A CONTE~ストーカー系俳優さまの思惑~ 第5話
岩場にぶつかる波の音が聞こえなくなって数週間。船内には不穏な空気が流れていた。 三人目の死者が出た。 これには流石の船長フックも頭を抱えざるをえない。今までの二件は、幸か不幸か積載物の運搬中に起きた出来事のため、事故で簡単に処理できた。しかしながら今回は、見張りの船員が海に浮かんでいたというのだから誤魔化しようがない。見張り中に酒を飲んで、酔っ払って転落したんじゃないかとも思ったが、下っ端のニックはまだ倉庫の鍵の在処を知らない。 ともなれば調理場の料理酒をくすねることしかできないだろうが、料理長の男に聞いても酒の量は減っていないとのことだった。 長い時間を共にする仲間を疑いたくはない。だが、仲間殺しを野放しにしておくこともできない。 目撃者が現れた。 「黒いバンダナが海に落ちていました」 たった一言の影響力は絶大だ。 何者にも染まらない黒のバンダナは、航海士である男、ただ一人のもの。 船長フックはすぐに男を呼び出した。 「なんです、話って?」 先日の嵐によって航路を引っ掻き回され、神経がピリピリとしているらしい。 四方に跳ねた赤毛を掻きあげていた。そこにトレードマークの黒いバンダナはない。 「お前、いつものバンダナはどこにいった」 「は? 言ったじゃないですか、どこかに落としたって。アンタも知ってるでしょ」 「それが海で見つかったんだよ。……わかるか、海だ」 「アンタ……何が言いたい? 俺に感謝して欲しいのか、見つけてやったぞって? アンタの船が沈むよりも先に? ……冗談じゃない! 俺は沈没船を任されたつもりはないぞ!」 海鴎より高く、航海士が声を張り上げる。 「たしかにそれは、みんな感謝しているさ」 「じゃあ俺を舵輪の前に戻してくれますよね」 「いや……わかるだろ。お前が来てから、たしかに航海は随分としやすくなったさ。食料の配分についても、お前の言った通りにすれば、不足の事態に陥ることはまずない」 「そりゃそうだろう、俺はアンタらに懇切丁寧にいろんなことを教えてやったんだからな。それで、それを踏まえたうえで俺を切ろうっていうのは、どこのどいつの告げ口だ?」 「いや違うそうじゃねえ」 「ほほう、分かったぞ。あのレベリオの腐れ野郎だな」 「おい落ち着け」 「いいや、黙りませんよ。あいつはニックを特に気に入ってましたからねぇ。復讐せずにはいられないってやつだろ、そうに違いねえ」 「いい加減にしろッこの馬鹿野郎!」 船長フックの左手が、煤汚れたその頬を打つ。乾いた音がした。力の入っていない義手はそれほど痛くない。音だけが大袈裟だ。 船長なりの愛の鞭だった。 もうこれ以上、お前を庇ってやることはできないから、心を入れ替えて戻ってこいと。食糧不足を解決するために仲間を切り捨てたり、料理に河豚毒を混入させて船員を減らしたり、そんなやり方はうちには合わない方法だということに気が付けと。 まさか叩かれると思っていなかった航海士は派手に転んだ。 今、まさか、俺を叩いたのか。埃をかぶった髪の隙間で唖然としていた。 座り込んだ航海士はしばし無言。そして目を伏せた。 「……やっぱり信じてくれないんだな」 船長フックが息をのむ。 「お前まさか」 すると、身を押すほどの海風が吹いた。 帆が激しくのたうちまわると、いよいよ船首にいた海鴎が羽を広げた。 飛び去り際に甲高い悲鳴を振りまく。 刹那、一筋の光る短剣が船長フックの腹部をひと刺し。 船長の巨体がゆらりと揺らいで、後ろに倒れた。 「お話の決まり事だ。おしゃべり者は口封じされる、そうだろ?」 「船長!」 船員が駆け寄るよりも早く、航海士は袋とともに海に身を投げた。 宝石が飛び出さないように、袋の口を何重にもくくって。 「待ちやがれこの野郎!」 「またな、海賊」 こうして盗賊は、世界に敵を増やしていった。 【海里を超える男たち】 主演 フロック・フォルスター 館内の灯りがつくと、見渡すかぎりの席が埋め尽くされていることに気がついた。テレビCMで満員御礼といっていたが、嘘ではなかったらしい。 映画【海里を超える男たち】は大ヒット間違いなしと公開前からいわれていた。 船長をはじめ、名もなき船員にいたるまで、キャストは飛び抜けて知名度の高い人ばかり。 そしてまた、舞台も良い。陸地で生まれ育ったパラディ島の人間にとって、海は憧れだ。男の浪漫が詰まっている。 人が捌けると清掃員が館内に入ってきた。ジャンは手早く帽子をかぶり、マスクを装着した。噂は下火になってきたとはいえ、あの男のファンの執着具合を考えると、安易に顔出しはできない。 スクリーン七から出たところで、前方を歩く二人組の会話が耳にはいった。 「王子、かっこよかったね」 「ほんと演技をするために生まれたって感じの人だよね、フロック・フォルスターって」 「でもあの芸人もすごかったね」 「芸人?」 ジャンは思わず足を止めた。 後ろを歩いていた人と肩がぶつかり、慌てて足を動かした。 「そう、エレン・イェーガー!」 エレン。 がつん。ジャンはこめかみを殴られたような感覚に陥った。 「闇落ちしてからのエレン、本当に目が死んでたよ!」 女性は興奮気味に、友人の肩を叩いた。 エレン・イェーガー。脇役。 今回の映画でスクリーンデビューを飾っていたあいつは、海に憧れる、街の平凡な青年を演じていた。焦がれて、望んで、夢に生きて。フロック演じる盗賊に資金を盗まれて、そして酒に溺れて最期は死ぬ。そういう役柄だ。 撮影のために伸ばした黒髪は一つに束ねられていた。高校時代は一度も見たことがないエレンの姿。浮浪者へと落ちぶれた際の口髭も、ジャンは見たことがなかった。 別にショックとかそういうのじゃない。相方だったのは、もう随分と昔のはなしなんだから。 それでもジャンの胸に立ち込めた暗雲が晴れる気配はなかった。 「それは嫉妬というやつだな」 水菜を噛み切れないマルロが言った。 「食うか、しゃべるか、どっちかにしろよ」 「気を付けろジャン。この水菜、まだ硬いぞ。喉に詰まる」 「何いってんすかマルロさん、ジジイみたいっすよ!」 背後を通りかかった後輩が水の差し入れをしてくれる。やけに気が利くじゃないか。 自席に戻っていく後輩を捕まえると、 「だってマルロさんの声、でけえから」 と爆笑された。たしかにそうだ。 やっと水菜を飲み込めたマルロが上機嫌に後輩を褒める。 「あいつは本当に気が効く。グランプリで上位に食い込むだけの実力はあるし、なにより空気が読める。ああいう奴がいると、我がプロダクションも安泰だ」 「おーおー、酒も呑んでねえくせによく回る舌なことで」 「人を褒めるのに酒の力が必要か?」 二テーブル向こうで、後輩がにこにこと手を振っている。酒が入ってもスマートな身のこなしの奴もいるというのに、この遅咲きの同期はいつまで経っても落ち着かない。 その一方で、芽の出ない後輩もたくさんいた。メディア進出はおろか、地方営業すらさせてもらえない。手で配るチケットの売り上げが、その日の収入になる。 ジャンの所属するプロダクションには、現在五十人前後の芸人が所属している。国内でも小さめの事務所だ。件のエレンが所属しているそれとは、段違いに小さい。 「あ、そういえばあいつら、今日も来れないのか?」 「それはコニーとサシャのことか?」 プロダクションの稼ぎ頭である二人は、こういった集まりにはほとんど参加できていない。あとから恨み節のメッセージが届くのも、もはや恒例となっていた。 「撮影のために壁の麓まで行ってるから、日曜日まで戻ってこれないぞ」 「マジかよ。あの馬鹿二人に、歴史的建造物の良さがわかるのか?」 「なんでも、クイズに間違えたら壁の上から吊るされるらしい」 体を張った芸なら、コニーとサシャのテリトリーに違いないが、壁は重要文化財に指定されていて立入禁止になっていたはず……とはジャンも流石に言わなかった。 鍋の中でレモンが回る。先輩の女芸人が頼んだレモン鍋は、初秋の居酒屋では不人気で、もやしだけが減っていた。勿体無いという理由でただ一人、水菜と葛藤するマルロは、目敏くジャンの器が空になっていることに気がついた。 「豆腐を残すな、肉も食べろ!」 「オレは野菜でいい塩梅になるんだよ! サシャがいればすぐに無くなるけどよ。今頃、壁の上で腹空かせてるぞ」 「また来月も集まればいいじゃないか」 「いや、撮影が入ったからそれは無理」 ジャンが言うと、部屋の中がシーンとなった。 なんだこの無言。 空気に耐えかねて枝豆に手を伸ばすと、後頭部を誰かに叩かれた。 マネージャーが手にしたジョッキだった。 「えーここでドラマ出演を祝して! ジャン・キルシュタインが男見せます!」 「は?」 ジョッキをぐいっと押し付けられる。これ大きめじゃねえか。困惑して押し返そうとするが、マネージャーに「今日はみんな、貴方のために集まってるの、わかる?」と耳打ちされては断れるわけがない。 汗をかく前のキンキンに冷えたジョッキを握りしめ、膝を叩いて立ち上がった。仁王立ちをして、辺りを見渡す。ジャンの迫力に感化された者たちが「おおー!」と歓声が上げた。 「男ジャン・キルシュタイン、この度ドラマに出させていただけることになりました。報告が遅くなってすみません。これからも事務所のために、マネージャーと一緒に頑張りますんで、お力添えよろしくお願いしゃーす!」 「おめでとうジャンくん、愛してるよー!」 「よっ、男見せろジャン!」 「祝い酒は一気だろ!」 声援に押されて、ジャンは右手に持ったジョッキーをそのままぐいっと傾けた。喉仏をグビグビといわせながらアルコールを送り込む。 喉元を過ぎるビールは冷たいが、腹にたまったアルコールは胃を焼き切るぐらい熱い。額には大粒の汗が噴き出した。 キラキラと輝く店内照明にジョッキーを透かしながら最後は一気に飲み干した。 「ドラマ出演おめでとう!」 マネージャーが拍手をする。仲間たちもそれにつられた。 ジャンは酒の勢いに任せてガッツを決めたが、席に座ると段々照れ臭くなってきた。 主役をするわけじゃないのに、こんなに喜んでいて良いのだろうか。 「隣いいか?」 そっと肩を抱いて誰かが座る。 なんだ馴れ馴れしいな、と顔を向けるとそこに異色の存在がいた。 「なんでいる」 「ここは居酒屋だぞ、飲みに来たに決まってるだろ」 「……随分と星の巡り合わせがいいな」 「俺たちの相性が最高に良いからだろ」 「気持ち悪いこと言ってんじゃねえぞ、クソガキ」 腰に回されたいやらしい手の甲を抓る。性懲りも無いのがこの男らしい。 隣を陣取ったフロックは、通りかかった後輩にちゃっかりビールをことづけてから、塩茹でされた枝豆を食し始めた。厚顔無恥にもほどがある。 「トイレに通りかかったら、大声で、ドラマとかなんとか言ってる声が聞こえたんだ。覗いてみれば、そこにジャンがいるだろう。お前がいるなら、行かざるをえない。そういうもんだ」 「だからって部屋に勝手に入るなよ」 「みんな盛りあがっちまって、俺が入っても何にも言わなかったぜ。酔っ払ってるんじゃないか?」 フロックは親指を立て、馬鹿笑いをしている芸人仲間を指す。幸か不幸か誰もフロックの乱入を気に留めていないようだ。 二人っきりで会っていたと週刊誌に載れば騒がしくなるファンたちも、プロダクションの交流だと銘打てば文句はあるまい。 ジャンは苦言を呈すことに疲れて、器にこんもりと盛り付けられた肉を食べることにした。 「随分肉の量が多いな、そんなに肉が好きだったか?」 「向こうのテーブルで呑まされてるおかっぱの好意の塊だ。オレは白菜の方が好きだっつーのに、胃がもたれて仕方ない」 「じゃあ俺にもお前の好意を分けてくれ。お前は興味ないだろうが、今回の映画は特に頑張ったんだ」 雛鳥のように口を開けて待つフロックに、何言ってんだ、とひと蹴りしようかと思った。しかしながらここ二ヶ月、簡単な連絡をする余裕すらないほどフロックが忙しかったのも事実だ。 映画のクランクアップだの、試写会だの、舞台挨拶だの、ひっきりなしに仕事をこなしていると風の噂で聞いた。 フロックの小さな口に、ジャンは箸を突っ込む。 「まあ、よく頑張ったんじゃねえの?」 盗賊をするフロックは、なかなかに表情が良かった。王子然とした役柄が多い今日、飛び抜けてこの男らしい役をもらったなと感心したぐらいだ。役者として、どんな役にも順応しなければならないのだろうが、ヒールの生き方を与えられたフロックは、眩しいぐらいに生き生きとしていた。 どこか楽しそうだなとすらジャンは感じた。 箸を引き抜くと、フロックはもそもそと無語で咀嚼した。食べる時ぐらいだな。こいつが静かなのは。 嚥下し終わったフロックは、しかしそれでも無言だった。珍しい光景に流石のジャンも心配になる。まさか、箸が喉に刺さったとか言わないよな。 フロックはたっぷりと時間をかけて、静かに口を開いた。 「俺が映画に出たことを知ってたのか?」 「知ってるもなにも、観に行った」 「は?」 「地下街で浮浪者に絡まれたときの回し蹴り、すごかったな」 半年前に格闘技を習い始めたと、以前の収録のときに言っていたが、きっとこの為だったのだろう。自分を良く魅せるための努力を惜しまない姿は、普通に尊敬できた。 「あとなんだっけ。ほら、海の上で料理長の代わりにお前が振る舞っていた料理」 「サシミ」 「それだそれ。河豚毒さえなければ、普通に美味そうだった」 「あれは、ちょっとだけ俺も実際に切った。端っこの画面に映るギリギリのやつ……」 フロックの声がだんだん小さくなる。いつも自信満々なくせにらしくない。 口をモゴモゴさせるせいで、ほとんど聞き取れなかった。もしかすると気付かれたくなかったのかもしれない。 扱いづらいフロックに付き合うつもりは無いので、適当に話題を変えた。 「そういやお前、一緒に飲みに来た奴らはいいのか?」 「その……あっちも大勢で打ち上げだ。俺一人ぐらい、いなくても問題ない」 「なんの打ち上げだ?」 「さっき言ってた映画の」 「お前主演かよ! 早く戻れ!」 驚いたジャンが肉を飲み込めずに咽せたが、フロックは頑なにこの場を離れなかった。 「お前がよくても、お前のマネージャーが困るだろ。早く戻れよ」 膝でフロックを押し出そうとすると、部屋の入り口がにわかに騒がしくなる。 なんだ、豪華な盛り合わせでも運ばれたのかと振り返ると、男が立っていた。ラフなパーカーに、カーゴパンツ。その広い額には見覚えがあった。 ジャンが固まっていると、今一番会いたくない人物と目が合った。 エレンだ。 映画の中にあった不揃いな髭は剃られていたが、肩まで伸びた髪はそのままだった。 「エレンじゃねえか!」 「久しぶり、エレン。映画出演おめでとう!」 もともと同じプロダクションだった仲間たちは彼に声をかけたが、当の本人は愛想のかけらもない挨拶をして、すぐにフロックの元にやって来た。 「早く戻れ、監督が目くじら立ててるぞ」 腕を引っ張るエレンに、フロックはムッとした表情を見せた。 「まだ頼んだビールが来てない」 「そんなの、向こうの部屋で頼めば良いだろ」 「駄目だ。ジャンと飲む酒だから美味いんだ。それがおっさんに変わったら、どんなに良い酒も不味くなる」 とんでもないことを言いはじめたフロックに、酔いから覚めた仲間たちが「あれ、いつの間に彼氏来てたの?」と、これまたおそろしいことを呟きはじめる始末。 ジャンは、自分用にストックしていたビールジョッキをあわててフロックの前に置いた。 「これやるからすぐに行け。いいか、もう喋るんじゃねえぞ」 「初プレゼントか、ジャン。こんなん飲めねえじゃねえか〜」 「だから黙れ!」 ジャンが雷を落とすと、フロックは目元を緩めて喜んだ。 ご機嫌にジョッキを携えて部屋を出ていくフロックの後を、エレンが歩く。久方ぶりの再会だというのに、出会い頭以降、一度も視線が合わない。 自分のことを避けているのか。それとも、彼なりに気まずいのか。 「おい」 気がつけば声を掛けていた。 エレンがゆっくりと振り返る。 「……なんだ」 「よ、よお。久しぶりだな」 調子はどうだ、とか、そんなことは映画の出来を見たら分かる。聞くまでもなく順風満帆だろう。ジャンは唾を飲み込んだ。腐っても元相方だろうに、どうしてここまで気を遣う。 「おいエレン、監督に叱られるってお前が言ったんだろ」 ドアの向こうから、フロックが顔を出した。早くしろよ、と付け足して。 エレンはもう、こちらなど見ていなかった。すぐに閉まったドアだけが答えだった。 「あいつ……」 今、自分はなんて言えば正解だったのだろう。いや、むしろ、話しかけるべきじゃなかったのか。 閉じられたドアを、ジャンはただただ見つめた。 あれだけ馬鹿騒ぎをしていた周囲もジャンの事情を知っているだけに、気を遣って話しかけてこなかった。しかし、それがかえって気まずい雰囲気の原因にもなっていた。 ジャンはため息を隠すためにジョッキを手繰り寄せようとしたが、フロックに自分の分を譲ったことを思い出して、さらに肩を落とした。