腹が膨らめば千冬は笑う

夏が本格的に始まった。 高校受験が控えているとあれだけ宣言したというのに、高校生組のみなさんは「オレと同じ高校ならいつでも行けるから安心しろよ♡」だの、「八戒が拗ねてたから適度に相手してやってくんね?」だの、好き放題言ってくれる。三ツ谷君までそれを言い出してしまったらおしまいだろうと思ったが、武道は口に出さなかった。 夏休みにまで補習を受けるのはばかばかしいし、まがいなりにも社会人を経験している武道にしてみれば十数年前にすでに習った内容なので、出席日数が足りないだなんて理由で留年することだけは避けたかった。それに、ちゃんと高校に通いたいという思いはとても強かった。 今日は半日授業の日だ。鞄が軽くてありがたい。数冊しかない教科書を手早く鞄になおしていると、珍しい名前が携帯のディスプレイに表示された。 『松野千冬』 どうしたんだろう? いつもは電話をしてくるというのに、なんでメール? LINEとは違う操作に手間をとられながらもメールフォルダーを開くと、そこには簡潔に、 『駅前のコンビニ』 と書いてあった。 千冬にしては珍しくそっけない文章だ。 何か腹の立つことがあったとか、殴り合いの末に身動きが取れなくなって連絡してきたとか、そういったところだろうか。若干の違和感に首をかしげる。 まあ、とりあえず行ってみれば分かるだろう。 いつものメンバーに断りを入れると「はあ? 今日はクレープ食うって約束したじゃねえか!」というジト目を振り切って教室を後にした。 いつものコンビニではなく、少し離れた駅前のコンビニまでは20分かかる。 夏の日差しに脳天が焼き尽くされそうになった頃、やっとの思いでコンビニにたどり着いた。 「あれ、千冬?」 てっきり店内で待っているとばかり思っていたのに、千冬は駐車場の縁石に腰を掛けてうつむいていた。 「おーい熱中症になるぞ、中入ろうぜ」 「ぁ…タケミっちか」 見慣れない制服の襟首がぐっしょりと変色している。どれだけ外にいればそんなに汗が出るんだ。 千冬の返事が上の空だったのが気になったが、とにかく店内に入って熱をとるほうが先だ。 見た目よりも軽い千冬に肩を貸しながら店内に引っ張り込むと、自動ドアの開閉と同時に冷ややかな風が体を包み込んだ。一瞬脳内がキーンと痛む。あ~きもちいい。 「大丈夫か?」 たずねてみるが千鳥足の千冬は小さくうなるのみ。本当に気分がよくないのかもしれない。 手短に経口補水液を選び、店員に事情を説明して店の端のほうで飲む許可を得た。 「飲めそう?」 ペットボトルのふたを開けて口に持っていった際も、千冬は力なく首を振った。それでも何も飲まないわけにはいかないだろうと思い、強引に唇に押し当てて濡らす程度にかたむけてやった。 ちびちびと唇が動いて、舌で経口補水液を舐めているのが分かった。ペットボトルの中身は一向に減らないが、それでも飲まないよりかマシだろう。 「千冬、大丈夫か?」 「ン……少し楽になった…わるい」 定まらない視線のまま千冬が無理やり笑おうとするので、心配になって肩をつかんだ。 が、掴んだ肩がやけに骨くさくて驚く。 (千冬ってこんなに細かったっけ?) 理由もなく、冷や汗が噴き出る。コンビニが寒すぎるからだろうか、指先がやけに冷たかった。 そんな武道の様子はつゆ知らず、千冬はこんなときにも「場地さんには黙っててくれ」と言っていた。どうして今彼の名前が出るのだろう。 「情けない姿は見せらンねえよ」 千冬がうつろな目をして呟く。 そんなこと言ってる場合かよ!? と武道は喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込み、千冬の言葉にうなずいた。 千冬の覚悟を知っていたからだ。尊敬、憧憬、恋慕――様々な思いをじっくり練りあうことで松野千冬という男は作られる。そのどれが欠けても彼ではなくなってしまうし、逆を言えば、場地圭介に対する強い思いがあるなら大丈夫だ。 「わかった…。けど、なんでそんなにオマエの体調が悪いのかぐらいは教えろよ」 「ん、ありがとな」 ぽそっとつぶやいた千冬は、周囲を緩やかに見渡してから「ここじゃ話しづらい」と言った。振りまいた視線の先で、店員は睨まれていると感じたのか「ひイ!」と声を上げていたのが、場違いすぎて笑えた。 そうなんだよな…千冬ってオレたちの中じゃ細いイメージあるけど、一般的に言ったら別にそうでもないんだよな。 (なのにさっき触った千冬の肩、すごく細く感じた) 今にも折れそうだと思ったのは初めてだ。そんなこと、ヒナ相手にも思ったことないのに。 背筋に冷や汗が流れる感覚を覚え、それを振り切るために武道は自分の頬を一度たたいた。 パシンッ。 「うっし! じゃあ、オレんち行こう」 千冬の家は場地と同じなので、最悪鉢合わせする可能性がある。そのため向かうのは武道の家一択だった。 「最近、腹の調子わるいんだ」 正直信じられなかった。 腹が痛いだけで、あんなに体調を崩すもんか。それに制服の裾がずり落ちかけている。明らかにサイズが合っていなかった。 家に着くなり千冬はふらふらと壁に手をついた。 武道に肩を貸してもらいどうにかリビングまでたどり着いたが、ふわふわと要領を得ないことを言い始めたので、なかば強引にソファーに寝転がした。うんうんと千冬はうなったが、知ったことじゃない。病人は静かにしておけって話だ。 腋の下も冷やしたほうがいいかと思って胸のあたりに手を置くと、その冷たさに驚いた。 あんな炎天下を歩いて帰ったのに、この異様な冷たさはなんだ? 制服越しでもわかる低体温に、おもわず手を引っ込めた。 「タケミっち」 「な、なに?」 「腹が痛い」 「はら?」 千冬が自身の腹をさすりながら言った。 心配になって手を重ねる。「え?」  なにか盛り上がってた。 無心になって撫でまわしてみるが、手のひらの下でぼこぼこと丸い物が移動し、一向に違和感は消えてくれない。「ごめん千冬」 短く断ってから制服をめくりあげる。 平べったくつるりとした腹。色白いどころか蒼白くさえ見える肌に、喧嘩のしるしである鬱血痕がいくつか散らばっている。そしてその中央には――ゴルフボールほどの大きさの瘤。 「なんだ…これ…」 「おかしいだろ。腹の中でコロコロ動いてンだ」 「こ、これが痛みの原因?」 「いやこれ自体は押しても逃げるだけだし、痛くねえ」 「じゃあ千冬はどこが痛いんだよ!?」 焦りから語尾がきつくなる。 怒っても仕方がないというのに大人げない。 「腹の奥のほう。キリキリっていうか、ぐっと押しつぶされてる感じがする」 千冬に手を引かれて位置をずらす。なんでこんなところが痛いんだ? 瘤の根元のへこみに指をあてて少し力を入れると、「ッ!」千冬の顔がしかめられた。抗争でもあまり見かけない表情に、事の重大さを察する。 これはぜったいに病院に連れて行ったほうがいい。尋常じゃない痛がり方だ。 制服を戻してやりながらそう提案したが、それでも千冬は頑なに拒んだ。 「あそこは場地さんのじいちゃんがいる。もしも鉢合わせなんかしたら、言い訳できねぇから」 「でもこれを放置して悪化させたほうがやばいって!」 「頼む、タケミっち」 近くにある病院は東第三病院以外にない。 あくまで千冬は、我慢を続けて自力で治すつもりらしい。 武道は、がんがんと痛む頭でよく考えた。本当にこのままでいいのだろうかと。 いくら千冬の希望とはいえ、こんなに痛がっているのは普通じゃない、絶対に今すぐ診てもらうべきだ。…そのはずなんだ。しかしながらその一方で、東卍の男たちは理屈で生きてないということも十分知っていた。 彼らは長生きすることなんか考えちゃいない。自分の認めた男の信念を己の信念とし、それだけに生涯をかけていくんだ。そのため千冬のすべての基準は、場地にダサいと思われるかどうかにある。それならばもう、最初から選択肢はなかったんだ。 武道は下唇を噛み、自分の選択肢を受け入れるのに必死になった。 相棒として病院に連れていくのではなく、場地の部下としてこれからも痛みとたたかっていく道を応援しよう、と。 「タケミっち、ありがとな」 「ッ。本当に…ダメだと思ったら言ってくれ」 眦に浮かんだ涙を指で払いのけて、強い口調で言い返す。 きっと千冬のことだから、根性で治せるはず。きっと今はぶかぶかの制服だっていつも通り似合うようになるはずだ。体温だって元に戻るはずだ。そう思うのに、さっきから鼻水が出てくるのはなんでなんだ。 涙目を何度もこすると、千冬は猫のような目を細めてニッと笑った。 「ししっ」 まるで彼の敬愛する隊長のような笑い方だった。 いくら他人の変化に鈍い場地とはいえ、周囲が「最近の松野ってなんか女子っぽいよな」と言い始めれば、彼氏として気になるわけで。「は? 何オマエ、千冬に目ぇつけてるワけ?」と脅し半分に言ってみたものの、たしかに最近の千冬は様子がおかしいと思っていたところだ。 最初に違和感があったのは、財布を落とした時。身をかがめて拾うだけの動作なのにもたもたしていたのが気になった。膝を慎重に折り曲げて、できる限り体を傾けないようにしていたのが不思議で、なんとなく「オレがいねえときに、ケンカやったンか?」と聞いた。千冬は苦笑しながらうなずいた。「オレも誘えよ。体がなまってなまって仕方ねえワ」と返すと、その会話はそれでおしまいになった。 以降、気になることはちょくちょくあった。 昼食を誘いに行っても「早弁しちまって」と断られ、場地のみが弁当を食うという流れが何日もあった。そうかと思えば、弁当を二つも持ってきてバク食いする日があった。そのあとは決まってトイレに駆け込むので、『食いすぎてウンコしてんだな~』と思って放っていたが、なんか変だなとは感じていた。 けれど決定的だったのは、今日の体育だ。 「何か知ってんだろ、たけみっち」 場地の声のトーンがいつも以上に低かったせいで、いやでも機嫌の悪さがわかってしまった。 (千冬ぅう! これはもう無理じゃね?!) 武道は、ここにはいない渦中の男のことを、心の中で呼び続けた。 どうにかして千冬に連絡を取ろうとして視線を逃がしたが、三ツ谷と目が合った。「最近の千冬がぼーっとしてンのとなにか関係あるのか?」と重ね重ね指摘されてしまえば、逃げ場などどこにもなかった。 いつもより早い時間に集合と言われた時点で気づくべきだったんだろうな、とは今更後悔することだ。 たしかに千冬の腹の瘤は、日に日に肥大化していた。 今ではもう彼の拳より大きくなっている。大きめのロンTを羽織って何とかごまかしているようだが、さっきの場地の話から推測するに体育中はそんなことも言っておられず、球技でボールがぶつかりそうになるたびに腹をかばっている姿が目立っているらしかった。体育館を半分にした向こう側で隣のクラスの場地が睨んでいたことにすら気がつかないなんて相当の重症に違いない。 武道は最初、『部下である千冬に無視をされたから場地は怒っているんだ』と思っていたが、そういう話ではないらしい。 「最近誘っても断ってきやがるし」 「場地さん…」 武道は複雑な心境になった。膨らんだあの蒼白い腹を押したとき、青筋が立つほど痛がり呻いた千冬の姿を思い出したからだ。 「あのーー」 だんまりを続けても千冬の痛みが減るわけじゃない。 約束をたがえることへの恐怖より、痛みから解放してやりたいという思いが上回っているのに、どうしてオレは黙り続けたのだろう。 (千冬、ごめん) 彼に謝罪してから、武道は二人にことのなりゆきを話し始めた。 そのうちにドラケン、マイキーが順にやってきたので、同じ説明を繰り返した。その間珍しく誰も発言をしなかった。閑散とした神社の境内には木々がこすれる音だけが響いていた。 「なんか」 風に髪を躍らせたマイキーが、流れ去りそうなほどささやかな声で言った。 「ガキいるみてえ」 「は――?」 声が漏れた。 マイキーの黒目がぐるりとこっちを向いた。「?」 …なんでこっち見てくるんだ。 あ、さっきオレが失礼な反応をしたからか。 「すんません、変な声出して」 「タケミっちはそう思わねえの?」 「その…ガキがいるってやつですか?」 「うん。だって腹が膨らんできてんでしょ?」 「いやいやいや千冬は男っすよ!?」 いくら体が薄いとはいえ、ついているものはついている。一緒に銭湯に行ったときに見たのだから間違いない。なにより直接触れたことのある場地が何も言ってこないのだから、女の訳がない。 「千冬が男ってのは知ってる。けど、ヤリ過ぎて女になったとかありえねー話じゃないだろ?」 「その原理でいくと、同性愛者の何人かは性別変わってますけどね」 「千冬ぅ…」 場地さんが眉を寄せてうなっている。あ、これはダメだ、信じた顔だ。自分に責任があると思い込んでるな。 なんちゅーことを言ってくれたんだ、マイキー君! とマイキーのほうを見ると、こちらも至極まじめな表情で「タケミっちもそろそろかな…」とか言っていた。いつの間にオレたちはそういう関係になったんですかね。また世界が変わったのか、オレの知らない間に。教えてくれヒナ、童貞処女の何が悪いんだ。てかいつの日か家に乗り込んでくる気だよ、この人。ヒナと二人でいてもお構いなしにやって来る気だよ。そのときはオレのケツを守ってくれると嬉しいかなハハハ。 すこし遅れてきた八戒にたいしてコソコソと説明をしていた三ツ谷が、いったん話を止めてから大きな声で、「馬鹿言ってないで真剣に考えろよー」と軌道修正してくれたので、武道はほっと胸を撫でおろした。 しかしすぐにドラケンが、 「オマエも気をつけろよ三ツ谷ー、中出しは特にやばいってよー」 とねじ込んできたので、あやうく軌道修正不可になりかけた。 とりあえず本人がいなければ話にならないという結論に至り、武道は複雑な心境のまま千冬を呼び出すために携帯を開いたが、場地が「オレが責任とるっつー話だろ」と言い出し、そのまま電話をかけてしまった。 いつもは場地の電話に2コールもあれば出る千冬が、たっぷりと時間をかけて出た。きっと家の中で倒れていたのだろう。それを察したからこそ、場地もいつもの口調を噛み砕いていた。 「ムリねえ範囲で来れそ? あーうん、そんな大事な用じゃねえし……慌てんなって、つーか家迎えン行くから、そのまま待ってろ」 会話の終わりと同時にバイクのほうに向かった。どうやら今から迎えに行くらしい。たしかに歩いて来させるには不安だが、だからといって家で話せば親に腹の話がばれてしまうことへの配慮なんだろう。 これがパートナーを大切にするということか。あの、初対面でいきなり殴ってきた一番隊隊長の場地さんが、こんなに人を思いやれるようになるだなんて――人って変われるもんなんだなと武道は感動した。 数十分後、鈍足のバイクに乗った二人が到着した。 境内に入るなり千冬は目を瞬かせたが、メンバーを把握した途端今度はその顔色が悪くなった。 「千冬、その」 謝ろうと思って一歩踏み出したが。 しかし。 「オマエ、オレたちに何か隠してんの?」 階段に腰を下ろしたマイキーがそう言えば、武道の動きは止まった。心なしか千冬の顔がこわばった気がする。それでも総長から目を離すことはできない。それが東卍の男だ。そしておそらく無意識だろうが、千冬の手は腹を覆っていた。 「ハラ、見せてみろ」 「場地さんでも嫌です」 「はァ?」 場地の声が低くなる。一般人なら悲鳴を上げそうなほどの凄みに、千冬は視線を一切そらさない。 「醜態さらしたくないっす」 「このヤロウ…」 場地はがしがしと後ろ髪を掻きあげた。こうなった千冬は頑固として言うことを聞かない。同じ頑固者としてよくわかっていた。めんどくせえという言葉が出ないだけ、場地は彼に対して甘いのだろう。 しかしながらここに集まっているのは血の気の多い男たちばかりだ。すぐに横やりが入る。 「あのさァ、テメエの意見は聞いてねえんだって。ケンチン、千冬取り押さえて」 「はあ? たく、しょうがねえな」 「っ、ドラケン君!マイキー君!!」 武道が慌てて声をかけるが間に合わない。 咄嗟に千冬が足を引いたものの、本調子じゃない彼が反応できるわけがなく、すぐに背後から両腕をひねりあげられた。千冬の顔が歪む。 誰か助けに入らないのかと見渡すが、三ツ谷も八戒も状況を俯瞰しているのみ。 なんでだよ!?と噛みつくようにたずねると、「話し合いで解決しねえならしょうがねえだろ」と言われた。そうだこの人たち、よく話すようになって忘れていたが、元々拳一つで話をつけようとするような人だ。武道とは考え方の根本が違うのだ。 「千冬!」 こうなったらオレだけでもと足を踏み出した瞬間、左腕を強く後ろに引かれる。 「いつっ…八戒!?」 「タカちゃんの言うとおりだ。話し合いができないなら、できないなりの“たずね方”てのがある」 「そんなの拷問と同じだろ!!」 唾を飛ばしながら怒鳴り返す。そんなやり方は間違ってる、と。 すると後ろにいた三ツ谷が「あんまアイツらを見くびるなよ」と言った。 「何がですか!!」 なにが見くびるな、だ。思い通りにならないからってすぐに手を出すだなんて、いくら千冬が尊敬する人たちでも許せねえ。武道がぎゃんぎゃん吠えていると、三ツ谷が顎でくいっと千冬のほうを指した。 「…千冬?」 ドラケンに両腕を固定されたままの千冬だったが、その服をめくりあげていたのは場地だった。最後の足掻きをしようとしたのか左足のみ上がっていて、そのまま場地のわきに挟まれていた。 体勢的に腹部が圧迫されて苦しいんじゃないかと危惧していると、予想通り千冬の息が荒くなっているのが分かった。 「ぅ…ぐっ……ッう」 噛みしめた隙間からうめき声が漏れ出ている。頬の色がさっきよりも悪くなっているのは気のせいじゃない。皮膚が黒ずみ、土色に傾いてきている。 場地が、担いでいた左足を落としてドラケンから千冬を引き受けるとその顔色は少し良くなった。 石畳を避けて木陰まで千冬を運び、地面に寝転がす。オーバーサイズの服がぴったりと重力に従って落ち、千冬の腹の形を映し出した。 「は…?」 武道は息をのんだ。 腹が明らかに大きくなっている。拳一つ分どころじゃない、その二倍はゆうにある。 今まで前にばかり出ていた腹の形が、徐々に横にも広がっているらしく、腹部一帯がぽっこりと盛り上がってきていた。 はくはくと、武道は呼吸の仕方を忘れたように混乱する。なんでこんなに大きくなっているんだ。二日前に見たときは、こんなに大きくなかったのに。どうしてこんな、どうして。 刹那、肩を誰かに組まれる。甘い香りが広がる。「場地のやつ見てみ」 マイキーの声がした。 総長の言葉はどんな時も絶対だ。こんな状況でも従ってしまう自分が嫌なのに。無意識のうちに場地を探し、その表情を見ようとした。 黒髪をたずさえた彼はすぐ見つかった。場地は眉を厳しく寄せていた。 千冬がうっすらと瞼をひらく。 「ばじさん…?」 荒い呼吸の中で、喘ぐようにして名前を呟く。 千冬は指先を持ち上げようとして、失敗した。腹が痛んだらしい。指先を丸め、息を飲み込む。白くなる指先。場地が咄嗟に掴んだ。遠目からでもわかる…すごく優しい手つきだった。 「千冬ぅ――痛ぇなあ」 「どうってこと、ないっすよ」 千冬が蒼い顔のまま笑って見せる。 「いつから痛ぇの?」 「…痛くないっす」 「千冬」 場地が繰り返したずねると、観念したように千冬が口を開いた。 「この前、場地さんと病院行ったその次の日から…」 「はァ? そんなん二週間前だろ。オマエ、どんだけ我慢してンだよ…」 あきれたように場地がつぶやくと、千冬は眉間にしわを寄せて唇を噛みしめた。 前から思っていたのだが、最近の千冬は少し涙もろい。以前武道の前でも泣きそうになっていたし、現に今も若干あやうい。 千冬の表情の変化に気づかない場地の代わりに、声をかけたのはやはり三ツ谷だった。 「あ~千冬? 場地はめんどうくさがったんじゃなくて、心配で仕方がないから早く言ってくれよ~つってるだけだから。まあオマエならわかってるかもだけど」 フォローまで完璧な三ツ谷の言葉により、千冬の眦に浮かんでいた涙は止まった。ぱちぱちと睫毛によって散らされ、場地に見られる前に消えた。 場地は居心地が悪そうにがしがしと髪をかき乱していたが、覚悟を決めたのか口を開いた。 「そんなにオレ頼りねえ?」 拗ねたような台詞に千冬の頬が色づいた。ほんのりと紅をさしたように血色がよくなる。 「そ、そんなことないっす。オレがただ…意地張っちゃって…こんなことしてもガキくさいって分かってるんですけど」 「んなことねえよ。自分の信念曲げねえのは嫌いじゃねえよ。あー、けど、たしかに心配はする…から、ちゃんと言えヨ」 語尾になるにつれて小さくなる声。まったくもって場地らしくない。 すると誰かが噴き出すのが聞こえた。いや、マイキー君だなこれ。本当に空気を読むということができない人だな。 しかし千冬の耳には他人の声は入ってこないらしく、場地の目だけを一心に見つめながらかすかにうなずた。 「わかりました、これからはちゃんと、場地さんに何でも相談します」 「ああ…頼むワ」 そう言った場地は、なぜかモゾモゾとしていた。まだ何か言いたいことがあるらしかった。 こちらではドラケン君まで爆笑し始めたので、わりと取り返しのつかない状況になっているのだが。千冬と場地に気づかれるより先に退散したい…早く笑い止んでくれないだろうか、こんなときだけガキなんだよな、この人たち! なあ、と場地が切り出す。 「腹触ってイイ?」 「ああ……えっと…」 千冬が困ったように眉を下げる。正体不明の腫れ物を彼に触らせて大丈夫だろうか? と不安なのだろう。自分が病気をすることより場地の反応を気にする千冬のことだ。 「痛いからムリ?」 「…大丈夫っす」 意地悪な聞き方だなと思う。痛いから、なんて枕詞をつけられれば千冬が断れないことを知っているだろうに。案の定千冬はうなずいて、場地に掴まれていた手を一緒に重ねるようにして包み返し、自らの腹へと導いた。 「そっと触ってください」 「おう」 場地がおそるおそるといった感じでうなずく。 (なんか見ていていいのか不安になる光景だ) 武道がそう考えているとほかの人もそう思ったようで、 「もう帰ろっかな~」 と八戒は三ツ谷の腕を引っ張って歩き出していた。 あ、これって流れ解散の感じ? じゃあオレも帰っていい? でも千冬を置いて帰るのは少し不安だな。病院とか行くのかな。 武道がもたもたしていると、案の定マイキーにつかまった。 「オレたちもいいことしよっか、タケミっち♪」 「お、オレ、今からヒナのところ行くんで…」 「じゃあオレも行こっと♡」 「嘘です勘弁してください!!」 いったいヒナの家に行って何をしようというのだろうか、万が一のことがあったらご家族に顔向けできないのでやめてほしい。心から丁寧に断っていると、マイキーの表情がだんだん不機嫌になっていくのが分かる。 「タケミっちあきらめろー。マイキーはマジだぞー」 ドラケンの適当なコールが降ってくる。この人他人事だと思ってるな、いやむしろ『面倒ごとになる前に引き受けろよ…断ったらわかるよな?』の意思も含まれているのだろう。 なんという横暴!! 高校生のくせに、中身26歳の男に無体をはたらこうだなんて、そうはさせんぞ! と意気込んでみたもののいい案は浮かばず。 どうしたものか――とタイムリープ並みに途方に暮れていると、後方から「「あ」」と短い声が聞こえた。 スタッカートのきいた驚愕の声。思わず視線を向けてみると、場地と千冬が顔を見合わせているところだった。 「今……腹が動いた」 「は―――?」 「この長い長い下り坂を~」 「ゆずじゃん、オマエ好きだよなそれ」 自転車の後ろに乗せた千冬がにししと笑う。バイクじゃねえのかよ~と文句を垂れていたくせにもう笑っているなんて、ほんと猫みたいな男だな。 「未来でも定番の曲だしな。…オレは後ろにヒナを乗せたかったんだけど」 「まじで? まあオレも好きだし、歌ってくれてかまわんぞ。ヒナちゃんに聴かせられるぐらい上手くなれよ」 「じゃあ時々歌うわ」 暗に音痴と言われたような気がするが気にしない。ヒナにはいい所見せたいしな! 下り坂が終わりかけたところでペダルを踏み込み、スピードアップを図った。 「っ、たけみっち…ッ」 「あっごめん気を付ける!」 背中に当たっていた千冬の腹部から離れるようにして背筋を正すと、千冬の痛みも軽減されたらしく、「ん…大丈夫そう!」と返事が返ってきた。 (慣れない自転車での移動はするもんじゃないよな) 武道は内心冷や汗をかいていた。 いつもなら場地のバイクに乗って快適に帰宅する千冬だが、今日はその場地に補習があったため一緒に帰ることが困難だった。「場地の補習が終わるまで待ちますんで!」と意気込んでいた千冬だったが、場路に「待ってるときに腹痛くなったら、嫌なンだけど」と口酸っぱく言われてしまったので、しぶしぶ家に帰ることにしたらしい。 ただ帰らせるだけでは不安ということで、白羽の矢が立ったのが武道というわけだ。放課後ヒナとのデートを断念せざるを得なくなったオレの心境を誰か察してほしい。「マカロンが流行ってるんだって! 帰りに一緒に食べに行こ?」と笑顔で誘ってくれたヒナを思い出すたびに泣きそうになる。 一昨日のことがあってから、千冬は場地とともに病院にかかった。 病院の先生は目を丸くしていたが、とても丁寧に診察をしてくれたそうだ。もしものことがあるためレントゲンはとらず、尿検査と超音波検査、そして問診。まるで本当に妊娠しているかどうかの検査をされているみたいだな~と武道は思ったが、千冬が気にしそうなので言わなかった。 結果、赤ちゃんはいないらしかった。 あんなに膨れているというのに赤ちゃんの影は見あたらなかったのだという。 それならばどうして腹は膨れ、中から蹴られた感覚があったのだろうか。千冬だけならまだしも、場地まで体験したというのに。 『赤ちゃんはいません。しかし、何かしらの影はあります』 赤ちゃんはいないというのに、いったい何の影があるのだ? まさか悪性腫瘍か? 場地は千冬以上に焦って医師に掴みかかったが、医師は冷静に首を振った。 『今の検査では詳しいことは分かりません。しかしながら、何かができかけているのは確かです』 あいまいなことしか言えない原因は、レントゲンをとれていないせいだ。 千冬はまだ未成年。付き添いで行った場路ももちろん未成年であり、大きな検査や手術などは親の許可が必要だった。 結局千冬は親に言うのを拒んだので詳しい検査はしていないのだが、場地が腹を撫でてるたびに「また蹴りましたね!」と喜んでいるのを見る分に、なかなか楽しんでいるのだろう。 (なんで蹴ってくるんだとか思わないのか?) 武道は不安を感じていた。 当の本人が現状を嫌がっていないからだ。 「千冬はさ」 自転車のサドルに腰を下ろして、武道は後ろに向かって声をかけた。 「腹のこと怖くないの?」 「んー」 千冬が考えるような声を出す。 (不躾な質問だった?) 言ってから気がついた。千冬はあえて怖がっている姿を見せていないのかもしれない。 千冬は風に負けないほどの元気な声で返してきた。 「そりゃあ、前までは怖かったよ」 「じゃあ今は?」 「ん~それがさァ、腹のヤツが喜んでる感じがするんだよな。場地さんに撫でてもらうと」 「腹のヤツ――?」 「あ、今やばいって思っただろ? オレの頭がイカれてきてるって」 「えっ、あっ、えーっと」 返事に困っていると、腹に回っていた千冬の手に力が入った。「痛い痛い痛い!」 思いっきり抓られた。 おもわずハンドルが揺れ、咄嗟にブレーキをかけた。本当に危ないってば! 注意すると、千冬は「わりーわりー」と笑った。 「もうするなよ絶対に! 事故なんかしたら、オレが場地さんに怒られるんだからな!」 「だから悪かったって」 「まったく…」 ぶつぶつと小言を言いながら自転車をこぎ始める。坂道の途中じゃなくてよかった。さっきの坂道だったら完全にすっころんでたな。 武道は森林の中をすいすいと進んでいく。 住宅地の裏手側にあるこの森林は、中央に沼を挟んで円のように広がっている。その円の中のちょうど対角線上にあたる辺りに大きな住宅地が二つできていた。千冬の住むマンションは、対角線上にあたる森林を抜けた先に遠い方だ。 いつもなら場地のバイクで、少々離れていてもすぐに着くことができるため、こんな閑散とした道は通らない。なんせこの道、一本道でそれほど幅がないのだ。それならば遠回りでもスーパーや公園が並んでいる道を通ったほうがはるかに楽しい。 武道はかつてマイキーに譲ってもらったバイクの練習をしなかったことを、今更後悔するが仕方ない。一朝一夕で乗れるような代物じゃないしな。今はこの錆びかけた自転車を走らせることに専念しよう。 沼の周囲は木々が生い茂っており、夏だというのに若干涼しかった。 「きもち~」 「なんだよだらしないなタケミっち」 「千冬の体温が低すぎんの!」 最近の千冬は保冷材のような体温なので、後ろにいられると冷たくて気持ちよかった。 千冬が誇らしげに「場地さんも気持ちがいいってほめてくれるんだぜ」と言う。はいはい、抱き着いてたわけね、おあついことで。仲の良さを無意識アピールされ、武道は若干ぐれた。 そのまま返事をせずにいると千冬が話し始めた。 「なあ~ちゃんと聞いてんのか?」 「聞いても仕方ないことだから返事しない~」 「このヤロウ、タケミっちのくせに生意気だな!」 「タケミっちのくせにってなんだよ!!?」 勢いよく言い返したが、千冬の返事がない。「…千冬?」 腹が痛むのだろうかと不安になり、即座に自転車のブレーキをかける。足を地面におろして振り向いた。 千冬は不思議そうに腹を撫でていた。 「大丈夫? 腹が痛いのか?」 「ん~痛くはないんだけど、なァ」 「だけど…どうしたんだよ?」 煮え切らない千冬の返答に首をかしげる。 千冬はなおも腹を撫で続け、うんうんと悩んでいるようだった。体調が悪いのとはまた違う反応だ。 ひとまず武道は安心して自転車をまた漕ぎ出そうとしたが、千冬に「ちょっと待ってくれ」と止められ、手持ち無沙汰になってしまった。 人通りが少ないとはいえ道路の真ん中に自転車を止めているわけにはいかない。千冬に声をかけてから道の端に寄った。 「うーん、なんだろなァ…」 いまだに首をかしげている千冬は、傍から見れば不審者に違いない。自分の腹をさすりながら話しかけているのだから。 何か違和感でもあるんだろうか。武道にはそんな経験がないため分からなかった。 いくら木陰とはいえ湿気を帯びた空気は肌をべたつかせる。背中の方にもじんわりと汗が広がってきた。できれば早く家に帰って扇風機にあたりたいのだが、この調子だと千冬は瞑想に入ってしまいそうだ。 いやはやどうしたものだろうか、と武道が悩んでいると「オーイ!」と誰かに呼ばれた。 「んー?」 辺りを見渡す。車どころか人っ子一人いない。きっと千冬の悩ましい声を聞き間違えたのだろう。 納得していると、「オーイ!」とまた呼ばれた。沼のほうからだ。意識していたおかげで場所が分かる。 見てみると確かに沼のほうに影が見えた。沼の周りには子供が入れないようフェンスがぐるりと張り巡らされてあるのだが、そんなものお構いなしに入り込むやんちゃなガキはたくさんいる。おそらく東卍のみんなならするだろう。フェンスの上から丸い頭がのぞいていた。 厄介ごとに絡まれたくないな~と思いながらも、無視したら後が怖いのでスルー出来ず。武道は隣の千冬に声をかけ、どうするかとたずねた。 「とりあえず行く?」 「ん~?」 腹を撫でまわしていた千冬はぼんやりとした目つきで沼を見、その黒目を大きくした。 「お、いたな」 そう言った千冬の意図が分からない。 武道が「何が?」とたずねるよりも早く、また「オーイ!!」と呼ばれた。さっきよりも大きな声だ。 うわ、絶対怒ってるよ…げんなりしながら沼のほうを見た。 ぼろり。フェンスの上から何かが落ちて転がった。 フェンスの向こうには何もない。はじめから頭部だけが、武道のことを呼んでいた。 「え……」 武道のつぶやきと同時に、強く手首を握りしめられた。千冬だった。 「タケミっち、自転車乗れ!」 「え、あっ、あれ!」 「よーし、場地さん来るまで逃げんぞ~!」 久しぶりに目を輝かせる千冬が見れた気がする。いやでも、アレを見てどうして楽しそうなのか理解できない。 転がってくる頭部を指さすしかできない武道を引きずって自転車に乗せ、千冬自身も後ろに乗った。 すると背後から「オーーーイ!!!」とまた呼ばれた。 「ひいっ!」 あまりの大きな声に悲鳴が漏れる。武道は膝が笑っていたが、どうにかハンドルを切って操作し始めた。 脚に力を込めてペダルを踏み込む。 その間にも背後に大声が降りかかっていた。大きい声だ。怒声に近い。しかしこの声なら、八戒の兄ちゃんに怒鳴られた時のほうがずっと怖い。 行きより随分と汗をかきながら、立ち漕ぎをする。風を切っているはずなのに変な汗が止まらない。息を吸っているのか吐いているのか、それすらよくわからなかった。 「千冬っ、アレ何なのかわかるっ!?」 ゆるやかな下り坂に差しかかり、すこし余裕ができた。千冬は背中につかまっていた。 「しらね~」 「じゃあなんでそんなに余裕あんの!?」 武道とは違って、悲鳴を上げることなく、なんなら場地のことを口に出すぐらいの余裕がある千冬。以前一緒にホラー映画を見に行った時は同じぐらいびびっていたくせに、どうして平然としていられるのだろうか。 千冬が首を後ろに向け「まだついてきてるぞ~スピード上げろよ相棒」とのんきに言ってくれる。まだついてきてるのね、最悪!! 顔を真っ赤にして足を動かす。野郎の二人乗りは重過ぎる、しかも一人は腹に何かいるときた。そりゃ重いわけだ。 「千冬ううなんで追いかけられてんのオレたち!!?」  「オーーーーイ!!」 「ひいいーーっ!」 絶叫しながら武道ががむしゃらに自転車を漕ぐ。チェーンが外れないことだけを今は祈るのみだ。帰ったら絶対に筋肉痛だろうなとは思ったが、無事に帰れたらの話だと気がついて、ちょびっと泣きそうになった。 「なんで追いかけられてんのって」 風に交じって、千冬の声が聞こえた。 「オレの腹の子を狙ってるからじゃね?」 そういうことね、納得だ!!!!  武道はやけになって叫んだ。   くだんの病院について。 「東第三病院ってあンだろ、あそこ最近やばいみてえだナ」 場地が自信満々に話を切り出すと、近くにいた千冬がなぜかむせた。 「はァ? なんで場地がそんなこと知ってんだよ」 ドラケンはそうたずねたが、武道は嫌な予感がしていた。 「は、そんな野暮ったいこと聞くんじゃねえよ…なあ千冬ぅ?」 「ノーコメントでおなしゃっす」 ストローを唇に咥えたまま両手で×を作った千冬の頬が赤い。あーはいはい、何やってたのかたずねるのはたしかに野暮ったいですわ、ヤってたってわけね。 察した高校生組は興味が一気に失せたように昼食をほおばり始めた。 たしかこの二人が付き合い始めたのは先週のことなので、これはわりと速いペースで手を出されたんじゃないかと武道は思ったが、千冬が口癖のように「オレみたいなのが場地さんと付き合ってて良いのかなって、よく不安になんだよな」と呟いていたことを考えると、大事にされる決心がついたのだろうと微笑ましくなった。 (くそ~オレもヒナを呼びたい) しかし呼んだら呼んだでマイキーが変なことを言うので、それが怖くて呼べていない。突然「今日は川の字で寝ようぜ♡」とか言われるんだぞ。ナチュラルにオレとヒナの間に入ってくる気だ。下手なホラー話よかはるかに怖い。 「そんでよォ~」 場地が話を続ける。 「まだ何かあるのか? 千冬が可哀そうだからもう余計なこと言うなよ」 「ハ? テメエに千冬の何がわかンだよ三ツ谷…表出る?」 「はいはい、また今度な」 場地の挑発に、三ツ谷は苦笑をもってして答えた。 場地は横髪をかき上げて舌打ちをひとつ落とした。 「あそこ、オレのじじいが入院してンだよ」 「場地ィーオマエじいさんが入院してるところでヤったのかよ。やるなぁ」 「ひゅ~すっげえスリルじゃん楽しそ~」 「茶化すなドラケン、スマイリー」 「じじいボケてっから、テレビの上とか指さして『あそこに小さいおっさんがおるんじゃ~おるんじゃ~』つったり、『窓の外に傘さしたおっさんがずっと見てくるんじゃ~』とか言って飯食わねえときがあったりすンの。オレだったら、ソッコーじじい殴って気絶させて静かにさせようとするんだけどよォ、看護師はなんつーか、やっぱり慣れてんだろうな。いきなり虫取り網持ってきて、“これで捕まえてあげるから、どこにいるんだ!?”つって、テレビの周りを叩くんだよ。それが面白いのなんのって!」 「看護師って大変な仕事だから、冗談言って気持ちを明るくしようとするんだって近所のおばさんが言ってたな。で、そんな愉快な病院が、なんでヤバいんだよ?」 「あ。そうだったナ。怖いのはこっからなんだよ……話の節を折るんじゃねえよ」 「あーはいはい」 三ツ谷はこめかみを爪で引っ搔き、苦笑いした。 場地は長話が苦手なのか、説明が壊滅的に下手くそだった。というか、話したい内容が思いつくたびに会話が反れるので、彼の言いたい内容をとらえるまでに相当時間がかかる。 結局見かねた千冬が途中から口をはさみ、やっと話の流れがわかった。 「ナースコールが、鳴ったんです。誰もいない病室で」 「はあ? ナースコール?」 「それってナースセンターで鳴るやつだよな?」 「うっす、そうです。オレたちがいたのは使われてない病室だったんですけど、看護師がいきなり慌てた様子でやってきて、言ってたんです。この病室から鳴ったはずだって……あ、もちろんオレたちはベッドの下に隠れましたよ」 真剣な顔で千冬が話す。本人からすると相当怖い出来事だったのだろう。 しかしながら武道は、とある可能性を脳裏に描いていた。非常に言いにくい話だ。なんというか、相棒のそういうところを想像したくないんだけど。 先陣を切ったのは三ツ谷だった。 「あ~千冬? すっげえ言いにくいんだけど、オマエたちが盛り上がりすぎて、体で押しちまったっていう可能性ない?」 「なッそ、そんなことは…!」 「バーカ。オレもそう思ったからすぐに確認したワ。でもコールはベッドのわきに転がってたし、看護師も“電池を抜いたはずだ”って言ってたんだよ」 「ん~なら違うよな。へえ、不思議な話だな」 「……どーだ、ひんやりしただろ?」 にやりと笑った場地が、八重歯をのぞかせた。 自信たっぷりな彼の表情には悪いが、武道は『なんだ、その程度か』と小さく息を吐き出していた。これなら元の世界でバイト中に借りたホラー映画のそれの方が断然怖い。 「つまんねーな場地」「時間がクソ無駄になっただけじゃん、ぶん殴っていい?」と隊長らがヤジを飛ばす。だがそれに交じるようにして、アングリーだけは「夜トイレいけるかな…」と呟いて顔を青ざめさせていた。この人、たしかにホラーとか苦手そうだもんな。アンタの兄ちゃんはもっと怖い話しろって暴れまわってるってのに、双子でも大変だな。 その話はそれでおしまいになった。 二週間後、まさかあんなことになるとは誰も思ってもみなかった。 ちなみにこの話の間、八戒は「天然水しか飲まないんだけどオレ~」と言って通りすがりの店員(男)を困らせていた。彼の言い分としては金持ちアピールをしていたそうだが、肝心のタカちゃんはまったく聞いていなかった。 最近方向性を見失っている彼のほうが、そのときの武道的には心配だった。 おしまい 以下簡単な裏設定↓ 武道 ・ヒナと円満にお付き合いしている。 ・未来のマイキー君が養子になろうとしてくるのを阻止するために過去にまたやってきたが、戻ってきたところで彼の意志が変わらないことをまだ武道は知らない。 ヒナちゃん ・かわいい ・かわいい ・マイキー君が武道のことを気に入っていることは知っているが、あんなにかっこよかったら仕方ないよねぐらいにしか思っていない。 ・最近マカロンを食べてみたがお腹にたまらなくて十個完食(なおと情報)。 マイキー ・未来では正式にタケミっちとヒナちゃんの家に住もうとして断られ、いささか不満。 ・あわよくば武ヒナの初夜に紛れ込んで、処女を食ってやろうとたくらんでいるが、いまだに武道がヒナちゃんに積極的になれていないのでそのチャンスは訪れていない。 千冬 ・腹が最近なんだか愛おしく感じている。 ・腹の子と時々会話している。 場地 ・新米パパの気分で千冬の腹をたくさん触っている。 ・育児書を買いに行ったつもりがゼクシ〇だった。もちろん写真だけ見て三ツ谷にやった。 三ツ谷 ・八戒がいつまでたっても独り立ちしないが、いつか強くたくましくなってくれると信じて放っている。 ・童貞より先に処女がなくなったが、きっと近いうちに胸の大きな女子と付き合えると信じている(そんな日は来ない)。 八戒 ・待ち受けが三ツ谷。隠し撮りフォルダーで容量がいっぱいになっている。 ・あまりにも振り向いてもらえないせいで最近方向性を見失っている。 ドラケン ・みんなが幸せならいいと思っている。 ・マイキーがとりあえずおとなしくしてくれたらなんでもいい、なあ? タケミっちー。

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