆に訊くけど」 「うんっ?」 突然振り返ってきた久々知に驚いて、たたらを踏む。 声をひっくり返しながら返事をした。 「はっちゃんは俺が、何に怒ってると思ってる?」 「え、いや~それは―――えっと」 「ほら。怒ってないだろ」 「うん……」 納得いかないままだったが、久々知の勢いに負かされて竹谷は頷いてしまう。一方の久々知が納得したようにニッコリと笑って進行方向を向くのを、竹谷はどこか混乱しながら見ていた。 もう何がなんやらだ。 今日の久々知はおかしい、それだけはわかる。 だってこの久々知兵助という男は、感情の起伏が激しい奴ではないはずなのだ。豆腐に関しては少しばかり思い入れが強すぎるが、それをおいてみれば、忍びとして必要な冷静さのある落ち着いた奴だ。 廊下を音をたてず歩く姿に違和感はない。 ―――そのくせなんだろう、この違和感。まるで一日寝ただけで何年も会っていなかったような変身ぶり。 「なあ兵助」 「なに?」 堪らなくなって久々知に訊ねることにした。 「お前変わった?」 「べつに?」 「あっそう」 さっぱりわからなかった。 ご飯を腹いっぱい食べさせられる前に、とりあえず厠で腹を減らしておこう。そうすれば少しは楽かもしれない。 最後の悪あがきを考えた竹谷が、 「厠だけ行ってもいか? 朝から行ってなくて気持ちが悪い」 と提案すれば、久々知はことのほかすんなりと頷いてくれた。何故か彼は上機嫌に戻ったようだ。 (本当によく分からない、怒ったり楽しんだり……今日の兵助は忙しいな) 竹谷が厠に行く最中に、久々知は三郎を探すと言う。ついでに雷蔵は?と訊ねた竹谷に対し、 「雷蔵は勘右衛門と買い物中だ」 と返される。そうだったのか……だから一人になった三郎は、不貞腐れてたんだ。そう納得した。 すぐに食堂で落ち合おうと約束したのち、竹谷は早足気味に厠を目指した。 ここで逃げることも考えたが、約束してしまった身である。一度決めたことは最後まで通すのが道理というものだろう。 竹谷八左ヱ門とはそういう男である。 「めんどうみるのが~ひとの」 歌をうたいながら廊下を外れて地面の上を歩く。 『また綾部が罠を作っていないか』と確認することは止めず、それでも足取りは軽く。こうやって自分を鼓舞しなければこのあとやってくる地獄に太刀打ちできまい。 庭を軽く歩いたところ、木々に囲まれてひっそりとしている辺りに厠は並んでいた。なにも意識しなければ一番左を使うのが常であるが、今日はそこの陰に先客が居た。 「お前は……三年は組の浦風藤内か?」 「五枚、六枚、七枚」 「お化けか!」 「八枚、九―――ってうわぁ!」 肩を叩いた瞬間、少年は驚いたように声を上げた。どうやら真剣に何かを数えていたようで、こちらに全く気付いていなかったらしい。 少年の手からコロコロと落ちて転がっていく。 それを慌ててかき集める姿を見ていると、なんだか申し訳なくなって竹谷は「すまん!」と断ってから一緒に集め始めた。 一通り見える限り拾い上げたあと、もう一度謝罪を述べる。 「驚かせて悪かった!」 「竹谷先輩だったんですか、ビックリしました。気にしてませんよ」 「何を数えていたんだ?」 「これです」 差しだされた浦風の手のなかを覗き込めば、そこには量の多い銭が転がっている。紐に繋がず持っているには物騒な枚数である。 「それ、何枚あるんだ? 紐に繋がなくていいのか?」 「数える予習をしていたんです。そして今から使うんです。でも、20枚必要なのに10枚しかなくて……」 なるほど浦風は何かが買いたいらしい。しかしながら20銭するのにもかかわらず、10銭しか持ち合わせておらず、困っているようだった。 厠の横の薄暗い茂みで何をしているかと思えば、後輩の大きな悩みに出くわしてしまったようだ。そうだとしても竹谷は放っておけなかった。 「そういえば、」 竹谷はふと思い出して声を出した。 「どうしたんですか?」 「ちょっと待ってろ」 浦風の不思議そうな声を耳にとどめて、竹谷は懐から巾着を取り出した。そしてその中があることを確認し、頷く。 「うん。浦風、買えるぞ」 「え、何がですか?」 「その20銭するってやつ」 「えっいやいやいや! 先輩にそんなお金をいただくなんてこと」 慌てて浦風が首を振るのを目の前に、竹谷も首を振った。 「これはお前の先輩にいただいたものだ。つまりは元々作法委員会のお金……それをどう使おうが、俺の勝手だろう?」 そうだ、これは作法委員会委員長である立花仙蔵からいただいたもの。鼻っから竹谷は自分のために使おうとは思っていなかった。たしかに生物委員会の小屋の修繕費に費やしたい気持ちもあったが、それは自分が稼いだ金でどうにかすべきだろう。 そんな考えから提案した竹谷の考えに、僅かながら考え込む藤内だったが、次の瞬間には髪を振り乱してまで頭を垂れてお礼を言ってくる。 「ありがとうございますっ!」 「気にするな」 役に立てたことが嬉しくて、竹谷は笑っては浦風の頭を撫でた。 「で、何に使うんだ?」 「こっちに来てください!」 「こっちって……そっちは森だろう?」 厠の裏側を指差す浦風に突っ込めば、少年は首を左右に振って「違うます」と返答を寄越す。 一体何があるというのだろう? 不思議に思って、竹谷が後輩について行けばそこには見たことのない物が立っていた。 「―――なんだこれ」 思わず固まる竹谷。 それを知ってか知らずか、浦風は、当たり前のようにそれに向けて歩みを進める。そして竹谷が止めるのも聞かず、その四角い物の目の前に立ってはこちらに手招きをしてきた。 「先輩みてください」 「……それなんだ?」 後輩が行くのに自分が行かないわけには……と考えて近寄ってみる。見れば見るほどしっかりとした作りの、不思議な箱だ。 近くで見たからこそ分かったが、自分と同じぐらいの高さのそこに窓がついている。その中には何かが入っているようだ。 「兵太夫が作ったんです」 「一年は組の笹山兵太夫?」 「そうです。なんでもフィギュアが入ってるそうで」 「学園長先生のか?」 「いえ、忍たまの」 忍たまの? どういうことだ? と不審に思い、箱の中身を覗き込んだ竹谷の目に飛び込んできたのは、自分自身の顔だった。 「うわッ」 驚いて一歩後ろに下がる。 「あったでしょう?」 「あ、ああ……」 自分の顔といきなりにらめっこをする羽目となり、竹谷は心臓がバクバクとなるのを感じる。なんだこれぐらいでビビるなんて、はじめて三郎に化けられたときと同じじゃないか。 慌てる心臓を抑えつけてどうにか冷静になっていく。 「それで……これに入れるのか?」 「はい。どういうカラクリなのか僕には理解できませんでしたが、兵太夫いわく、横についてある穴にお金を入れるんだそうです」 「穴?」 「これです」指の指す方を見ると、たしかに穴がある。なんともお金を入れたくなるような仕組みに、ほ~という可笑しな声しか出なかった。 竹谷が感心して見ていると、浦風は次々とお金をそれに投入していく。 チャリン、チャリン。 一体これはどこからお金を出すんだろう? チャリン、チャリン。 きり丸辺りが聞いたら飛びついてきそうだ。 チャリン、チャリン……。 そういえば、浦風は朝ご飯を食べたのだろうか。 豆腐地獄ということでみんな食べ逃しているのではないか? 「なあ浦風」 「なんですか?」 銭をすべて入れ終わったらしい浦風が、箱の側面から正面へと戻ってくる。そして高い位置にある突っ張りを指差して、「届かないので先輩に押していただいてもらっていいですか?」と言った。 言われた竹谷はなんとなく、 (どうしておれのフィギュアを選ぶんだ? ほかのフィギュアも見なくていいのか?) と疑問に思いながら、とりあえず頷いておいた。 人差し指をその突っ張りに合わせながら、竹谷は質問の続きをする。 「朝飯は食べたのか?」 すると浦風は真面目な顔で、こちらを見つめ返してきた。 「もう食べなくていいんですよ」 竹谷の指が何者に押された。 ピィっ がたんッ