東京卍学園 第1話

いわゆるヤンキー学園ドラマというものは、いつの時代も視聴者のハートをわしづかみにする。 血なまぐさい殴り合いだけではない、仲間同士の絆。もう駄目だと思った瞬間に駆けつけてくれる仲間、「なんで来たんだ?!」というセリフ。一度は言ってみたいと思うだろ? しかも極めつけはそのキャスティング。今はやりのモデル柴八戒を筆頭とした、乾、九井といったメンバーに、新進気鋭のアイドルユニット『ばるはら』からは羽宮という具合だ。 ドラマ放送直前にはバラエティー番組への宣伝も多々あり、CМも異例の三パターン。(マイキー&ドラケン版、千冬&場地版、乾&九井版) TM放送の本気を見せつけられた気がしますね~とは司会者のコメントだ。 土曜日の9時から10時にかけて渋谷の若者が激減したと、昨日のニュースで言っていた。 先週から始まったばっかのはずなのにもうつかみはばっちりらしく、今年の流行間違いなしだな~と花垣はアイスを片手に、テレビを見ていた。 ちょうど松野千冬が、悪役の男を殴っているシーンだった。 「うわ、いたそ…」 「そうでもないよ」 「あ。てった君おかえり~」 テレビで殴られている顔がソファーの後ろからのぞき込んできた。へんなデジャヴ感。 見上げていると、食べていたパピコを取り上げられた。 「あ~~!」 「僕にもちょうだい」 「冷蔵庫にあるだろ~。てかそれバイトのご褒美なんだけど! てった君、オレより稼いでるんだから、横取り禁止だって」 「たけみち君も一緒に俳優しようって誘ったのに、断ったのは君のほうじゃないか。今からでも半間に頼んでこようか?」 「え~それは勘弁してくれって。だってあの人、またてった君だましたんだろ?」 「……」 稀咲の顔色が悪くなる。ドラマではよく似合っているぶち眼鏡も、化粧を落として髪を下した彼にはひどくやぼったく映っていた。忙しすぎて食事もままならないせいでこけた頬が、余計に悲壮感を誘う。 半間というのは稀咲のマネージャーで、10歳ほど年上の人だ。花垣と稀咲が同じ小学校に通っていたころ、校門のところに時々迎えに来ていたのを花垣は覚えている。 それと同じぐらい印象的だったのは、半間という男が、稀咲の持って帰ろうとしていた貯金箱をワザとに落として「こっちのほうがセンスいいよ♡」と手をたたいて喜んでいたことだ。もちろん稀咲は泣いていた。 「半間のやつ…」 稀咲がうなる。 「僕には天才ヤンキー役だって説明してたんだ。頭が切れる、僕にぴったりの役だって。それがふたを開けてみれば、周囲を蹴落としてのし上がろうとするせこい役だと!? それって信じられるか!? そのうち背後から刺されるんじゃないか!?」 「あ~半間さんならそういう説明しそう」 「半間のやつ…僕をだましやがって…!」 稀咲が悔しそうにうなる。ドラマではむしろ『稀咲に騙された相手』がしそうなその表情に、花垣は同情せざるをえなかった。 だがもっと同情してしまうのは、このドラマが大変人気だということ。人気だということは、その分SNSでの反応もすごいということで、無名俳優だった稀咲は一気にヒール役として周知されるようになってしまった。 (てった君はSNSにうといから気づかないだろうけど、割とさっき見ただけでもアンチが沸いてたからな~。これは言わないでおこう) 花垣は幼馴染のよしみで言わないことにした。言わぬが花、知らぬが仏! それにしても――テレビに視線を戻すと、場地が松野千冬と肩を組んでいるところだった。 (こっちも有名なんだよな) ドラマの中では場地が松野千冬の先輩ということになっているが、実際は松野のほうが5歳年上だ。つまるところ、松野千冬は童顔俳優として有名で、ほとんどの場合、恋愛ドラマの咬ませ犬として活躍していた。 (それに引き換え、今回の役どころはぴったりだよな) 先輩を慕って無茶をする、健気系後輩イケメン。その一途な思いと応援したくなる必死な表情を見れば、誰だって彼のファンにならざるを得なかった。 (あと、場地との絡みもファンから支持されているんだよな) たしか二人は同じプロダクション出身らしいが、同じドラマに出たのはこれが初めてのはずだ。気心の知れた間柄だったからこそよい芝居ができたのかもしれない。 そんなことを考えていると、パピコが戻ってきた。 「てった君……これ、ほとんどないんだけど」 「溶けたんだよ」 「も~。あ、またてった君殴られてる」 「見 る な」 「あーーー!」 テレビの前に躍り出た稀咲によって画面が遮られ、一番重要なぶん殴りシーンが見られなかった。あー勿体ない! ビデオ取ってないっていうのに! 殴られるシーンの後は決まって、あの子が出るのだから花垣はとても楽しみにしていたというのに――。 『鉄太くん!』 「あ、橘の声がする! てった君どいて!! 橘日向を見ないと明日のバイトいけないから!!」 稀咲の背中から橘日向の声がしたので慌てて腕を引っ張ると、稀咲も急いでソファーに座った。よしよしこれで見えるぞ! 『もう、なんでまたこんなことしたの!』 「橘日向が怒ってる……」 「僕の方見て怒ってる…」 「は? 撮影の時、目の前で怒られたんじゃないの?」 「まあ…あの時は無我夢中だったし」 「あ~わかる。橘を前にしたら頭真っ白になるよな、わかるわかる」 「たけみち君にはわからないかもしれないけど、直接前にいたらそんなレベルじゃないよ。なんかもう――いいにおいがする」 「オレを現場に呼べ!!!よし、次の撮影の時近くを通りかかってやる! オレは決めたぞ!」 「え」 稀咲がひきつった声を出した。 「な~んだよその反応。いつもはオマエのほうからが誘ってくるくせに、オレが行ったらダメなわけ?」 「いや駄目じゃないけど……でもいつも僕が誘ってもこないじゃないか。なんでいきなり行く気になったわけ?」 「芸能人を見たい一般人の野次馬精神を馬鹿にしないでもらえるかな」 「説得力あるね」 稀咲が若干引いたような気がするが、そんなのは知ったことじゃない。花垣は大好きな女優橘日向を一目見られるのであれば、正直バイトを1日ぐらい休んでもいいだろうと考えていた。だってファンってそういうもんだろ?  「橘日向、たのしみだな~♪」 エンディングを見ながら鼻歌を漏らす。 上機嫌だった花垣は、隣の稀咲がどんな表情をしていたのか全く知らなかった。 今大人気ドラマ『東京卍学園』の衣装のほとんどは三ツ谷が担当している。三ツ谷は俳優ではないが、裏方ではちょこっと名の知れた存在だった。 デザインの修正を頼まれればすぐに衣装の変更を行い、場合によっては縫い直しもその場で行う。そういう俊敏さをかわれていた。 しかしいくら裏方で知られているとはいえ、カメラの前に出る人間のほうが偉いという感覚は少なからずあるわけで、ぞんざいな扱いを受けることも多々あった。 今、衣装を直しているコイツもそうだ。 「あ~ウエスト細くなってんな――柴さんちょっと腰触りますよ」 「……」 まーた無言ですか。いいっすけど。 三ツ谷はこめかみを爪でひっかき、内心ぼやく。デザイナーを軽視する俳優は一定層いるが、こうもモデルに嫌われるいわれはないと思う。 とはいえ相手は世界的にも有名な柴八戒。そんな彼からすれば、日本の青二才なんて視界に入らないのかもしれない。 まだまだ頑張らないと。三ツ谷は握りしめた手でメジャーを手繰り寄せた。 (それにしても細いな、コイツ) ウエストを詰めるために数値を目で追う。 「うわ、先週より3センチ減……なあちゃんと飯食ってる?」 思わず心配になって見上げると、遠くを見ていた柴と一瞬目が合う。が、すぐにそらされた。もちろん返事はない。 このやろう…オレが学生時代だったら殴ってんぞ…。 『東京卍学園』に汚染された考え方をもってして苛立ちながらも、もういい大人である三ツ谷は笑顔を作った。 「とりあえず詰めるんで、脱いでください」 「――は?」 「いやだから詰めるんですって」 今までツーンとしていた柴が振り返る。顔が驚いて、目もまんまるになっていた。 まるでドラマの中の頼りない優男『柴八戒』だ。 「ふ」思わず笑ってしまう。 「……っ」 「ほら脱げって、今すぐちゃちゃっと直すから。オレの腕、見せてやりますよ?」 両手を出して『貸してほしい』のポーズをとると、柴は舌打ちをして視線をずらした。そしてそのままズボンから足を抜きはじめた。 身体の大半と称される長い脚があらわになる。商売道具である脚の殺傷力はすさまじいもので、さすがの三ツ谷も、 (すっげ~きれい) と感動した。 脱ぎたてほやほや(※変態臭い)のパンツが床に脱ぎ捨てられ、三ツ谷は上からのすごい圧力を感じながらも回収しに行くと、周囲から小声で「…柴を下着にしやがった」「タオルないの?」と聞こえた。うん。いつもは腰巻のタオルを用意するけど、今回はあえて用意しなかった。ちょっとした仕返しだ。 心の中で舌を出して、ざまあみろ柴八戒といってやる。ちょっとすっきりした。 ミシン台のある場所に向かおうとすると、背中に声をかけられた。 「この八戒たらし~」 「ん? あータイジュくん」 「見てたぞ」 図体の大きな男が肩を組んできた。どしりと漬物石のような重みが体にかかってくる。 うえっと押しつぶされそうな声を出すと、「わりーわりーお前飯食ってんのかよ?」とたずねられた。 いったいいつから会話を聞いていたのやら。 三ツ谷は苦笑い気味に言った。 「おかげさまでいいもの食わせてもらってるよ。ほら、タイジュくんが前に差し入れしてくれたローストビーフ、めちゃくちゃ美味かったんだけど。どこで買ったの?」 「あれは八戒が――いや、ま、内緒だな。食いたかったらまたウチんち来いよ、柚葉も会いたがってたぞ」 「え~柴家に行く勇気はねえって、だってあのエリート俳優一家だぞ? 新米デザイナーが行ってたなんて知られたら、ファンに殺されそうじゃん~」 なぜか大寿は三ツ谷を気に入りよく家に呼びたがる。あの有名俳優に気に入られているということは三ツ谷も誇らしかったが、その弟にあたる八戒が自分のことを疎んでいるのだから手放しでは喜べない。 まったく…ドラマとは正反対な兄弟なことで。 三ツ谷は、引き寄せられる太い腕からするりと抜けて、柴のパンツを抱え込んだ。 「今度はウチんちに来てくれたらいいよ、妹たちも喜ぶから」 家にいる二人の妹の存在をちらつかせれば、大寿は喉を鳴らしてククと笑った。 「相変わらず誘うのがうまいな、てめえは。あのガキたちは柚葉が大好きだろ。てことは、柚葉を連れてこいって暗に言ってやがんな?」 「え~そんなつもりはないって。まあ連れてきてくれたらデザート一つ増やしてあげるけど」 「ほらみろ」 「ちげえって~じゃあもう行くから、撮影頑張って」 「おー、また八戒もつれていくわ」 「ははは……」 あいつ、誘っても来ないだろうな。 三ツ谷はから笑いをして手を振った。 遠くのほうで次の撮影の指示が聞こえ、場地はあわてて馬乗りになっていた相手から飛び退いた。 「すんませんっ、松野さん!!」 頭をがばっと下げれば、長い黒髪が一緒に落ちてきた。 狭まった視界のなかで長い間頭を下げていると、頭をガシガシと撫でられた。 「いいって場地。イイパンチ決まってたわ、すっげえ、思いこもってたな」 腫れが残る頬を釣り上げて笑う、中学生を連想させる幼顔のこの男。場地の事務所の先輩だ。 ひとつやふたつじゃない。5年は離れているベテランの俳優だ。しかも成人も目前というお年頃。 松野は笑った勢いで唇の端がひきつったのか、血がにじんでいた。 普通ドラマといえば、殴ったふりをしてあとでメイクの演出が入るのだが、この場地という男は力加減が苦手だった。殴ったふりをしろと指示されれば、動きが大振りになって止められずに本当に拳を当ててしまう。かと思えば、殴られるシーンでは相手の間合いに近づきすぎて、わざわざ拳があたるような位置にまで入り込んでしまう。 あまりの立ち回りの悪さに、ベテラン俳優であるマイキーには「コイツ、チェンジできない?」と苛つかれてしまう始末だった。 そこで声を上げたのがこの松野千冬だった。 「うん、今回もいい感じにボコられた演出ができたな。じゃあオレの撮影行ってくるわ」 ふらふらと立ち上がった松野は時おり膝に手をつきながら歩き始めた。あまりにふわふわとした足取りに、 場地は心配になり駆け寄った。 「すんません、殴る練習付き合ってもらって、あのっ」 「いいっていいって。そうやって動きおぼえていくもんだから」 猫のように吊り上がった目尻を緩く下しながら、松野は場地の頭をまたポンポンと撫でた。松野には下の子がいるのだろうか、たびたび場地の頭をなでた。背の低い松野が無理に腕を伸ばしているような気がして、場地は頭が撫でられるとわかると腰をかがめる癖がついていた。 「松野せんぱい…」 場地は言いようのない気持ちで胸がいっぱいになり、やはり肩を貸そうとして腕を伸ばした。 松野は、場地の喧嘩稽古の相手をかってでてくれた。 体の動きは理屈じゃない。特に勉強が苦手な場地は、口で言われるよりも体で覚える派だった。しかしながら現場で何度もカットをかけるわけにはいかない。 いやはやどうするか――となったときに声を上げたのが、松野だった。 もちろん、はじめは場地も断っていた。相手は事務所の先輩だ。間違ってもサンドバッグにしていい相手じゃない。(誰だってダメだが) しかしながら松野はしなやかに言い返した。 「そろそろ殴られたメイクだけじゃ物足りないと思ってたんだよな。ちょうどいいじゃん、殴る練習したい場地と、殴られたいオレ。すっごくお似合いじゃね?」 にししと笑った顔はいたずらっ子のように愛嬌があり、おおよそ20歳にもなるであろう男の顔ではなかった。 どうしてこの人、恋愛ドラマで本命に選ばれないのだろうか。場地は心底不思議でしかたなかった。 それから2か月――。ずるずると断り切れず、殴る場面の練習を現場の裾でさせてもらっているのだが、今のところ効果は見られなかった。 「松野さん……本当にすんません」 肩を貸しながら謝る。 「なにがだよ、場地はよくがんばってんじゃん。オレはそういうのいいと思うぜ、だってカッケーじゃん」 大きな目を細めながら笑う。きらきらとした笑い方。本当にこの人、幼く見えるよな。 場地はつられて表情がゆるんだ。 「あ、場地が笑った!」 「え、なんすか、ダメすか?」 「んーん。むしろいい、めっちゃイカしてる。オレそっちのほうが好き。なあなあ、ドラマでも笑ってみろよ」 「え~~~松野さんのお願いでもそれはなァ…。むしろオレの役どころって、ニヤって笑い方しません?」 「まあたしかにー。でもそんなワイルドな男がさわやかに笑ったら、絶対にギャップで人気が爆上がりすると思うんだけどなあ」 「はは、遠慮しときますよ」 場地は八重歯を見せながら笑った。 (ちがう、違うんだ、松野さん) 言葉に出せない思いを心の中で吐露する。 別に笑いたくないわけじゃない。役柄的に合わないから嫌だっていうのも、半分嘘だ。素で笑いたくないという本当の理由は、もっとほかのところにあった。 (松野さんだけに……この人だけに、笑顔を見せたい) 場地は、誰よりも松野を尊敬していた。 それは『東京卍学園』で殴る稽古をつけてもらうよりも、ずっと、ずっと前から抱いている想い。そのことはまだ誰にも言っていない。松野本人はもちろん、幼馴染である羽宮にすら。 根性があって、何事にも本気で取り組む。松野のその姿勢が大好きだった。喧嘩のリアリティを出すために、場地に殴られることを提案した時にはその男らしさにさらに胸が高まった。 そんな尊敬する先輩と仕事ができるんだ。場地の芝居にも熱が入ってしまうのは、仕方がない話だった。 (次はもっと、腕の引きを抑えてみっかな…) 松野を担ぎながらぶつぶつ考えていると、現場についた。 「ありがと場地」 「うっす。いやオレのせいなんで」 「お~イケメン度上がってるね千冬」 「マイキー君!」 今までの和やかな雰囲気が嘘のようにあたりにピリリとした空気が広がった。 すると松野の体がすっと起き上がり、場地の肩が急に軽くなる。心なしか彼の顔つきまでりりしくなった気がする。 一方の場地も自然と背筋が伸び、気が付けば足を肩幅に開いていた。 学校で言うところの先生に会ったような、そんな感覚が佐野にはあった。 「おはようございます、佐野さん」 「うん。おはよ場地くん。今日も相変わらずへたくそなパンチだったね」 佐野がにっこりと笑う。 場地の背中に冷たいものが通り過ぎた。――佐野はいつもこうだ。短い言葉で、的確に、確実に、相手を恐怖に落とし込む。正直ドラマの稀咲なんか目じゃない。この佐野が、リアルマイキーが、一番恐ろしい存在だった。 現場で話していたほかのキャストもいつの間にか無言になり、周囲に集まってきていた。開始時刻まであとすこしあったはずなのに、もう撮影が開始するらしい。 佐野が位置にいけば、それがつまり集合時刻だ。理屈なんかじゃない。そういうものなんだ。 マイキーと共演したことがある者ならば誰もが知っている、暗黙の了解。 するとなぜか下着の姿の柴八戒が現場に入ってき、佐野を除く全員の目が丸くなるが、すぐに三ツ谷が走ってきてパンツを手渡していた。舞台裾で大寿が笑っているのが見えたので、きっと何かがあったんだろう。 「うん、撮影はじめよっか」 佐野が学ランを羽織った。 それが合図だった。 「「「よろしくお願いします!!!!」」」 全員が佐野に向かって頭を下げる、異様な光景だった。

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