3年目のヤンデレ 街頭

「おい、なあ!」 「えっ…だれ?」 昼下がりの駅前、パチンコ店にて。玉のばら撒かれる音に負けじと叫ぶ男に、突然腕を引かれた。 「お前、ジャンだろ!」 「ま、まあ……失礼ですけど誰ですか?」 「ひどいなあ。忘れたのか?フォルスターだ、フォルスター!」 強めに『フォルスター』を圧し出されると、確かにいたような記憶が蘇ってきた。 小学生の…あれは高学年か? いや、3年生頃? とりあえずそれぐらいの歳の時に、同じクラスだったやつが、たしかそんな名前だった気がする。あんまり親しく話した覚えがないので記憶は曖昧だが、こんなに賑やかなやつだったんだな…。 とにかく思い出せてよかった。オレは慌ててうなずいた。 「わりい、思い出した。トロスト小学校だったよな?」 「そうそう! やっぱりジャンだと思ったんだ。こんなパチンコなんかで出会うなんて、すごい偶然だな。お前も結構くるのか?」 「いや、今日がはじめてだ」 「そりゃ良かったな。ハジメテの人間は当りがいいからな……何か奢ってくれよ? せっかく会えたんだから」 ぐいぐいと距離を詰めてくるな、こいつ…。さっき自分の台がフィーバーした瞬間、ビビって席を立っちまったのだが、それを知っているのかもしれない。そうだったら恥ずかしい。 「ジャン、頼む。昼飯まだなんだよ」 「え~」 両手を合わせて頭をさげられると、断りづらい。 もともと、オレの方も断る理由がなかった。仕事の憂鬱をまぎらわせるために立ち寄っただけなので、やることがないのだから。まず今日は有給だし。 「…ファミレスでよければ」 「やっぱりお前って優しいな。ありがとう!」 勢いあまって抱きつかれる。身体表現の激しいやつだな。長時間パチンコにいたせいか、ヤニ臭さが服からプーンと臭った。さっきの尋ね口から考えるに、フォルスターはパチンコにはまっているのかもしれない。オレはというと、鼓膜が悲鳴を上げているので、もう二度と来ないと思う。    「は? ジャンって××商社で働いてるのか?」 「…まあ」 「すごいじゃないか。…ん? なんでそんなに気まずそうなんだ?」 「いや、別に…」 カツ丼を腹におさめて満足したらしいフォルスターが、にこやかに尋ねてきた。気分が相当良いようで、オレの話を詳しく聞きたがる。 ××商社といえば、最近有名になってきた上昇企業という印象があるだろう。しかしその反面、新入社員に対する卑劣なパワハラが問題視される企業でもある。勤務しはじめてもうすぐ3年が経つが、辞めていった同僚は相当数に及ぶ。全体の六割ははじめの年に辞めていった。 オレも最初の一カ月で辞めようと思っていた。親には悪いが、このままこの商社で一生を終える気はさらさらなかった。今どき会社に一生を尽くすなんて考えは、誰も持っちゃいない。しかしそんな矢先に父親が倒れた。母親はパートを控えて、父の看病をせざるを得なくなった。保険でなんとか金は入ってきているものの、主な収入源は、実家から出ていったオレの仕送りになった。下手にオレが仕事を辞めれば、家族もろとも共倒れになる。 意地でも続けるしかなかった。 …と根性論を振りかざしても、耐えられる範疇というもんがある。 「はあ…」 「その溜め息は、平日の真っ昼間にパチンコにいたのと関係してるのか?」 「鋭い指摘ありがとう。まあな、その通りだったりする」 「そしてその中心にあるものは、すぐに消えないものだったり?」 「全くもってその通りだ。察しが良いなフォルスター」 「俺も大人になったからな。話せば楽になるぜ?」 「あーうーん…」 言おうか否かで迷っていると、フォルスターがふいに席を立って、オレの座るソファー席に移動してきた。 腰がぶつかり、奥に追いやられる。そのまま肩を組まれ、煙草の臭いがわずかにした。 フォルスターは、こそこそ話をするように、「お前を助けたいんだよ…なあ」と耳元でいった。周囲に聞こえないように、という配慮だろう。フォルスターの優しさに口元が緩んだ。 そういえば最近上司には、 「俺を貶めたいのか?」 と罵られてばっかりだったな。 人格を否定され続けたせいか、フォルスターの優しさが心に沁み込んできて、鼻の奥がツーンと痛くなった。――くそ、泣くなよ、オレ。 人前で泣くのはプライドが許さないので、どうにか歯を食いしばって堪える。 フォルスターが不審がる前に、オレはグラスの水を一気飲みして落ち着いた。 口に出せば少しは楽になる、というのは本当だったらしい。現実はどうにもならないが、気分的にはすっきりしてきた。これが会社の同期相手だと、次の出勤時に顔を合わせにくくなるところだが、仕事とは無関係のフォルスター相手なのでそんな心配はご無用だ。むしろ付き合いが深い間柄でもないので、好かれようという意思がなくて気が楽だった。 「聞いてくれてありがとうな。すっきりしたわ」 「それはなによりだ。結構溜まってたんだな。なあ、ジャンがよければ、また会わないか?」 「オレはいいが…お前も仕事があるだろ?」 「俺は自由出勤だから、ジャンの休みに合わせるさ。気にすんなよ、同い年のよしみだろ!」 フォルスターが頬を上げてうっすらと微笑んだ。職場でよく見かける、打算を含んだ笑いとは違う、同い年ならではの素直な表情に見える。下心のないやりとりって、こんなに気が楽なんだな…。 オレは二つ返事でうなずいていた。土日固定休の勤務なので、基本土日は休みだと伝えた。 途端にフォルスターの目がきらりと輝いて見えた。 「それなら、次の土曜日はどうだ? その日なら俺も休みなんだよ」 「わかった。集まるのはここでいいか?」 「ああ、そうしよう。間違えて昼飯食ってくるなよ?」 「なら少し早めだな…十一時にくるわ」 詳細が決まると、フォルスターは綺麗めな顔に花を咲かせて、夢見心地で笑みを浮かべていた。 何をそんなにポヤポヤしてるんだ? 俺が熱を心配していると、フォルスターは首を振ってなんでもない、と言った。 「ごちそうさま。次は俺が奢るから、ありがとう」 「お、おう…?」 てっきりパチンコで金を使い切ったんだと思ってたぞ、とはいえず。 オレは、気にするな、とレシートを持った手を振った。 とりあえず家に帰ったら掃除しよう。仕事が辛すぎて、ゴミをまとめてなかったから。燃えるゴミぐらいは洗って袋に入れておこう。今ならちょっとぐらい、頑張れそうな気がした。 ――あ、連絡先聞き忘れた。 そのことに気がついたのは家についてからだった。まあいいか…次に会ったときに聞こう。 次の土曜日の天気も晴。 雲一つない快晴だった。正午より早い時間帯なので、ファミレスの人はまばらで居心地がよかった。 「そういえば、フォルスターは何の仕事をしてるんだ?」 「ん……俺?」 「だって自由出勤とか言ってただろ。そんなの、特殊な仕事か相当良い企業に就職しているかにかぎるだろ。あとはフリーターか」 正直、最後の選択肢がオレの中で最有力候補だったりする。パチンコに昼間から入りびたるやつを馬鹿にするわけじゃないが、賭け事にうとい家庭で育ってきたオレには偏見があった。 フォルスターは運ばれてきていたピッコロピッツァの皿を引き寄せた。何も言わない。腹が減っているのだろう。視線はピッツァに釘付けだ。 ふいに目を細めて、フォルスターはトマトを見つめた。 「んーそうだな…」 付属でついてきたピザカッターを持ち上げる。そして勢いよくピッツァを切り分け始めた。 食器に刃が当たって、酷い音がする。 「…っ、おい…フォルスター」 不協和音な摩擦音に顔を顰める。通りかかった従業員の目も厳しいものだ。 フォルスターはおかまいなしに、ガチャガチャ、キーキーと、めちゃくちゃにチーズを切っていた。 家で料理をしないのだろうか。これ以上こいつに任せていたら、苦情が入りそうな勢いだ。仕方がない…オレが切るか。 「貸せ」 強制的にピザカッターを横取りすると、もうすでにピッツァはずたずたになっていた。あーあー。頼んだのはフォルスターだから良いとして、こんな見た目になって可哀想に。トマトなんか原形を留めてないぞ。 「こういうのは一方向に動かしたほうがいいんだ。オレの経験的に、な」 「ふーん…」 気のない返事が返ってくる。オレだってイタリアンをよく食す方じゃないが、行儀よく食べる方法はちゃんと身につけて大きくなったと思う。 切り分けた1ピースを皿に乗せて、上にチーズを盛った。ずいぶんと生地がすっぽんぽんになっちまったな。 「ほらよ」 フォルスターの前に皿を置く。 「作家をしてるんだ」 「……うん?」 なんの話だろう。というか、ピッツァが冷めてきているが、それはいいのか? あんなに熱心に見ていたから、てっきり腹が減っているとばかり思っていたが、フォルスターは目の前にやってきたピッツァに手を出さない。 もしかしたら、他人が触ったものを食べられないのかもしれない。 「そのピッツァ、オレが食べたほうがいいか?」 「時間が自由に使えるのはそのせいだ」 「――んん?」 オレと同時にフォルスターが話しはじめた。思わずオレは口を閉じて、うなずく。 しかし、それ以上フォルスターが何かを言うことはなく、ピッツァをフォークに刺して口に運び始めた。食べられないわけじゃないらしい。…手を使わないのは不思議だけど。 それにしても作家か。それは盲点だった。 自分が文章を書くのであれば、どこで書いても、いつ書いても、問題ないだろう。自由出勤とはカッコイイ言い方をしてくれるが、つまり自宅でできる仕事だったというわけだ。 「どんな小説を書いてるんだ? オレもけっこう本は読む方だ」 「なら、また今度もってきてやる」 「楽しみにしてる」 オレは理系出身だが、元来本を熟読して読み解くのが好きだったりする。もちろん分子やら構造式のほうが頭に入ってきやすいが、知識は広く持っておいたほうがいいというのは、オレの自論だ。 フォルスターは器用にトマトの部分をフォークで避けて、生地のみを食していた。独特な食べ方だな…。 結局、皿にはべちゃべちゃになったトマトのみが鎮座する事態になった。オレは学生時代に飲食店でバイトをしたことがある。そのため、残された食材の処理の面倒臭さを知っていた。 「おい…それ貸せ、ほら」 「なんだ食いたかったのか?」 「違う。残ったら勿体無いだろ」 フォルスターから皿を受け取って、フォークでトマトをかき集める。オレは特に嫌いな物がないので、なんでもどんとこいだ。将来結婚した相手に悲しい顔をさせないぞ、オレは。 そういえば勝手にフォーク使って悪かったな。 じーっと見つめてくるフォルスターに謝ると、 「――いや、イイな」 とSNSみたいな反応をされた。なんだお前、SNS依存症か。 何はともあれ、潔癖症ではないらしいので良かった。 まだ十五時だが、フォルスターに用事があると言われ、会計をすることになった。 ふとオレは思い出した。 「そういえば、連絡先教えろよ。もしかしたら、用事が入ることがあるかもしれねえし」 「そうだな。QRコードで良いだろ?」 「わかった。オレの方から読み取るわ」 スマホを取り出して画面を操作する。最近保護シートを強化したせいで、指が滑りにくいのが難点だ。なんとか友達追加できたのでホッとする。画面に表示された名前を見て、ほうほうと思った。 「フォルスターって、名前がフロックなんだな」 「そうだ。…忘れてたな?」 「ははは」 小学生の時の記憶なんて曖昧で、正直上の名前を覚えていただけで褒めて欲しいぐらいだ。適当に笑って誤魔化していると、フォルスターもといフロックは、大きなため息を吐きだした。 「だろうと思った。なんでフォルスター呼びなんだって、気になっていたからな」 「わ、わりいな」 「まあいい。とにかく、よろしくなジャン」 「おう」 フロックはそれ以上怒らなかった。大人になったと以前言っていたように、目くじらを立てることなく、笑って許してくれた。 笑うとフロックの八重歯が唇の隙間から見えて、幼い顔の中で唯一そこだけが大人らしく見えた。 そういえばこいつもオレと同い年なんだから、もう二十五歳なんだよな。作家なんかしてたら出会いなんかなさそうだが、結婚はしているのだろうか。オレの周囲は最近結婚ラッシュなので、いささか敏感な話題だった。…オレはブラック企業で心を折らずに生きるので手いっぱいなので、聞かないでほしい。 オレが落ち込んでスマホを眺めていると、フロックが思い立ったように言った。 「次は水族館に行こう」 「は? いつものファミレスでいいだろ」 あの生臭い魚のにおいが苦手だった。できれば水族館、並びに動物園は遠慮願いたい。 そう伝えたが、 「話に行き詰まってるんだ。一緒に来てくれたら助かる」 とまで言われたら、良心が痛んで断れなくなった。子犬みたいな顔しやがって。 つーかそういうのって、彼女と行くもんじゃねえのか? 「俺には彼女が居ない」 「あ、さいですか」 なんだ、お前もか。そうかそうか…。 ――喜んでなんかいないぞ!? 断じて! やはりというか、そうだろうなというか…水族館はぼちぼち楽しめた。 金を払った手前、楽しまないと金がもったいない! ――という精神が働いた、というのが正しいかもしれない。 くたびれた水族館という印象があったのであまり期待していなかったが、中はわりと広くて、回るだけで時間がかかった。 特にイルカショーは面白くて、マジックのときはワクワクした。あれは一体どうやってるんだろうな、と思わずフロックに聞くと、即答でネタばらしされた。そのことには割と引いたが……作家として知識が豊富なんだろう。オレは否定しないでおいた。周囲に子供がいなくて良かった。 何かお土産を買うかという話になり、昼食を兼ねてフードコーナーに向かうことにした。昼時ということもあって、廃れた水族館の中でも賑わっていた。注文するのにも時間がかかりそうだ。 「トイレ行ってくる」 「ああ。先に頼んどくわ」 「コーラとホットドッグ」 「了解」 フロックを見送ってから、オレも同じものを頼みにレジに並んだ。見た目に反してレジの進みは速く、すぐに自分の番が回ってきた。 しかし一番の難関は、空いている席を見つけることだ。ボックス席が多いフードコーナーは、すでに満員状態だった。 きっとフロックのことだし、他の人間と相席なんか考えちゃいないだろう。これはファミレスでの経験をもとに、オレが編み出したフロック像というものだが、きっと当たってるはずだ。 潔癖じゃないが、フロックはわりとこだわりが強い人間だった。女の集団が相席を申し出てきた日にゃ、 「は? 臭い」 と有無を言わさぬ迫力で吐き捨てたのだ。正直肝が冷えたぞ…オレの上司より口が悪いんじゃないか? しかしオレに向かってそんなことを言ってきたことがないので、とりあえず大目に見ている。 どこか空いてる席は無いか。 トイレの列は外に伸びるほど長くなっているので、まだ時間はかかりそうだが、オレの手が限界を先にむかえてしまう。あたりを見渡していると、ふと名前を呼ばれた。 「おーい、ジャン!」 「……トーマス?」 「何やってるんだよ、ここで」 先週結婚式で顔を合わせたばかりの知人がそこにいた。小学、中学と同じ学校だったトーマスは、数人の友人らしき人物たちと昼食をとっている最中だった。 オレは知り合いと一緒に遊びに来ていることと、昼食を食べられる場所を探していることを伝えた。 するとボックス席に座っていたトーマスたちの集団が、立ちあがった。 「もう行くつもりだったし、ここ使っていいよ」 「は? でもそんなに急かしたら悪いだろ」 「大丈夫、大丈夫。久しぶりに会えたんだし、楽しく別れよう」 「ならいいけど…って、先週会ったばっかだろ?」 「まあな」 適当に笑って誤魔化すトーマスの頭を、トレーの端で小突いてやる。やっぱりジャンは大きくなったな~と近所のおばさんみたいなコメントをよこされた。 小学生の時の丸々としたオレを知っているトーマスからすれば、縦に伸びたオレの成長が感動モノなのだろう。 「あ、そういえば……トーマスはフォルスターってやつを覚えているか?」 「フォルスター?」 「おう、小学三年生の時に同じクラスだった」 「うーん、あんまり記憶にないなあ…」 やはりトーマスもフロックのことをあんまり覚えていないらしい。そんな影の薄いやつと一緒に来ているといったら、トーマスは驚くだろうか? オレは、フロックと一緒に来ていることを伝えようとしたが、遮るようにトーマスが「ああ!」と声をあげた。 「思い出した! たしかジャンと交換ノートをしていた子じゃないか?」 「交換…ノート?」 「ほら、女子みたいでキモイ~って俺に相談しに来たことがあったじゃないか」 なんだそれ、オレめちゃくちゃ性格悪いじゃねえか。 でもたしかに、昔のオレならやりかねない。自分が絶対的な正解だと思ってたし、自分が思っていることはみんなもそう思ってると、本気で勘違いしていた。 つまりオレは、幼いフロックの好意を、一旦突き返していたかもしれない……のか? 「覚えてねえな…。それで結局、交換ノートをしたのか?」 「うん、してたと思う。文句言いながらでもやるのがジャンだろ」 「そうだっけな…わりい、本気で覚えてない」 「そりゃ十五年も前のことだしな、仕方ないさ。……そういえば、一冊目の交換ノートを早々に無くしたって騒いでいた気がする」 「おい、クソじゃねえかよ!」 「お前はそういう子どもだったよ…」 トーマスが遠い目をしながら、肩をとんと叩いてきた。なんだ諭しやがって…。そんなことわかってるっつーの。 それじゃあもう行くよ、また遊びに誘うからな! トーマスは友人たちのところへ戻っていった。 小学、中学と友達が多いやつだとは思っていたが、大人になっても付き合いがあるとは感心だ。 空けてもらった席でオレンジジュースを飲んでいると、フロックがきょろきょろしながら通路を歩いていた。 「おーこっちこっち」 「ああ。悪い、遅くなった」 「トイレめっちゃ待たされたんだろ。こういう施設は、しゃーねえよ」 頼まれていたコーラとホットドッグをさし出す。 ふと日記のことが脳裏をよぎったが、今ここで聞くにはリスキーすぎると頭を振った。 もしも仮に、フロックがそのことを忘れていたら掘り返すことになる。また逆に、フロックがそれを根に持っていたとしたら、あとの仕打ちが怖ろしいし…。 とりあえず何もなかったことにして、オレは午後からどうするかを話題に挙げた。 窓から降り注ぐ太陽の光が眩しい。そういや、フロックと会う日はいつも晴れているような気がする。もしかしたらフロックは晴れ男なのかもしれない。 水族館にも、公園にも、映画にも行くようになった。仲の良い友人のように色んなところを回っていると、それとなくフロックとの関係が深まってきたような気がした。 そろそろ家に連れて来てやってもいいな、と思った矢先。 【今度の金曜、宅飲みしないか?】 と誘われた。 フロックの家はオレの仕事場から相当離れていると聞いていたので、必然的にオレの家で飲むことになった。 日ごろから掃除は定期的にしているが、フロックは変なところで口うるさいので文句を言うかもしれない。 約束は二〇時なので、フロックがくる前にもうすこし掃除しておこう。 オレは終業のチャイムを聞きながら、鞄を持ち上げた。 ビールとワインは買って帰るとして、つまみはどうしようか? オレはトマトとチーズをスライスしたやつが好きなんだが、フロックは血反吐を吐くぐらいトマトが大っ嫌いなんだよな。しかもチーズだって、種類によっては食べられないとか、ややこしいことを言ってくる。五種のチーズをふんだんに~とか書いてあったら、「俺を殺す気か…?」と親の仇をとるような眼をしやがる。本当に地雷が分からない。 とりあえずスーパーに寄って帰ろう。 会社のエントランスをくぐって道路に出ると、丁度向かいの会社からも人が出てきていた。 「あ、ジャンだ!」 「おう、ミーナか」 「お疲れ様。今終わり?」 「そうそう、そっちこそお疲れさま」 三つ編みにした黒髪を揺らしながら、素朴な顔立ちの女性が話しかけてきた。ミーナは、オレが小学生の時からの知り合いで、いわゆる腐れ縁だった。連絡先はお互いに知らないが、ご縁があるのかよく会う機会があった。 ミーナは女のわりにずけずけと物を言う性格で、オレが少しからかったところで全く気にしないタフなところがあるので、気兼ねがなく話せた。 「花の金曜日だよ~ジャンは彼女とデート?」 「いたらいいのにな」 「うっそ、まだ一人なの? 寂しい男ね」 「うぐ…!」 オブラートに包むつもりがないミーナは、確信をついてくる。なんという角度のえぐさだ…一発KOだぞ、これ。 「オレは良いんだよ、まだ。これから知人と宅飲みするし」 「え~いいなあ。私は明日も仕事だから、早く帰って寝るだけなのに。ねえねえ、私も行っていい?」 「駄目だろ普通に。お前彼氏いるし」 「え、ジャンは私を襲う気なわけ?」 「なんでそう飛躍すんだよ…。オレの知人がいるって言っただろうが。そいつの性格が特殊だから、ミーナがいたら不機嫌になるっつーの」 「へ~ジャンにも友達いたんだ。てっきりマルコだけかと思ってた!」 「マルコは海外出張です!!」 大学で知り合った親友の名前を出されると、目頭が熱くなった気がする。くそ…マルコはあと半年帰ってこないってのに、思い出させるなよ。 それはそうと、ミーナは小学生の頃からの付き合いだ。フロックのことも覚えているかもしれない。 なんせ女子の記憶力はすごい。特にミーナは、人間関係においておそるべき記憶力がある。オレがフォルスターの名前を出すと、すぐにミーナは、「いたわね」と答えた。やっぱりオレやトーマスとは全然違うな。スーパーにつづく道筋を歩きながら、日記のことを話した。 「あったわね~そんなこと。それでジャンは、恐怖のあまりお漏らししたんだっけ?」 「はあ!? そんなこと覚えてないんだけど!!?」 「嘘よ、嘘」 「……はあ」 こいつの悪いところ、適度に嘘を混ぜてくるところ。ひとが本気で聞きたがっているのにあえて焦らしてくるところとか、手のひらで転がされてる感じがして疲れるわ。 街灯に照らされたミーナの横顔は笑っていた。つるりとしたおでこにかかった髪を揺らして、楽しそうだ。 「本当にジャンって子供の頃のことを覚えてないわね。私に昔泣かされたこととか、覚えてないんじゃない?」 「…しらねえ」 「ふふ、これは覚えてそうね」 そこはシークレットで頼む。オレが前を向いて歩きはじめると、ふと隣から漏れていた笑い声が止んだ。 「あ、でも」 ミーナの声が変わった気がした。 ――どうしたんだ? オレが隣を見ると、顎に指をあてて考え事をするミーナがいた。眉をよせて視線を落としている様子は、暗がりの中でもよくみえた。 「どうした?」 オレがたずねると、ミーナが言いにくそうに言った。 「いや、そういえば…と思って。今の今まで忘れてたんだけど」 「なんだよ急に改まって……忘れ物でもしたのかよ」 「そうじゃなくて。あんまり親しくなかったから忘れてたけど、ジャンが言ってたフォルスターってたしか、中学校に入学する直前に自殺したんじゃなかったかしら」 「―――は?」 「ほら、屋上から飛び降りて」 ミーナは続けて何かを言っていたが、オレはそれを聞いていなかった。 というか、聞ける状況じゃなかった。 顔色が悪いわよ、と心配された気もするが、何とか誤魔化してオレは家へ走って帰った。 鞄を玄関に投げ捨てて、すぐさまキッチンに飛び込む。今朝用意したピカピカのグラスを発見するが、もうそんな状況じゃない。 オレは焦っていた。 (一体…あのフロックは何者なんだ?) 赤毛を流した男は、確かに自分の名前をそう語っていたはずだ。 (あいつがフロック・フォルスターじゃなければ、なんでオレに嘘を吐くんだ? いや、むしろ……あいつは本当に人間なのか?) そう思ったときだ。 ポケットに入れていたスマホが振動した。 「っ、」 震える指先で苦戦しながら取りだすと、画面に【フロック】の文字が浮かんでいた。 メッセージじゃない、電話だ。無視しようかどうかと迷ってあたふたしていると、電話が切れた。それからすぐに留守電サービスに切り替わり、何かが録音されていった。 考えろ…考えろよオレ……一体なんで、このフロックと偽る男はオレのところにやってくるんだ。その真意を考えろ。 10秒ほどでその留守電は終わり、スマホの画面は黒くなった。 オレははっとして時計を見ると、まだ十九時になる前だった。よかった、約束の時間はまだ先だ。もしかしたら遅れるという連絡かもしれない。 心臓がバクバクと脈打つのがわかる。息が上がる。大きく見開いた目が、元に戻らない。 オレは自分でも分かるぐらい、恐怖を感じていた。鳥肌がとまらない。気を抜けば座りこんでしまいそうだった。 (とにかく、フロックに今日は来ないでくれと連絡をしないと……!) オレは慌ててスマホの画面をつけるが、指先に力がはいらない。こんなときにっ、くそ! ガチガチと歯をならしていると、ようやくスマホがついた。咄嗟に指が滑って、SNSではなく留守電の方を再生してしまった。 「ッ」 オレのスマホは優秀で、留守電の中身をテキストでも表示してくれた。 【………………なぁ  今、家の前】 キイィと甲高い音がした。 そういえばオレ、鍵閉めたっけ、 『ジャンくんへ。 とつぜんこんな交換ノートをはじめてしまってごめんなさい。それなのに受け取ってくれてありがとう。 ぼくの中でジャンくんという存在は、マンガのヒーローみたいにカッコいい存在です。どんな難しいことでも難なくこなしてしまうし、物おじしないその姿をとても尊敬しています。時どきがんばりすぎて大変じゃないのかなと、ぼくは心配になります。どうか、がんばりすぎないでください。あなたのファンはたくさんいます。どうかわすれないでください。 3年1組 ××フォルスター』 本当に、知り合いだったのかな? おしまい

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