A CONTE~ストーカー系俳優さまの思惑~ 第7話

酒場に飛び込んできた男は新聞記者だった。 見たことがある。上司にこき使われて、街をいつも走り回っている新人記者だ。 長い指でどうにか帽子を押さえているが、上がった息はすぐには止まらない様子だった。 「一杯だけ頼む」 矢継ぎ早に注文する男。 受け取ったグラスを傾けて水を飲み干すと、男はガンッとテーブルにそれを叩きつけた。 「……はあ」 膝を折って、静かに椅子に座り込む。 さっきまで息を荒げていたとは思えないほどの落ち着きよう。いや違う。組んだ指先が震えている。男は明らかに何かに怯えていた。 かぶっていた帽子を大事そうに抱え込むと、男はついに観念したように胸の内を語り始めた。 「常々思っていたんだ。あの壁には何かあるって。それを暴くためにオレは新聞記者になったのさ。来る日も来る日もオレは調べた」 握りしめていた帽子を広げると、男は器用に指で回し始めた。心を落ち着かせるときの癖だった。 しかし途中で手元が狂って帽子は落下してしまう。 「ああ……すまねえ、ありがとう」 店員に帽子を拾われそうになった男は、お礼を言ってそれを断った。 帽子の埃を払ってもう一度かぶる。いつまで経ってもしっくりこない形だった。 「壁の謎は解くべきじゃなかった。そう伝えてくれるか、マスター」 男には隣町に母親がいた。こんなご時世だ。いつどうなるかも分からないからと、家族への伝言を残す者は多かった。それは隣町でも関係ない。知り合いの知り合いはみんな友達のようなものなので、伝えられる相手には気軽に遺言を託すようになっていた。 男も同じだ。真剣な眼差しをしながら、絞り出したような声で話す。 「今更後悔しても仕方ない、オレは知っちまったんだ。わざとじゃない、偶然だったんだ。だが……」 男はポケットに手を入れると、くしゃくしゃになった紙を取り出した。 それをしばらく眺めたかと思うと、マスターには聞こえないほど小さな声で呟いた。 「ああ、……」 聞き取れない誰かの名前を呟く。恋人か、兄弟か、親の名前か。 手にした紙は写真だった。男はそれで顔を覆い、膝から崩れ落ちた。 ゲスト出演 ジャン・キルシュタイン  撮影まであと二日を切った。 なにかにつけて飲み会を開きたがるコニーに誘われて馴染みの居酒屋に行くと、すでに店の前でサシャが待っていた。 個人的な話がしやすいようにと店員の気遣いで個室に入ると、三人はすぐさまお決まりの生ビールを頼んだ。つまみの定番をひと通り追加すると、ジャンは配られた熱々のお手拭きで顔を覆った。晩秋の寒さがじんわりと溶かされて、思わず声が漏れる。 「はあ」 「ちょっとジャン、そんなおじさん臭いことやめてくださいよ」 「もうオレたちも二七だぞ。十分じじいばばあの部類だろ。いつまでも若くねーよ」 「それはそうですけど……」 「サシャだってバンジーの時に腰が痛いとか言ってただろ〜」 「あれは冗談じゃなくて本当に痛かったんですよ、コニーは飛んでくれませんでしたけど!」 「俺はクイズ正解したからな!」 「それが一番納得できません!」 「失礼しまーす。お通しの鶏ささみの梅ポン酢和です」 付き合いの長い店員が料理を手際よく置いていく。たっぷりかかった梅干しが食欲をそそった。レモンを絞る。それをコニーが三人分に分け、サシャは喜んで食べた。 「ん〜梅干しが効いてて美味しいですね!」 「クイズの回答は遅くても、食うのだけは本当に早いよな」 「人類にとって最も必要な行為ですので」 ジャンも箸を使って一口食べる。大葉が鶏肉の臭みをうまく消している。アクセントの梅干しが全体をさっぱりとまとめてくれていた。その梅干しというのも近年外国から輸入されるようになった代物で、ジャンが最初に食べた時はその刺激的な酸っぱさに舌が痺れてしまったが、今では美味しく食べられるようになった。 金曜日の夕方は人が多い。酔っ払いたちが馬鹿笑いする声が隣の個室から漏れ聞こえた。これ幸いとばかりに、ジャンは他の事務所仲間には言えないような話を口にした。 ジョッキが三つ空になったところで、だんだんと舌がもつれ始めた。 「おいジャン、携帯なってんぞ?」 コニーに指摘されるまで気が付かないほど、ジャンは熱を上げてケニー・アッカーマンとの邂逅を語っていた。 「気付かなかったんですか、ジャン。慌てん坊ですね、ぷぷぷ」 「うっせーぞサシャ」 「もう水飲めよお前ら」 コニーが促した。 「電話出てもいいか?」 「いいですよ」 こめかみがキリキリと痛む。アルコールを摂取しすぎたのかもしれない。 配られた水をたっぷり口に含んで電話に出た。 『お楽しみのところごめんなさい、ジャンに伝えたいことがあって』 「マネージャー、お疲れ様です」 コニーとサシャに視線を送る。察した二人はメニュー表を取り出して、次の注文を話し合いはじめた。 『今から送る写真を見て欲しいの』 通知が届いたSNSを開くと、そこには見慣れたメンバーが写っていた。一部妙にぼかされた形跡はあるが、いたって普通の芸人の集まりに見える。 「先月の…事務所の飲み会のやつっスね、これがどうかしたんですか?」 『この写真どこに載ってたと思う?』 「は?」 意味深な質問に答えずにいると、マネージャーが言った。 『週刊誌の熱愛報道よ』 「熱愛報道って……誰と誰のですか?」 『あんたとエレンのに決まってるでしょ!』 「はあ!?」 そんな馬鹿なことあるんですか? たずねるよりも早く、週刊誌に添えられていたらしい記事が送られた。流石、できるマネージャーは仕事が早い。 「元相方とヨリを戻したか、って書き方おかしくありません?」 『過去にフォルスターとの同棲説が報じられた件があるから、世間的にはジャンは男色じゃないかって思われてるのよ。だから、匂わせでもいいから彼女作りなさいって言ったのに』 「付き合う気もないのに彼女作るって、なんかこう、違うって感じがしますよ」 『ジャンって本当、芸風のわりに真面目なのよね。だからこそ応援する人間もいるんだけど』 褒められて悪い気はしないが、論点はそこではない。ジャンは、居酒屋で話しかけた時の写真を凝視する。ちょうどこの居酒屋だった。 もう次からは来れないなと思いながら、上手く切り取られている写真の出来に感心した。 そうだ、このときだ。エレンとの違いを明確に見せつけられたのは。 「マネージャー」 『どうしたの?』 「このときの飲み会で、オレがエレンに無視されたの覚えてますか」 『え、何の話が始まったの?』 「オレはもう未練なんて何もねえってのに」 『ジャン?』 「オレが挨拶しても、エレンのやつ一言しか返してこなかった」 マネージャーは今度こそ静かになった。ジャンの様子がいつもと違うことに気がついたらしい。 ジャンはアルコールでぐるぐると回る思考を、どうにか動かした。 「それでムカついて」 心底腹がたった。エレンまでオレを見下すのかよって、そんなことばかりが頭を回って仕方なかった。だから何かしなくちゃだめだと悩んだ。今までのジャンは、自分の芸風を守ることこそが正義だといって何もしてこなかったから。 「オレ、ちゃんとフロックが出てるドラマ観ました」 『ジャンが?』 電話口でマネージャーの驚く声がする。たびたびフロックへの不満を吐いていたジャンが、わざわざ出演作品を観るとは思わなかったのだろう。 ジャン自身、どうして観る気になったのかいまだにわからない。映画だって、本当は観に行くつもりはなかった。しかし一度観に行けば、どうしてあの男が俳優として評価されているのかが嫌というほどわかった。 「あいつ、演技上手かった」 子供みたいな感想だ。でもマネージャーは笑わなかった。コニーとサシャですら、隣で聞こえているはずなのに何も言わなかった。 「何が上手なのかすら、オレにはわからなかった。それぐらいあいつの演技、上手かった」 専門的な言葉がなに一つ浮かばない。テレビにそれなりに出ているのだから、コメントを求められてそれらしいことは言ってきたはずなのに。月並みの言葉を用いるのは簡単だろうが、ジャンはそれをしたくなかった。自分の経験の乗らない褒め言葉なんて、絶対に言ってやるものか。それがジャンの最後のプライドだった。 「だからオレ、あいつらなんか目じゃない!ってみんなに思われるほど、力つけるしかないなって改めて思ったんです。ピンでやるのはパッとしないとか、そんなこと考える暇はないって。だってしょうがないじゃないですか。オレ、もうピンなんですから。やれることやるしか、それで進むしかないじゃないですか」 二人漫才の世界でなら輝ける。そう言い訳していれば楽だった。もともと二人で入った芸人の道だ。ピンでやるのは自分の性に合わないと、マネージャーに時々相方を探してもらっていた。自分で探すのはなんか負けた気がするからと、自分では事務所の奴に声すらかけなかったくせに。 過去の自分が見たら、蹴飛ばしたくなるようなことを何年もやってきた。 そんなみっともないガキの、遅れてやってきた反抗期に付き合ってくれたマネージャー。 『ははは』 「なんで笑うんですか、ペトラさん」 エレンとの仲を心配して今回も連絡してくれたのだろう。そんなマネージャーが笑っている。何か自分はおかしなことを言っただろうか。 ジャンが黙って考えていると、マネージャーは言った。 『だって高校の時みたいだもの。子供っぽくて、がむしゃらで、そのくせ負けず嫌いで。なにふり構ってられないって、都会に出てきたばかりのジャンみたい』 「高校生みたいって……それ褒めてないじゃないですか」 『ごめんごめん、気を悪くしないで。でも良かった。これならジャンにドラマのことを伝えられるわ』 電話の向こうでガサガサと何かを探る音がする。カバンの中を探っているらしい。あった、と言ってから、マネージャーは本題を口にした。 『ドラマ作家さんから、台本の修正が届いてるからまたポストの中を見てね』 「修正ですか?」 『なんか舞い降りた、とかなんとか言ってたけど、詳細はよくわからないわ』 ゴトン、と荷物を入れた音がする。どうやらジャンのアパートの下に居るらしい。 ジャンがコニーたちと居酒屋で騒いでいた時間も、マネージャーは仕事をこなしていたのだ。本当に頭が上がらない。 「ありがとうございます。あの、よければ居酒屋いるんで、マネージャーも来ますか?」 『あいにくだけど、今日はご飯作るって言ってあるから。ごめんね』 「分かりました、ありがとうございます」 なるほど。マネージャーの仕事の後は、冴えない彼氏のご飯作りときた。なんて働き者なんだろう。彼氏にはぜひ良いワインを買って帰ってもらいたいと、ジャンは切に願った。 電話を切ってすぐ、コニーとサシャがにやにやしていることに気が付いた。 「なんだよ」 「かっこいいですね、ジャン」 「気障すぎるぜ。いかすな、ジャン」 肩を叩いてくる。地味に痛い。 ジャンがやめろと言っても二人は当分の間やめなかった。彼らなりの励ましだったのかもしれない。 

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