東京卍学園 第2話
オレンジ色のライトに照らされている。 まばらな拍手。 舞台袖からスマイリー先輩の声が飛んできた。 「今日もつまんねえなぁそろそろコロすぞー」 どっと笑いが起きる。今日一の爆笑だ。 「り、りべんじゃーずでした…ありがとうございましたっ」 ぺこぺこと頭を下げて退場する。出場時間わずか5分。それが今のオレ、花垣武道の価値だ。 何事も面白いのが一番だ。 中学では面白いやつが一番モテた。 昔、隣の女子中学校に通っていた橘日向がテレビで言っていたのだ。「お笑い芸人さんを見ていたら、しんどい気持ちも吹き飛んじゃいますよね。私お笑い大好きなんです」と。そのコメントを聞いた中学生のオレは、いつかM-1グランプリで優勝し、いろんな番組に出て、橘日向とも共演して、そこでネタを披露するんだと夢を見ていた。もちろん地上波には一度も出たことがない。地下芸人とすら言ってもいいのか微妙なラインだが、オレには「なんとなく売れる気がする」という自信があった。(だって中学ではオレが一番面白かったし) それが、23歳になった今でもピン芸人を続けている理由だった。 コンビを組んでいた相方は数か月前に蒸発してしまった。結果『りべんじゃーず』という複数形のコンビ名だけが痛々しく残っていたが、なんとなく愛着があったのでそのまま使っている。 まだまだ知名度は低く、地下芸人から脱出するのは夢のまた夢だが、同じ地下芸人をしている『双悪デビル』さんが去年度のM-1グランプリ入賞を飾ったことで、このライブハウスにもお客さんが入るようになった。相乗効果でオレの知名度も上がってくれれば…と願っている。ほんと、スマイリー先輩&アングリー先輩様様である。 客の大半はひやかしをする酔っ払いだ。時々本気でお笑いを愛しているのだろうなという客もいて、それはもうゾッとするほど心臓に刺さる台詞を吐かれることがある。芸人内でもそれは問題になっていて、心が病んで芸人をやめていく奴が続出していた。オレは昔から色んな客に「もうネタすんな!」だの「何言ってンのか分かんねーんだよ!」だのとよく言われてきたし、なによりスマイリー先輩に「くだらねーんだよシねクソ道!!」とよく罵倒されてきたので、お笑いをやめる気は全くなかった。(ライブ終了後の打ち上げでアングリー先輩だけは褒めてくれるし、なによりビールを奢ってくれるので気分は悪くなってない) それに最近、オレ専属のマネージャーができた。事務所に所属していないため、経費はもちろんオレ持ちだ。稀咲曰く「コントロールしてくれる人がいないと、君は突っ走るだろ」らしいので、無理をしてでも雇う価値はあるはず。 ライブハウスを出るとまんまるの月が浮かんでいた。 雑多なビルの隙間からのぞく月は少し窮屈そうだ。何か特別な気候条件が重なっているのか、月には淡いピンクが重なっており、綺麗なピンクゴールドムーンになっていた。 アパートについた。角部屋の電気がついている。 てった君は今日、ドラマの撮影があると言っていたのでこんなに早く帰ってこられるはずがない。ということはマネージャーが来ているんだろう。 何かあったときのためにと渡した鍵をこう簡単に使われたら困るんだけど。一度、ガツンと言った方が良いのかもしれない。 「ナオト~来てんのか?」 「おかえりなさいタケミチ君。外に洗濯物干しっぱなしでしたよ。テレビに出ることを目標にしているんですから、下着とかプライベートなものは人目にさらさないように心がけてください。盗まれますよ」 「オレの下着なんて、盗む奴いるかよ!! てかナオト! 毎日打ち合わせに来るのやめてくんない!? オレにもプライベートってもんがあるんだけど!」 よし、ガツンと言ってやったぞ! どうだ! とナオトを見た。けれど彼はオレの下着を丁寧に折りたたみ、返事すらしてくれなかった。こりゃ明日も来るつもりだな、くそう。 橘日向の弟だって聞いていたから、最初のうちは会えるのもうれしかったが、最近はもうありがたみなど一ミクロンもない。むしろ小うるさい姑にしか見えなかった。 こうなったら、『ナオトから仕事の話を聞き出して、一刻も早く帰ってもらうプラン』にシフトチェンジだ。流石に夕食を見られるのは嫌だし。 「で、今日は何の打ち合わせ? 次の仕事決まったとか?」 「そうですよタケミチ君! 聞いて驚かないでください、すごい仕事を掴んできましたよ!」 ナオトが顔をぐいっと近づけてくる。彼にしては妙にテンションが高い。 (なんか嫌な予感がするな……) オレは背中を退け反らせながらうなずいた。 「なんの仕事?」 「夏の特番に出ますよ!!」 「は? え? まって、誰が??」 「ここで他人の話すると思いますか? とぼけないでください」 「ひ、ひどい…」 冷たい視線を送られてしょんぼりなる。ナオトって外見のわりに口が悪いよな。 しかしさっきのナオトの台詞を思い出して、やはり我慢できずにたずねた。 「夏の特番ってマジ? てかそういう番組って普通、人気芸人とか旬の芸人が出るもんじゃないの? 例えば今流行りの〝The六本木″さんとか、同じ地下芸人なら双悪デビルさんとかさ…」 「その特番、ゲストが『東京卍学園』の方々なんです。そこにまた『東京卍学園』の人が仕掛け人で出てきたら、なんの面白みもないじゃないですか」 「確かにそれはそうだけど……って、ん?」 「はい?」 「今、仕掛け人って言った?」 「言いましたよ」 ナオトがけろっとした顔でうなずく。 嫌な予感が当たっている気がして仕方がないんだけど大丈夫かな。 「ちなみに聞くけど……それなんの特番?」 「“夏のドッキリ100連発”です」 「はいオレ死ぬやつ!!!! 社会的にオレ死ぬじゃん!! そんなん無理だって!」 「無理じゃないですよ。ただ少し佐野さんに対していやがらせ――驚かせに行くだけじゃないですか」 コイツいま小さい声で「嫌がらせ」って言ったぞ、見捨てる気満々じゃねえか。 『東京卍学園』に出演している佐野さんと言えば、伝説の子役タレントとして有名じゃないか。兄の真一郎さんもたしか同じ俳優だったはず(今はなぜか引退されている)。佐野さんは、真一郎さんと一緒に出たオムツのCМでデビューをはたしている。それ以降大人をうならせる演技をし続け、天才子役タレントから大人気俳優に成長を遂げ、ついに去年は外国の映画にも起用されたと報道されていた。そして今期は『東京卍学園』のマイキー役として登場し、絶大なる人気を博していた。佐野さんのカリスマ性のおかげか、マイキーという役柄のかっこよさに惹かれてか、彼のファンクラブの会員数はすでに15万人を超えていた。もちろんイベントを行えばチケットは秒で完売、グッズでさえ他より割高であっても売れ残ったものは一つもない。(これには裏組織が絡んでいるとかなんとか、諸説理由があるといわれているが) 言わば“生きるレジェンド”というやつだ。 しかし彼については、もう一つ有名な話があった。 「つーか佐野さんって、お笑いが嫌いなことで有名じゃん!」 そう。本当にそれだ。 佐野万次郎さんはバラエティー番組が大嫌いで、オファーが来ても片っ端から切っている。これはファンの間でも有名な話だ。佐野さんの個人情報を知りたければ、雑誌のインタビューを読むか、もしくはよく共演する松野千冬のSNSをチェックするかぐらいしか手段はなかった。ちなみにパパラッチは問答無用で消すらしい(物理的に)。それも有名な話だった。 いくら番宣のためとはいえ佐野さんがバラエティー番組に出るだなんて、視聴率がえげつないことになるんじゃないだろうか。 「そんなところでオレがドッキリなんか仕掛けたら、ファンに叩かれて芸人人生終わっちまうと思うんだけど?」 「逆ですよ、タケミチ君。そこで存在感をアピールして、お茶の間に“りべんじゃーず”の名前を知らしめるんです。名前を売る絶好のチャンスじゃないですか!」 「オマエのそういうポジティブなところ、時々すっごく尊敬するわ! でもさ~ナオトぉ、考えてみろよ。オレ、テレビ初めてなんだぞ? お世話になってるテレビ出演ありの先輩は双悪デビルさんだけだし……オレみたいな無名の芸人が出てきたら、スタジオしらけちゃってやばくない?」 「そこは安心してください、スタジオには呼ばれないので」 「えっ、じゃあオレなにすんの?」 「内容は詳しくまだ決まっていませんが、スタジオ撮影ではなく別日収録でドッキリ映像のみを撮影するそうです。それなら当日スタジオがどんだけ白けても、大丈夫ですよ!」 「ナオト……しらけること前提で話するのやめない!?」 急に悲しくなってぼやくと、あっさり「おそらく白けますよ。むしろ完全に」と返された。おいおいおい。そりゃすべるのは慣れてるけどさ~なんかそれって悔しいなぁ。 第一、どうしてオレみたいな地下芸人に声がかかったんだろう。そこが一番不思議だった。 「それは僕が手を上げたからですよ」 「は?」 タンスに下着を片付けていたナオトが振り返りながら言った。 つうかそこ、奥の方にエロ本入れてるからあんま見られたくないんだけど……あっ見られた最悪! 慌てて奪い取るとジト目を向けられた。ちがうんだッ! この表紙の女の子、どことなく橘日向に似ているけど、橘日向はこんなアダルトな雑誌には出ないってわかってるから! だからお願いだからナオト…そんなひどい目でオレを見ないでくれよぉ!! 「はあ……話を戻しますよ」 「あ、ハイ…」 「君は今、本当に無名なんです。路上で職質をされたとして“芸人やってます”と言っても、警察に信じてもらえないレベルなんです。それにタケミチ君は地味なので、普通の人と同じテレビの登場の仕方をしても印象には残らないと思いますよ」 「なあ今のは普通にひどくない? オレ泣いちゃうよ?」 「そこでドッキリ番組を使います。まずは強烈なインパクトをみなさんに与えてください」 「それって悪いインパクトじゃない? 気の狂った芸人として疎遠にされない?」 「それぐらいしてください。君、本当に地味なんですから、そろそろ自覚してください」 「追い打ちかけるなよナオト…」 「花垣武道!! しっかりしてください!」 「ッ、」 ナオトがテーブルをばんっ!と叩く。驚いて肩がはねる。 「なんだよもう…驚かすなって…」 「スタジオには僕の姉、橘日向もおそらく来ます」 「えっ?」 橘日向がスタジオにいる。今…そう言った? それってつまり、オレが撮影を頑張れば橘日向がそれを見てくれるってこと? しかもしかも、もっと頑張って面白い映像が取れれば、オレの出る尺が伸びて橘日向の記憶に残る可能性が増えたりとか? それってなんか――やばいじゃん! 大好きな子の前ではいいところを見せたいと思うのは男として当たり前だ。 「よし、ナオト」 「はい」 「やろう」 「……やってくれるんですか?」 「うん」 だって初テレビなんぞ、出るに決まってるじゃん! べ、べつに橘日向が見てるからとかじゃないからな!? 心の中でぶつぶつ言いながらナオトにOKの返答をした。さて本番はどんな服を着ていったらいいかな。いや、待てよ? ああいうテレビってスタイリストさんがいて決めてくれるのか? オレぐらいのペーペーでもいるのかなぁ。 そんなことを考えていたので、ナオトの零した言葉は耳に届かなかった。 「断ってくれたらよかったのに」 8月3日 20時 TM放送局スタジオ スタジオには異様な緊張感があった。 関西で有名な大御所司会者がゴールデンを張っているこの長寿番組。VTRを見ながら感想を言うだけの流れのはずなのに、オレのひたいには変な汗が浮かんでいた。このあとの台本が頭に入っていたからだ。 そう、オレがいたのは現場ではなく楽屋だった。 親しみのある笑い声がポータブルデバイスの中で響く。 『そうなんすよ、いまだにアングリーとは同じベッド使ってて、やばくないっすか?』 双悪デビルさんだ。 ほっとして、衣装を握りしめていた手をやっと緩められた。 まだ楽屋だというのにこの緊張感。やっぱりテレビはライブハウスとは違う。きっとヤジなんか誰も飛ばしてくれないだろう。しかも生放送中なんだから、失敗はできない。 「大丈夫ですか、タケミチ君?」 「ナオト……」 楽屋のドアを開け、マネージャーが心配そうに顔を覗き込んできた。 顔色が悪い自覚はあった。クーラーがきいているからか足先、指先が冷たくて仕方がなかった。 「すみません。あれだけスタジオには呼ばれないといっていたのに…それに生放送だとは、打ち合わせの段階では先方は言っていなくて」 「別にもういいよ、怒ってないし。このチャンスを生かすも殺すもオレ次第って、ナオトがいつも言ってることだろ?」 ナオトが申し訳なさそうにするので、オレは彼をフォローするのに必死だった。 しかし口では体の良いことを言っても、心の中は正直なもので、今すぐにでも泣く準備はできていた。だって、生放送と聞いたのは昨日なのだ。 もともとおかしいとは思っていたんだ。番組放送日は8月3日だというのに、いつまでたっても撮影の日程が決まらなかった。そのうえ撮影場所の連絡すらないままに、二か月が過ぎたのだ。 不安になってナオトと何度も話し合っていると、昨晩になって電話がかかってきた。 『はい、橘です――え?』 そのときの顔色は真っ青だった。 何があったのか、最悪の知らせだということはすぐに察せた。オレはてっきり出演が無くなったのかと思ったが、それよりもっと大変なことになっていた。 テレビに出るのって、こんなにあわただしいスケジュールなのか? オレがただ知らないだけ…? 不安になってナオトにたずねると、「いやこんなことは普通ありえません」と否定された。 ほっとすると同時に、どれほど今回の出演番組が異様であるかを知った。 この強引な変更、いったい誰が引き起こしているのだろうか。オレには全くわからなかった。 スタイリストさんに「いいですよー」と言われて鏡を見ると、襟袖が若干綺麗に装飾されているような気がした。いや本当に若干。 「あ、ありがとうございます!」 「緊張しないでくださいよ~。今日のドッキリ楽しみにしてますんで」 「ははは、ありがとうございます。でも、相手が佐野さんなので、どうなるかちょっと…」 「むしろアイツの鼻へし折ってくるぐらいしてもいいんじゃないすか?」 「ええっ…!?」 なんか物騒な人だな、と思って顔を上げると、ごつめのクロスのピアスが目についた。見た目からして、いかついなこの人。なんだかライブハウスによく来る客みたいだ。 すると気持ちが伝わったのか、スタイリストさんはにかっと好青年のような笑顔で笑った。 「オレ佐野とガキの時からの付き合いなんだけど、最近のアイツさ、すかし顔ばっかで癪にさわンだよね~。よくデザイナーのこと馬鹿にするし」 「えっ、デザイナーさんなんですか? スタイリストさんじゃなくて?」 「そそ。オレは自分が作った服が、どうやって着てもらったら最高に良い映り方になるのかまで研究するのが仕事。だから佐野の仕事には大体オレもいる。だってアイツといたらたくさん勉強できる機会があるだろ?」 「なるほど…」 「オレは三ツ谷。よろしくな、“りべんじゃーず”。佐野に一発かましてこいよ!」 「すみませーん“りべんじゃーず”さん、本番でーす」 三ツ谷さんの声と呼びに来たスタッフさんの声が重なる。反射的に「はい!」と立ち上がった。緊張がぶわっと増してくる。でもそれよか気になったのは『りべんじゃーず』と芸名で呼ばれたことだ。 ――オレ今、最高に芸人してるよな。 その実感がわいてきた。ほかのところは知らないが、少なくともオレがよく利用しているライブハウスでは「たけみっち」とあだ名で呼ばれていたし、芸名で呼ばれることは「まだ青すぎるわ!」と認められていなかった。 テレビに出たらもっと認めてもらえるんだ。あのライブハウスの客や先輩芸人さん、そしててった君、ナオトにも。 震えはいつしか止まっていた。しっかりとした足取りで廊下に出て、こぶしを握り締めて歩く。後ろからついてくるナオトの足音が応援曲に聞こえ、人知れずうなずいた。 うん、オレは面白い! ぜったいに佐野さんにドッキリをしかけてやるんだ。 最後までやり切ってみせる! だから日和るわけにはいかないと自分に言い聞かせた。