抜けた乳歯と女児は帰らない

朗報、最後の乳歯、抜ける! 給食の鶏肉が旨くて水木好みだった。大きな口を開けて頬張ったのが悪かったのか、五時間目が始まっても奥歯はぐらぐらとしていて、配られた漢字プリントなんか、名前を書いたっきり一問も書けていなかった。舌でつついて遊んでいるうちに、ぽろりと歯茎からとれる感覚があった。 おや、なんか気持ちいい。 次の瞬間口の中に広がる血の味。その中で転がる奥歯をぺッと手のひらに吐き出すと、肉片をわずかに引きずった、大きめの歯が姿を現した。 やった、これが最後の乳歯だ!もうクリスマスにフライドチキンが食べられなくて涙が出るなんてことは起こるまい!永久歯でがぶりといけるなんて最高だ! 水木は小さくガッツポーズを決めた。 それはそれとして唾液と血で汚れた奥歯をどう始末しようかと眺める。はて、今は国語の漢字五十問テスト中。隣からティッシュを借りることもできるが、なんせ先週の頭に転校してきたばかりの水木には、どの子が嫌な顔をせずにティッシュを貸してくれるのかわからなかった。 いっそ担任の先生に言ったほうが早いかもしれないと顔を上げると、左の端から白い手を差し出された。 田中ゲタ吉だ。 「田中さん授業中に立たないで」 先生が早口で注意をするのを無視して、ゲタ吉は声変わりをする前の高い声をほんのり暗くさせて「水木さんの奥歯ください」と突き出した手で催促してきた。 丸みがとれてきた頬に、大きな目を片方覗かせる。少年はじっと静かに歯の受け取りを待っていた。 水木が、左列二つ後ろの席からいつのまに?と驚いていると、隣の席の女の子が悲鳴をあげる。 「きもちわるい!」 「そんなこと言っちゃダメよ、吉田さん」 違う女子が暴言を宥めるが、水木は、なるほど確かに気持ち悪い感じがするな、と後になって気がついた。人の奥歯を欲しがるなんてどういう思考をしているのだろう。普通に不衛生だし、なんというか怖い。 結局担任が間に入り、ゲタ吉を強制的に座らせ、水木にティッシュを渡して場をおさめたのだが、これが後の学校生活で【ゲタ吉奇妙事件】と不名誉な名で呼ばれる序章であったと、この時の水木は知らなかった。 水木が転校してくるよりも遥か前から、ゲタ吉という少年は気味悪がられていた。 外に出て遊びたがらず、他の子と会話をすることもない。ただ勉強も運動も苦手ということはなく、足の速さで言えばクラスでトップを争うほどだったという。非力そうなヒョロッとした体躯のどこにそんな力があるのだろうか。徒競争での姿を見た水木にはそれが疑問だった。 掃除の時間ですら話した姿を見たことないと女子たちは言っていたが、これが不思議なことに、水木には結構な頻度で声をかけに来るのだ。ただそのどれもがよく分からない内容なので、 「なるほど〜」 「ほぉー?」 と曖昧に笑って返すしかないのだが、それでもゲタ吉は満足するらしく小さな黒目を細めては「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言って席に戻っていくのだ。 これだけでもゲタ吉の奇妙さは伝わるだろうが、驚くなかれ。水木は転校初日にこの少年にスカートめくりなるものをされている。 この小学校の制服は男女で形が違っており、女子はサスペンダー付きのスカートを体育以外は着用するようになっていた。転勤族の家庭で育った水木であったが、生まれて初めてスカートの制服を着ることとなった。 膝小僧がくすぐったいなと眉を寄せるぐらいにはこの制服には抵抗があった。体を動かすのが好きな性分であるため、いくら下に体操ズボンを履いているとは言ってもソワソワするものはしょうがない。 それでもスカートの端をおさえながら、担任に小学校の中を案内してもらっていると、突然手首を掴まれてそのまま万歳させられたのだ。 「え?」 水木が固まっていると、続いて担任の焦る声がしてスカートを戻された。端の方が折れ曲がっている。 なにこれ? と目を丸くして犯人を見つめると、ゲタ吉(実はこれが初対面だった)は悪びれた様子もなく言った。 「なんだ下に履いてたんだ。驚かせないでくださいよ」 やれやれじゃねえよ。こっちの方が驚いてるわ。 さすがの男勝りな水木とはいえ、転校初日に口を荒げるのは印象が悪いと思い、唇をぎゅっと噛み締めて我慢した。でもあれって、完全にセクハラだよな?母さんに言ったらPTA案件だって言われるやつじゃないか? 水木の中で記憶を消したいランキング一位を保持し続けている出来事である。 パンツを見られなかったからよかったとかそういう次元ではない。女子のプライドが傷付くとか、そういう話をしているのだ。 「うちに遊びに来ませんか?」 ランドセルを背負って、帰る準備万端の水木に声がかかる。件のゲタ吉だ。話を無視しようにもあたりに同級生がいない。 諦めて階段を駆け足気味におりていくが、彼の足の速さといったら、運動が得意な水木にも簡単に追いついてくる。「ねェ」 左手首を掴まれた。 「っ、今日はスイミングがあるから無理だ!」 「水曜日は休館日ですヨ」 「あっそ」 腹が立って腕をはらう。今朝から下っ腹が張っているので何も無くてもイライラするのに、手首を掴むゲタ吉の手の冷たさと言ったら不快でしかない。 ただこいつの握力はすごい。振りはらったのにとれやしない。そのままぶんぶんと動かしても離してもらえないので、水木はついに観念して溜息を吐いた。 あからさまに不満です、と眉を寄せて。 「分かったよ…帰ってから行く」 「そのまま来てください。隣の集落だから怒られることはありません、先生も気付きませんヨ」 「……はぁ」 家に帰ればこっちのものだと考えていたのがバレている。落胆して肩を落とす。これは仕方がなさそうだ。 そろそろ手を離せ、もう逃げないから。そう伝えると顔がぐいっと近づいた。「うぉっ」慌てて仰け反るとランドセルが壁にぶつかる。 ゲタ吉の小さな黒眼に映る自分は逃げ腰だった。 「父も母も待ってるんで、喜びます」 お世辞だとしても居心地が悪いな。なんでアンタの親が喜ぶんだ。それより父親も家にいるのか。これは想定外だ。 しかしながら今更行かないと言うのは負けた気になるので、水木は、帰り道に寄ってお茶でも飲んですぐに帰らせてもらおうと決めた。ゲタ吉本人が乗り気でも親は案外家に他人を入れたくないものだ。水木の母がよく口にする言葉を思い出して、なんと無くこれは大丈夫だという気がした。 校内放送に急かされて、集団下校の列に並びに行く。隣の集落というだけあって、確かにゲタ吉のランドセルが見える位置にある。このまま歩いて帰れば無視できそうだけれど、きっとアイツはそれを許さない。 逃げないから、と伝えたときのあの目付き。鳥肌が立つほど喜んでいることがわかった。あれを断れば後が怖い。 ゲタ吉の家は知っていた。何しろ地元でも有名な幽霊アパートに最後まで住んでいる、怪しい一家だから気をつけろと、散々クラスメイトたちから言われていた。墓場の並ぶ坂の先にある崖に隠れるようにして存在するアパートは、昭和の頃には住人で賑わったらしいが、今やその面影もない。外の壁には大きな黒いシミ、階段には鉄錆の目立つ踊り場が見える、まさに幽霊アパート。怖いもの見たさでふざけて立ち入った餓鬼たちが、よなよな人魂が浮かんでいるのを見かけただのという噂もある。 田中一家が立ち退けば今すぐにでも撤去作業が始まるのに、と同じクラスの吉田さんがもらしていた。 列から逸れて山を登る水木を、六年生の女子が横目でジロリと睨むが、水木の手首を掴むのがゲタ吉だと気がついた瞬間、目を逸らした。まじかと言う暇もなく下校列は山道を登る。数分歩いてから墓の方に分かれる筋で、水木はゲタ吉と二人っきりになった。 幽霊だのを水木は信じていない。ただ不衛生な古い家にあがるだなんて、なんとなく気味が悪いだけで。 「僕ん家は四階です」 こんなに空き部屋があるというのにわざわざ上に住むなよ、とは言えないので、水木はランドセルを揺らして階段を登った。手すりなんて、いつから磨かれていないのだろうと、目を疑うほど錆びて塗装が剥がれていたので触れなかった。 まだ午後三時半過ぎだというのに天気がぐずついている。曇天の空は今にも泣き出しそう。嘘だ、私の方が泣きたい。今日は宿題が少ないから漫画をたくさん読めると思ったのに、ゲタ吉の家に漫画なんてなさそうじゃないか。 雨が降る前特有のじめじめとした匂い。 帰るまで降らないでほしいと思っていると、ゲタ吉が階段を登るのをやめた。 踊り場の左側にある、一つのドアの前でインターホンを鳴らす。緑の塗装が剥げて下の方は黒色が見えかけている。銀のドアノブがぐるりと回ったかと思うと、中から美人が出てきた。 (えっ、誰だ) と思う暇もない。 「おかえり、鬼太郎」 「ただいま帰りました。母さん」 なんとこの美女、お母さんであったか! Tシャツにジャージパンツのようなゆるい服装なのに身体のラインが綺麗に見えるのは、スタイルが良い証拠だろう。すらりとした長い腕でゲタ吉のことを抱きしめる姿は、まるでドラマのようだった。つりがちな目を伏せて、形の良い唇でキスを頬に贈る。なんというか欧米な方だな。 「帰ったか鬼太郎」 奥からもう一人声がした。現れた姿が、電球を隠すほど大きかったので少し驚く。今どき珍しい着物?浴衣?を着て、ゲタ吉とお母さんを抱きしめるその人は、えっと…。 「お母さんと、おじさん、ですか?」 居た堪れなくなって声をかけると、やっとゲタ吉の背後にいたこちらに気がついたらしい。小さな黒目を丸くしている。そういうところはゲタ吉と同じだなと気がつく。そういえば、“鬼太郎”と呼んでいたが一体誰のことなのだろう。まさかゲタ吉のことだったりするのか。確かにうちの婆ちゃんも、画数の関係で嫁入りの際に名前を変えたと言っていた。果たして子どもにも適応されるのだろうか。 「……鬼太郎、この子は」 絞り出すように小さな声を出したのは、浴衣の人だった。 「こちらは“水木さん”ですよ、父さん」 ゲタ吉が靴を脱ぎながら話す。つられて挨拶をした。「はじめまして、水木と言います」 しかしゲタ吉のお父さんは先ほどの水木の発言に腹を立てているのか、無言のままジロジロと水木の上から下までを眺めているだけだった。 先に声をかけてきたのは母親の方だ。 「まあまあ、この子が人を連れてくるなんて初めてなの。嬉しいわ!さああがってちょうだい」 両手を合わせてにっこりと笑う姿は花が咲くようだ。黄色い小さな花が似合いそう。水木は自分の親とは違う若々しいゲタ吉の母親にドギマギしながら、靴を土間に並べた。 どうせすぐに帰るしと、ランドセルは土間の端の方に立て掛けておいた。 あがってみると中は思ったよりも広く、しっかりと和室になっていて驚く。 ダイニングとキッチンは一つになっているが、井草でその間を分けていた。キッチンの床は掃除しやすいようにだろうかフローリングになっていた。奥に見える障子の先は寝室だろうか。お手洗いは玄関横の小さなドアのところだろうから、やはりそうに違いない。 ちゃんとした和室にソワソワとする水木を見て、女性がくすりと笑う。 「あ、えっと、ごめんなさい」 「良いですよ。ほら、奥もご覧になって」 ゲタ吉の母が障子を開くと、予想した通り布団が敷かれてあった。ウチにあるものよりも大きくてなんだかふかふかしてそうだ。でも、なぜ昼間なのに敷いているのだろう。ウチだったら寝汚いからと朝のうちに畳まれてしまうのに、もしかするとこの家は、あまりそんなことに頓着しないのかもしれない。 中を見ているうちに、ダイニングにあった卓袱台にコップと皿が並べられていた。 「さあさあ、せっかく水木さんが来てくださったのだから、家族団欒、おやつでもいただきましょう」 テーブルにゲタ吉、その真向かいに父親が座る。水木は先ほどの失態からできるだけこの父親の近くに座りたくはなかったのだが、正面に座ってしまうと嫌でも視線があってしまう、と構えていたので、左隣くらいなら目を瞑れるなと思った。 家の癖のまま、制服のスカートで胡座をかこうとする。しかしすぐに他人の家であることに気がついて正座をした。このスカート、あまり好きじゃない。膝丈だから、正座をするにも、体育座りをするにも長さが足りなくて処理に困る。 「いただきます」 声を揃えて、ゲタ吉たちがおやつの皿とスプーンを持ち上げ、中身を食べ始めた。ねちゃねちゃと粘着質な音を立ててスプーンをかき混ぜるので、水木は『納豆か?』とはじめおもった。 だが自分の皿を見て、ぎょっとした。 なぜか目が合う。 なんだ一体これ。 スプーンを差し込んで一粒のせてみると、ねちゃりとなにか糸が伸びる。イクラのようなものなのか。それにしては色味が相当違う。 「あの、これ」 水木がおそるおそる声をかけるが、三人とも無我夢中でおやつを口に放り込んでいて聞こえていない様子。 そんなに夢中になる美味さなのか? 水木はスプーンでぐちゃぐちゃと混ぜていたが、いっこうにつぶれないソレらに困り果て、一口食べてみることにした。 舌を伸ばして、ツンと舐める。味は特にしない。若干生臭いかも? その横顔を片目ずつ覗いている影があったことを、水木は知らない。 「んー?」 もごもごと唾液で溶かそうとするがまったく変わらない。それどころか転がる感じが妙に魚の目玉に似ている気がする。煮込み魚を食べていると時折口に入るアレだ。 しょうがないのでごくりとそのまま飲み込めば、ちょうど食べ終えたらしいゲタ吉に声をかけられた。 「美味しいですか?」 「んー、んー?」 首を傾げて困り果てる。美味しいかと言われると正直上手くはない。しかしせっかく彼の母親が出してくれたというのに、それを不味いと断ってしまうのも悪い気がする。 水木の家だっておやつと称して、酢もずくを食べる時だってある。腹が満たされればなんだって良いだろう。それに今日はゲタ吉が突然私を連れて帰ったのが悪いんだ。おやつの文句なんか言えまい。 「初めて食べたから驚いたけど、面白い味だね」 水木は考えうる最大の無難な言葉をいった。嘘はついていないはずだ。 それが正解だったのか、三人は一様に目を細めてにっこりと笑った。おや、この親子似ている。父親とゲタ吉は瓜二つだとはじめから思っていたが、こうして見ると母親にもそっくりだ。 「しっかり食べてください、水木さん」 「そうじゃ、水木よ。腹にしっかり残るようにたんと食べておくれ」 初めてゲタ吉の父親に話しかけられる。優しげに微笑まれると、若干恥ずかしい。 「は、はい」 視線を逸らして一粒、舌にのせてまた飲み込む。噛んで食べろとは親によく言われているが、なんとなくこれはそういう食べ方じゃない気がした。 コツを掴んでそのまま何粒か飲み込むと流石に腹が膨れてきた。でもまだまだおやつはある。どうしよう、と迷っているとゲタ吉が手を出してくれた。 「あとは僕が食べますよ」 「あらごめんなさい、水木さん少食だったのね」 「よいよい。これからまた知っていけば」 その台詞に二人が頷く。なんというか、懐の深い人だなという印象。 水木は腹が張るのを感じていたので、よかった助かったと、ホッとしていた。 おやつの締めにずずっとお茶を飲んでいると、窓の外でカラスが鳴く声がする。なんだろうか。天気が悪いせいで時間が分かりにくいが、もうそんな時間なのか。それにしては五時のサイレンも鳴っていない。 ふと見渡すとこの部屋には時計がないことに気がついた。それどころかテレビもない。一体どうやって時間を見ているのだろう。 「今何時ですか」 水木がそうたずねると、ゲタ吉の母親がにっこりと笑う。 「きっと四時頃よ」 「でも…私たちが帰った三時半から30分以上は確実に経っています。四時じゃないはずです」 「妻が四時だというのだから、間違いないんじゃよ」 ゲタ吉の父親が茶を啜る。 「そうですよ水木さん。そんなに焦らなくても良いじゃないですか」 「人の家に遅くまで入れないよ。学校の門限もあるし、それに雨が降りそうだし」 「雨が降るなら、このまま泊まれば良いじゃないですか」 ゲタ吉の呑気な声にイラッとする。 「簡単に言うな!そんな、他人の家にいきなり泊まれるわけないだろ」 「私たちは歓迎するわよ、ねえあなた?」 「そうじゃなあ。それがええ」 的外れな話の展開に頭が痛む。変わった子どもの次は、変わった保護者ときた。これは二度と行きたくないな。 「それに水木さん、漢字テストの勉強で疲れてるって言ってたじゃないですか。無理しなくていいですヨ」 「あら、そうだったのね。まだ子どもなのにそんな無茶しちゃだめよ、体を大切にしなくちゃ」 「もう小学五年生です、子どもじゃないです」 水木は眉を寄せたが、その姿ですら三人はニコニコと口角を上げていた。なんだか居心地が悪い。正座をし直すと、怒りのせいか腹の底が妙に温かかった。 「四時はお昼寝の時間よ」 「寝る子はよう育つ、水木もたっぷりと眠るがよい」 腰がぞわりとする。驚いて左後ろを見ると、白い手が撫でているではないか。 慌てて膝を引いて、ゲタ吉の方に後ずさる。 「っ田中くん!おまえの父親、変だッ!」 「さみしいのぉ、水木。ゲゲ郎と呼んでくれんのか」 ゲタ吉を振り向かせようとあげた手を、後ろから伸びてきた大きな手で覆われる。振り返る必要はない。ゲゲ郎と名乗った男の仕業だ。 「くそッ」 驚いて振り払おうにも大人の力には敵わない。ただでさえゲタ吉の手すら離せないのに。 「離してください!!」 躍起になって、空いている右手でゲゲ郎の腕を引っ掻くが、その手首まで掴まれた。後ろに押し倒されて目をギュッと瞑る。後頭部に畳がぶつかって痛さで目の前が弾けた。 どんよりと暗い窓から差し込む少しの光の下、水木の股の間に体を差し込んできたのはゲゲ郎だ。 「やめ、ろ!!はなせっ!!」 口汚く罵りながら短い足をバタつかせるが、スカートが邪魔をしてろくな抵抗もできない。殴ってやろうと腕を動かそうとして、畳に固定されたことにショックを受ける。 大人にこんなことをされたことはない。怒っているのだろうか、おじさんと間違えたことを。水木はだんだん顔色が悪くなってきた。 嫌がらせのためにこんなことをするのか。 「や、やめろ、って」 言ってもわかってもらえないことは知っているのに、どうしたら良いのかわからなくて、情けなくて、後から後から涙がこぼれ出た。 掴まれた手では涙を拭うこともできない。万歳した腕のままで静かに泣いていると、お腹の中が温かくなる。体は冷え切って震えているというのに、なぜこんなにも腹の中だけ。 「泣かないで」 目尻にキスを落とされる。ゲタ吉の母親の唇は冷たかった。びくりと肩を震わせていると、誰かに腹を撫でられる。 「水木さんが泣くとたまらなくなるから、どうか泣かないで」 ゲタ吉だ。冷たい手で腹を撫でられるとくすぐったくて、なぜか愛おしい気持ちになる。でもその手つきがあまりにも優しくて、本当に学校で意地悪をしてくるあのゲタ吉なのかと疑ったほど。 「水木」 手首を掴むゲゲ郎に声をかけられると身体がびくつく。別に悪いことはしていないのに、なぜかその名前を呼ばないことを責められているような気がした。 「水木」 「…っ」 掴んだ右手を引っ張られて、ゲゲ郎の頬につけられる。やっぱり冷たい。まるで死人みたいな冷たさだ。あまりに心配になって、 「大丈夫か…?」 とたずねる。 ゲゲ郎は一度目を丸くしてから、やはりにっこりと笑って「水木に会えたんじゃ、これぐらいどうってことないわい」と言った。 なんとも言えない気持ちになって、胸が苦しくなる。また涙の道を伝って新しい涙が流れる。なんで、こんなにも胸が痛むのだろう。 「嗚呼、もう泣かんでおくれ。おぬしの涙にはなれんのじゃ」 思わずといったように水木の手首から手を離して、指で涙を掬われる。やっぱりこれも、冷たいなぁ。 「へへ…冷たい」 水木が泣きながら笑う。 ようやくなんとなく、このゲゲ郎という男のことを知れた気がした。 そのうち、優しく頭を撫でるゲタ吉の母親の手のリズムはつられ、水木はうとうととし始めた。 いけない、昨日漢字テストの予習をしすぎたか。まさか人の家で寝るわけにはいかない。 「いいんですよ、おやすみなさい」 呟かれた甘い囁きに水木は瞼を重くする。腹の温かさもあいまって、あらがいがたい眠気に変わる。 「おやすみ、水木よ」 冷たい手が頬を撫でる。指先に水木の温かさが移ったのか少し体温があった。 「おやすみなさい、お義父さん」 そういったのは誰だったのだろう。 そういや、漢字テストの予習の件、ゲタ吉に話したんだっけ? はじめに動いたのは妻だった。 横たわる水木の首裏と膝裏に手を回してそっと持ち上げる。まるで赤子の鬼太郎を抱き寄せていた時のように優しい手つきで、寝室に用意してあった布団へと運んだ。夫婦の敷き布団では大きすぎるようで、水木は白い生地の中心に、肢体を伸ばして静かに眠っていた。 暗がりでも見えないことはないが、人間の礼儀に倣って電球の小さいものだけを点ける。 ぱちん。 あれほど切望した水木だというのに、見た目がかつてとは違うせいか手が伸ばせない。 水木の右手側に腰をおろしてからも、手を触っても良いか、涙のあとを拭うべきか、と迷ってしまって落ち着かなかった。 反対側に座る鬼太郎も同じ様子で、水木の制服のサスペンダーを肩から下ろそうかどうか、指をかけたまま固まっている様子だ。 いたいけな女児のあどけない寝顔に悪さをすることなど、果たしてできるのだろうか。 真っ先に動いたのはやはり妻だった。膝立ちで水木の足元ににじり寄り、赤いネイルの光る指で水木の白い靴下を脱がせた。「持っててね」 渡された鬼太郎はドギマギしながら、ポケットにそれを入れていた。 指を滑らせて、水木の足首から膝小僧までひと撫でする。今の水木もやんちゃをしているのか、大きめの瘡蓋ができていた。カリカリと端を引っ掻くと、肉付きの良い太腿が震えて膝を立てた。 見惚れていた鬼太郎もまた、積極的な妻の様子に感化されたのか、水木の足元に移動していった。左足の甲に自分のてのひらを重ねたり、先ほど受け取った靴下を鼻に当てて胸いっぱいに嗅いだりと、水木が見ればおおよそ失神してしまうようなことをし始める。我が子ながら良い趣味をしておる。 「あら」水木のスカートの中に顔を入れていた妻が声を上げる。鬼太郎に退くように言って、その足首に引っかかった体操ズボンを引き抜くと、そのまま水木のふくらはぎを両手で掴み灯でパンツが見えるようにした。 動物のキャラクターの描かれた可愛らしい下着の中心がしっとりと赤黒いもので汚れている。 「怪我をしておるのか」慌ててたずねると、妻は首を振った。 「生理だったのね、申し訳ないことをしたわ」 「せいり、とはなんじゃ?」 「人間の女の子がなるものよ。私たち幽霊族には無いのだけど、まさか水木さんがもうなってただなんて。初潮だと良いのだけど」 次々と知らない言葉が飛び交うので鬼太郎と二人して首を傾げていたが、妻から「水木さんのランドセルに巾着は無いかしら」と言われて土間に探しに行く。すぐに帰るつもりだったらしい水木のランドセルは、持ち主を無くしてコロンと端に転がっていた。 鍵を外してからポケットを探るとたしかに巾着が入っていた。指で開いて中身を確かめる。包まれた薄い何かが複数個入っていた。 「これでよいか?」 「ありがとうあなた。やっぱり初めてじゃなかったのね」 受け取った妻はその巾着の中身を見たが、取り出そうとはしない。むしろ自分の足元に置いたまま、水木のパンツのゴムに指をかけた。 日に焼けていないはずなのに健康的な肌の色、足の付け根にある黒子の位置、まさにかつての水木のまま。ただ違うのは、うっすらと生え始めた陰毛と臀たぶを伝う血液。前の水木はもう随分と大人な体つきをしていたので、男くさいほど毛はあったし、それを整える時代ではなかったので剃りもしていなかった。男性ホルモンが多くないからか体毛は濃くはなかったが、それでも性器をしっかり覆うほどの量はあった。 だが今の水木はまだ成熟していない身体だ。恥毛が生えはじめた恥丘はふっくらとしていて、男性器の面影もない。それどころか、ちらりと顔を出す陰核が妙にいやらしい。 本当に女になっておる。 あまり大きくない胸に反応が悪かった鬼太郎も、流石にそれを意識したのか四つん這いになって水木の股の間を覗き込んでいる。 「水木さん、女になってますね」 「そうよ、だから、うんと可愛がってあげなくちゃ」 「どこから血が出ておる?」 「んー…あまり見た目じゃわからないわね」 部屋中に広がる鉄の生臭さに、妻の瞳孔が開き気味になる。わかるぞ、妻よ、確かにこの香りは芳しい。においの出どころをたしかめておかねば気が済まないことは間違いない。 すんすんと鼻頭を動かしていた妻を手伝うように、水木の頭の方に回る。水木の両足首を掴んで頭の方まで押し倒してやると、肛門から恥ずかしい部分まですべて見渡せた。少し苦しげに水木は唸ったがそれでも目は覚めなかった。 その間に妻は原因を見つけたのか、一度舌舐めずりをしてから水木の恥部に吸い付いた。頬を膨らませてしゃぶりつく姿の淫乱さと言ったらこの上ない。昔から彼女は大きく口を開けるが、それを間近で見た迫力といったら。 ごくりと妻の喉が何度か動き、もぐもぐと頬を動かす。そのうち水木の身体もぴくりと反応を見せた。 「っぁ」 足が空を切る素振り。ジタバタとか弱い抵抗を見せる。もちろん手は離してやらないが。 「気持ち良いか、水木よ」 返事はない。しかしながら腰が揺れている。背中も反り始めているではないか。それは水木が感じているサインだった。 「水木さん、気持ち良いですか?」 鬼太郎が代わりにきたので場所を交代する。迷いのある儂とは違い、鬼太郎は水木の足首を強く握りして絶対に逃してやるものかと固定していた。 「ン、ぅ〜〜!」 爪で布団を引っ掻く水木の頬が赤みを帯びる。妻は舌でナカを堪能しているのか、水木の下腹部が軽く膨らんでいた。 水木の息が苦しそうに吐き出される。 「ぁ、っぁ」 喘いでいる。そう気付いたのは全員同時だったと思う。 手淫もしたことのない、接吻すらしたことのない水木が、ナカでイこうとしている。処女なのは間違いないが、それは“オンナ”としての本能だった。 太腿を震わせて布団を握り締めていく癖は、射精をする直前によく見た光景だ。飲み込めない唾液を口の端からこぼして、顔を真っ赤にして小さく喘ぐ。悲鳴にも似た声で「っこ、こわ、ぃ、きたくな、い!」とバタつかせる脚を何度掴み開いたか。…だが怯えるその姿に盛り上がった夜があることも事実。 意識が無くてもイくのを怖がる癖は抜けないらしい。軽くイったのか、びくびくと腰を振りながらも、口では「ゃ、っ」と譫言のように繰り返していた。掴み上げられていた膝を下ろされてからも、水木は膝を立てたまま、引き攣った息を整えるのに大変そうだった。 「ーー嗚呼、なんて可愛い」 妻がずるりと舌を抜き、口の周りに着いていた血をべろりと綺麗に舐めていく。華麗な舌捌きに見惚れていると、妻がにっこりとこちらを見て笑った。 「そんな助兵な顔をしちゃダメよ、あなた」 「わ、わしはそんなこと」 「鬼太郎も怖い顔しないで」 「ぼくもですか?」 とぼけた声を出すわりに確かに鬼太郎の視線が鋭い。なるほど、儂もあんな顔をしているのか。 「水木さん、あなた達の赤ちゃんを産めるように頑張ってるんだから、優しくしてあげなくちゃ体が持たないわ」 ぴくりと動きが止まる。どういうことなのだろう。 「あら、知らないの?」 生理はそういうものなのよ。 歌うように笑った妻は、固まる二人をそのままにして、愛おしそうに血がついた水木の太腿にまた吸い付いた。 昨日の記憶といえば、おやつをゲタ吉の家で食べてから曖昧だ。いつの間にか遊び疲れて寝ていたらしく、ゲタ吉の父親に背負われて家に帰ってきたと母には聞いた。 そんなに遊んだっけな、と水木は不思議に思いながら風呂に入る。昨晩はそのまま布団に入って寝てしまったので、歯磨きもお風呂もせずに、若干気持ちが悪かった。 よく母さんには親父くさいと言われるが、熱めのお湯を出して浴びるのが水木のお気に入りだ。 湯は溜められていないのでシャワーだけで済ましてしまおうと、背を伸ばしてヘッドを持ち上げた時。 「ん?」 太腿の間から何かが伝うのがわかった。生理だろうか。慌ててシャワーを当ててみるが血は流れない。それどころか、膝が笑ってしまって、「ぁっ」思わず身体がよろけた。肩を壁に預けてから、水木ははてなを浮かべる。 なにこれ、ジンジンする。変な感じ? なんとなく触っちゃいけない気がして、水木はシャワーを弱くしてから軽く洗う程度にした。いつもならスポンジで擦って洗うのに、なぜか触れることもできなかった。 タオルで股の間を拭くときも、尖っている陰核を避けて拭く。水木はよく分からないままタンクトップ、制服の順に着ていった。パンツを履くときには、太腿から漏れていた液体が気になって、生理でもないのに小さなナプキンをつけた。その生地の擦れる感覚だけで、股の中がきゅんっとした。一体どうなっちゃってるんだろう。水木の頭の中に病気という文字が浮かんだ。 「あらあんた、スポブラつけないの?」 脱衣場からリビングに行ってすぐ、朝食を作っていた母さんに声をかけられた。 「なんで?」 「だってもう、胸膨らんできてるでしょ。そんなタンクトップだけじゃ、透けて見えるわよ」 「え〜」 水木は嫌そうな声を出して抗議する。あの締め付け感というか、圧迫感が好きじゃない。それになんか、アレがあるせいで女という感じがして嫌なのだ。 そんなにまだ胸はないはずだし。 水木は母の言葉を無視して洗面台に髪を乾かしに行って、すぐに気がつく。体操服を押し上げる変なぽっちが二つ。しっかりと主張しているのは乳首に他ならなかった。 「え、なんで」 思わず服の上から腕で覆い隠す。すごく恥ずかしい。なんで? 昨日まではこんな変な形じゃなかったはずなのに。 慌てて、母さんが買ってきてそのままにしていた新品の下着を棚から取り出した。制服とタンクトップを脱いで、すぽっと被るタイプのブラジャーを身に付ける。そして鏡に映る自分のおっぱいの形を確かめた。 なんだか、本当に女の子になっちゃった気がした。 両手で胸を隠して、顔が俯く。そのまま水木は数分の間泣いた。理由はない。だけど、なぜかすごく悲しかった。 重い足取りでリビングに向かうと、牛乳を出される。 「…母さん……私ちょっとの間、牛乳いらない」 「なんでよ。アンタこれ好きだったでしょ?」 「だって、胸大きくなってほしくないもん。変な形になっちゃうから……」 母さんは何も言わない。でも何かを察してくれたように、無言で牛乳の位置を変えてくれた。 歯磨きを強めにやってすっきりさせて、それからテレビを見ながらランドセルの準備をすると、すぐに登校の時間になった。 「行ってきまーす」 水木が玄関を出ると、なぜかそこにゲタ吉がいた。 いや、なんで、いる。登校の地区が違うだろ。 朝の件もあって苛々としていた水木はゲタ吉を無視して通り過ぎようとした。 「水木さん、おはようございます」 こちらの気分なんかお構いなしにゲタ吉は話しかけてくる。それどころか、若干ご機嫌そうに口笛なんか吹いちゃってる。 水木はむかっ腹が立ち、思わず大きな声を出した。 「朝からなんだよ、気持ち悪い!」 ゲタ吉が口笛を止める。 しまった、言いすぎた。水木がハッとして口元を押さえたときだ。 「腹のややこの様子を見にきたんですよ、水木さん」 ゲタ吉がやさしくお腹を撫でてきた。 おしまい

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