A CONTE~ストーカー系俳優さまの思惑~ 第3話
十八時〇〇分――。 勤務を交代して店頭に立つ。勤務時間を二十二時までにしてもらったので明日の収録には支障がないはずだ。 番組を見た昨日の今日なので『行きたくない』とSNSで相当しぶってみたものの、マネージャーの心を変えることはできなかった。むしろ『稼ぎ時だよ』とスタンプが送られてきた。あの人に人の心はあるのだろうか。 「おはようございます」 「ジャンか、よろしく頼むぞ」 先に入っていた店長に声を掛けて、品出しにむかう。この時間帯は、弁当を買いに来る独り身のサラリーマンが多いので忙しい。たびたびレジに入って対応をし、落ち着いた頃にワゴンに戻ってくると、聞き覚えのある声が店内に流れた。 [オンリーローゼ店にお越しの皆さんこんにちは。ドラマ“××”に出演中の、フロック・フォルスターです] 語尾が若干上がり気味の話し方。今まで何とも思わなかった店内放送も、昨日の番組のせいで無性に腹が立った。 あの男のせいで、丸一日寝た気がしなかった。 バイト先に向かう途中だって、いつ背中を刺されるかという不安に駆られ、何度も振り返りながら出勤した。それだけあいつのファンはクセが強いことで有名だったからだ。冗談でも指輪を作りやがったせいで、真に受けたキチガイファンから『近いうちに制裁を』とダイレクトメッセージで送られた奴の気持ちも考えろ。あの男もろもろ、警察に突き出してやろうかな。 だんだん怒りがこみ上げてきた。あーくそ。 一旦落ち着こうかとワゴンを元の場所に戻すと、店長がそわそわした声を出した。 「ジャン~補充終わったか?」 「店長……またですか。マガ○ンぐらい家で見てくださいよ」 「馬鹿言うな、少年漫画買って帰ると娘の教育に悪いだろうが!」 「そう思うなら、娘さんが眠ってからこっそり読めばいいじゃないっすか」 雑誌コーナーへ足早で向かう店長を横目で見てから、店内清掃に取りかかる。小学校に上がりたての娘さんたちのことが相当可愛いのか、親馬鹿だと思うレベルの気遣いをしている。子供の行事があるたびに仕事を休んでいるらしく、先輩たちが「仕事の量が半端ないのよ」と怒っていた。 「俺は休憩に入るから、何かあったら呼びに来い」 「はいはい。たぶんないと思いますけど」 「ジャンも三年目だからな。まあ大丈夫だろ」 マガ○ン読書タイムを内緒にしてあげるための賄賂(缶コーヒー)を受け取ってポケットに入れる。いつも無糖をくれるが、ジャンとしては微糖の方が実はありがたい。もらった手前、文句は言わないが。 床モップを片付けて、煙草の配列を整えていると、駐車場に車が入ってくるのが見えた。最近の車は音が静かだから分かりにくい。特に店内放送が流れている時は。 真っ赤なオープンカーがバックしてきていた。こんな夜中にオープンカーだなんて、顔に虫がつくだろうに。どんな馬鹿不良が乗っているんだか、自分なら絶対に嫌だな。 「……うげ」 店外のライトに照らされた男の顔を見て、ジャンはとっさにレジから飛び出した。 「店長、休憩入ります、代わってください!」 「はあ?」 休憩室に駆けこむと、漫画をめくっていた店長に眉を顰められた。休憩開始五分で交代しろと言われたらそりゃそうなるだろう。けれど、ジャンにも引けない理由があった。 「すみません、失礼なことは承知でお願いします」 「珍しいことを言うな。わかった、代わってやるよ」 「ありがとうございます!」 渋々といったように立ちあがる店長に頭を何度もさげて休憩を交代してもらった。あとで理由を聞くからな、という視線を受けたが、あとでならいくらでも説明しよう。だが今だけは、代わってもらわないと困る。 店長が座っていたパイプ椅子のとなりに腰を下ろして、掛け時計を確認する。一人の客が滞在する時間は約十分。それから考えるに十五分ここにいればあいつを撒けるか。 店内の様子が分かるカメラに視線を向けると、自動ドアが音を立てて開いた。 「いらっしゃいませ~」 店長の声がした。 赤毛の男は、乳白色の五分袖インナーにベージュのニットベストをあわせて、カーキーのチェック柄のパンツを穿いていた。疲れたようにくしゃりと跳ねる髪の下にはサングラスをかけているため、表情はわからない。 男はゆったりと足を伸ばして、雑誌コーナーから飲料コーナーへ向かった。それからつまみ、お菓子やカップラーメン、冷凍食品を眺める。けれど、目ぼしい物がなかったのか何も手に取らなかった。そうだそれでいい。早く帰っちまえ。 店員としてどうかと思うが、こいつがいなくなることに越したことはない。コンビニの前を偶然通りかかったのか、それとも通り道だったのか。まさか売れっ子俳優がこんなコンビニに来るなんて、と焦ったが買い物をしないなら問題はなかった。 (なんだ?) 男がいつまで経っても動かない。飲料コーナーに戻ってビールを見たまま、かれこれ二分、微動だにしないのだ。そうかわかったぞ。フォルスターは飲み物を買いに来たのか。 すると男が顔を上げた。カメラ越しに目が合う。 「!」 声が出そうになり掌で押さえた。 落ち着け、向こうからは見えてないんだ。きっと天を仰いだだけだろ。 そう思って見ているのに、どくどくと脈打つ心臓は今にも逃げ出しそうなほど騒ぐ。もしかしたらこいつは始めからここに自分がいることを知っていたんじゃないか、なんて、突拍子もない想像までしてしまう。そんな馬鹿なことを。 『――』 レンズの向こうで、男がサングラスを外しポケットにしまった。逆のポケットに手を突っ込み、何かを探しはじめる。そしてダークグレー色の箱のような物を出して、その場にひざまずいた。 「は、あ!?」 思わず身を乗りだして目を見張る。 騎士のように片膝を立てて腰を折った男は、うやうやしくも箱をゆっくりと開いて中身を見せてきた。不鮮明な画像からでも、その輝きはしっかりと見える。SNSを荒らす原因となった、その忌々しい輝き。 指輪に釘付けになっていると、箱を支えていたフォルスターの指がすっと離れ、形の良い唇に人差し指を立てた。しー。内緒話をするように。 ジャンは自然とフォルスターの顔を見ていた。コンビニの安っぽい白電球をスポットライトに早変わりさせて、演者になった男は、ヒロインをたらしこむ顔で、舌舐めずりをした。 [ 騙されろよ……見てるんだろ? ] 細まった瞳がそう語りかけてくる。お願い待って、なんて制止の言葉を聞くつもりなんかさらさらない。どうやってヒロインを食べてやろうかと、ずっとそればかりを考えている顔。 誘われている。 鼻の奥で、噎せ返るような花の香りを感じた。 [ 来 い ] 視線が捕らわれた。「!」 ゾクゾク、背筋に快感が駆け抜ける。気がつけばガクッと地面に膝をついていた。腰が抜けたとはこういうことをいうのか。身体が熱い。男の色気にやられていた。 前後の感覚が曖昧になり、危ない薬を飲まされたかのごとく視界が狭まった。フォルスターしか見えなくなる。 浅くなった自分の呼吸がうるさい。一体これはなんなんだ。 一体――。 「どうしましたか?」 画面の端の方から店長の足が映りこんだ。 「っ」 その瞬間視界がひらけていく感覚を味わった。 激しく鳴り響く警戒音を耳の奥に押しやって、ジャンは休憩室から飛び出した。 『今日も生でいいですか?』 ――初めて話しかけられたのはそんな言葉だった。 ローゼ街を賑わす有名劇団のロゴの入った服を握りしめて「それで」と頼むと、すぐに別の客が「ジャンくん! ゲソ大盛りで」と注文を飛ばした。 『はーい!』 快活な返事を返してオーダーを通しにいくうしろ姿を見て、俺は初めて彼の名前をつぶやけた。 あいつはジャンというのか。長身と凶悪そうな目つきには、あんまり似合っていない名前だな。 生ビールと一緒に運ばれてきた漬物、お刺身を咀嚼しながらぼんやりと店内を見学する。忙しなく動くのはジャンを含めて三人程度。この時間にしては少ないローテーションだろう。 黒色のTシャツに、深緑色の前掛け。髪はひとつに束ねてバンダナで覆っている。刈りあげられた首筋にきらめく汗が眩しかった。 空になった皿を重ねながら、俺は自分の腹と相談した。がっつりしたご飯系が食べたい気もするし、明日の殺陣稽古に合わせて胃を無理させないほうがいい気もする。結局、二十歳そこそこの元気な身体は我慢することを嫌がり、お品書きを開くこととなった。 『おまたせしました。手羽先の黄金タレ漬けになります、骨はこちらの壺に入れてください』 『……』 『あの、お湯割りいりますか?』 『は?』 俺は何も言っていない。たしかに生ビールのあとはいつも芋焼酎のお湯割りを頼んでいるけれど、まさかそのことを覚えているのだろうか? 照れ臭さを飲みこもうと勢いづけてジョッキを傾けるが、何も流れてこない。ジャンを見ながら飲んでいたので、無くなったことにすら気がつかなかったようだ。 『……お湯割りください』 『かしこまりました。芋焼酎のお湯割り、ひとつ!』 『あの』 とっさにジョッキを持ち上げた。ここで話しかけよう。きっと脈はあるはずだ。そうじゃないと俺のことを覚えているはずがない。 けれど、運悪く「お冷くださーい」の台詞と重なった。ジャンが踵を返して次の客の元に行ってしまう。持ち上げたジョッキだけが行き場を無くして汗をかいていた。 タイミングが悪い。本当に情けないぐらいに。せっかくの勇気もこれじゃ空回りに終わる。でも今の俺には、そんな些細なことを忘れさせるほどの大きな収穫があった。彼の勤務形態がわからないので毎日同じ時間に通いつづけた成果か、はたまた印象付けるために劇団員限定の緑Tシャツを着つづけた成果か。理由はどうであれ彼の中で『俺』という存在がインプットされたのだ。これを進歩と呼ばずして、なんと呼ぶのか。 俺はむず痒いような感覚をごまかそうとして、何も入っていないジョッキにまた口をつけた。 『え? あの緑色の服のお客さん、有名人なんですか?』 店の奥の方でジャンの声がした。 ちらりと視線だけを動かすと、呼ばれた先で俺のことを教えられているようだった。こんなこじんまりとした居酒屋にも劇団のファンはいるらしい。頭が光っている客に感謝しながら、いいぞもっと俺のことを広めろとニヤけていると、ジャンが胸の前で手を振った。 『いや~違うでしょ! あんなオーラない人が有名人なわけないっすよ。騙されませんよ? つかむしろオレの方が有名人っすからね!』 『また変な芸してんだろジャンくん。おじさん見たけどさ~あんまりおもんないよ? ほらエレンなんとかって子と、喧嘩ップルネタするんだろ。危なくて見てらんないよ』 『これでもテレビにばんばん出てますからね。もっと売れますよ!』 そう言って胸を叩いて自信満々に笑ってみせる姿は、居酒屋の暗い照明の中でもひときわ輝いていた。堂々と胸を張っているジャンは、ギラギラとしたテレビのスポットライトの下でどう映るのだろうか。そんなことが脳裏をよぎった。 俺のことを知らなかったというショックはどこかに吹っ飛び、テレビに出ているらしいジャンの姿を見てみたいという強い欲求が鼻の奥を刺激した。ガツンとバッドで殴られたような衝撃。鼻のしたを擦ると鼻血が出ていた。 俺は家に帰って、貧乏暮らしをしている自分を呪った。テレビやパソコンすら置いていない。あるものは電話機能のみついた旧式携帯のみ。ジャンを見るために電化製品を買おうとしても、おいそれと即決できるような収入ではなかった。もっと効率よく金を稼いで、あわよくばジャンと同等の立場で会うようになるためにはどうすればいいのだろうか。みんなと同じように、テレビ越しにアイドルに会うような感覚でいるなんて、とてもじゃないが我慢できそうにない。同じ空間にいて触れ合うことができる唯一無二の存在であることこそが、俺の求めるジャンとの関係だ。 そのためには一体何をすればいいんだ――。 そんな最中、ひとりの劇団員が俺の人生を大きく変えるタレント募集のチラシを仕事場に持ってきた。 「その三年後、俺が店を覗いたときにはすでにジャンはいませんでした。そりゃそうですよね、こちらにバイト先を変更していたんですから」 リングケースを手の中で転がしながら、頬に長い睫毛の影を落としてフォルスターは悲壮感に満ちた顔をしていた。女はこういう、弱りきった姿を見てグッとくるのだろう。 「ジャン……お前、薄情だな」 「え、ちょっと店長はこいつの言うことを信じるんですか?」 演技にしか見えない自分がおかしいのか。 強面店長のジト目の刑にあいながら、考えてもみてほしいと訴えかける。仮に今の話が事実だったとして、客の顔とオーダーが一致している自分がフォルスターのことをきれいさっぱり忘れるだろうか、それはおかしいだろう。 ジャンが居酒屋で働いていたことは、SNSで包み隠さず明かしているし、知ろうと思えば誰だって知ることのできる話だ。そこを上手い具合に拾いあげて、フォルスター十八番の大嘘に混ぜ込んでしまえば、見事な作り話の出来上がりだった。 「オレ、本当にこいつのこと知らないですって」 「俺のことを覚えてないのか、ジャン」 「認めてやったらどうだ?」 「店長までそんなことを言って――もしかして娘さんが彼のファンだったりしますか?」 「まあな」 レジのメモ用紙を握りしめてそわそわしていると思えば、やはりそういうことか。フォルスターの味方をしておいて、あわよくばサインを貰おうとするなんて、本当に親馬鹿だ。娘さんが大切なのはわかるが、もっと自分のことも可愛がってほしい。 「サインしましょうか?」 「おお、良いんですか」 「大丈夫ですよ。貴方はジャンの大切な雇い主ですから」 「オレの雇い主て……」 何かにつけて自分を引きあいに出すのをやめてもらいたい。勘違いしたらしい店長が、口笛を吹きながら「お前、良い彼氏を持ったな~」とひとり盛り上がってしまったじゃないか。本当にやってらんない。そろそろセ○ムに守ってもらわないと身が持ちそうにないぜ。 さらさらとマジックペンを走らせる俳優さまを睨みつけていると、書き終えた瞬間に目が合った。 「ジャンの分は、家で書いてやるからな」 「ヒュ~おあついねぇ」 「要らん!」 店長が休憩に行くのを見送ってから、さてフォルスターの向う脛でも蹴ってやろうかとレジカウンターを回ろうとしたとき、今まで妄言を気分良く語っていたフォルスターが声を潜めた。 「なあジャン」 あきらかに声色が違う。 ジャンは身構えた。 「さっきの話、どこまでが嘘だと思う?」 「は」 「ジャンは俺のことを覚えていないかもしれないって、薄々感じていたんだ。だから大丈夫だ。怖がらなくていい」 「なんの話だよ――。十分こえーよ、お前」 「だから怖がるなって。そうだ、今日は何時に終わるんだ?」 「は?」 「バイトだよ。その時間になったら迎えに来る」 困惑しているジャンの顔を見て、俳優さまは満足そうに微笑んだ。正面もきれいだが、横顔から見ても整っている。悔しいことに、この男は根っからの俳優だった。