自動販売機 第7話

学校のプリントを棚に置き、雷蔵が問う。 「軽はずみに返事をして良かったのかい?」 軽はずみ、と言われれば否定できまい。 竹谷は苦笑いをして、頭を頷かせる。 「いいんだ。ゲームに興味があったし……それよりも雷蔵の方が良かったのか?」 「僕?」 「だって雷蔵はゲームにさほど興味ないだろ」 「それこそいいんだよ。左腕を骨折している八左ヱ門がゲームをするなんて大変だろ、誰か手伝った方が良いだろうし」 「あー」 「まさか、骨折のこと忘れてた?」 「……おっしゃる通りです」 「やっぱり」 八左ヱ門らしいねと子供のように笑われてしまう。目先のことしか考えてない、と思われたのだろう。間違ってはない……。 しかし仮に自分が骨折のことを思い出していたとしても、あのときの久々知に頷いていたはずだ。 腹を割って話せば、人間誰しも分かり合えないことはないと思うのだ。 こっちの趣味を話して嗜好を知ってもらって、そんでもって相手の趣味を知って人となりを知って―――そうすればきっと、きっと……。 だから今回の誘いを断れば、久々知の気持ちを知るきっかけを失ってしまうような気がした。 竹谷とて久々知に固執する必要はないと、はっきり言えば思っている。 同い年のクラスメートなど日頃関わる機会の多いだろう相手ならいざ知らず、こんな大人のしかも職種が特殊な人なのだ。これから先に関わることなどあるのかすらわからない。 それなのにこうして竹谷が努力するのは、ひとえに彼の性格が『関わったら最後まで』という男気に溢れたものだったからだ。 「これ、月曜日提出の宿題だから」 「サンキュー。……なんか多くない?」 「そりゃ金曜日だからね」 棚に置かれたプリントの束を目にすれば、見えるだけで五枚はある。大雑把な雷蔵は整えることをしないためプリントがずれてあって、その枚数がよく分かる。しかも一番上が大っ嫌いな英語である。 せめて生物だったらやる気が出たものを……と竹谷が唸っていれば、雷蔵が学生鞄を持ち上げる。制服のままであることを意識すれば、もしかすると彼は帰宅途中だったのかもしれない。 「帰るのか?」 「うん。塾休んで来ちゃったから、一応途中参加でも顔を出そうと思って」 「なんかごめんな」 「いいよ、僕が勝手に来たことだ」 男前に雷蔵が首を振る。 おそらく塾を休むかどうか迷った挙句、真ん中をとって“後で行く”ということにしたのだろう。友人を放っておけない心優しい男だ。きっと大怪我をしたという噂の竹谷のことも無視できなかったのだろう。 お礼の意を込めて、棚に置いてあったプリント横の果物バスケットから林檎を取り出し「お持ち帰りください」と雷蔵に差しだした。 「お前のものだろう?」 「いや、うーん。誰のかわかんないけどこの部屋あるから、やるよ!」 「いい加減だなあ」 眉を寄せて困ったように言いながら雷蔵は受け取った。存外面倒くさがりな男は、お腹を空かせていたらしい。 「ありがとう。齧って帰るよ」 と言って、腕で拭いてもう食べていた。 切ってから食べろよ~と言いたいけれど、竹谷もそのタイプなので、「おいしい?」と訊ねるにとどまった。 「キタ……キタキタキタ」 唇から転げ落ちた繰り返しの台詞。 壊れたテープレコーダーが詰まっているみたいで、すれ違った看護師のひとりが振り返った。その顔はいつも久々知に会えば赤く染まるはずなのに、今回は違う。さあーっという効果音が付きそうなほど一気に血の気が引いた顔になる。 そのことに久々知は気づかないまま、部屋に戻った。 そして、底抜けに噴き出して笑う。 「あはは、はっちゃん! はっちゃんが来る、来るんだって、自分ではいって、はいって言うから!!」 そのまま大声で「あははは!」と笑っていれば隣の部屋との接続部分から、ごすんッ!と壁を殴られる。次いで誰かが廊下じゃない方のドアを開けてやって来た。 「浜さんうるさいです―――って、あれ?」 覘いたのは浦風だった。 「すみません、また付き添いの浜さんが大笑いしてると思って……。どうして笑ってたんですか久々知先生?」 申し訳なさそうに肩を竦めて謝罪をしてきたのち、顔をこちらに向けて理由を訊ねてきた。困惑、と顔に書いてある。 そりゃそうだろう。久々知は本当に感情の起伏がない。好物が出てきた時ぐらいしか目を見開かない。笑顔を患者に見せることもあるが、病院での付き合いが長い浦風にしてみれば、それがウソだということは一目瞭然だった。 それが、今の笑いは明らかに違っていた。 未だに久々知の頬がほのかに赤く膨らんでいるのが何よりもの証拠。 「別に」 言いながら頬が緩んできた。嗚呼駄目だろうな。 ―――言っちゃおうか? でも彼は部外者だ、わかりゃしない。あのときのことも知りゃしない。 でもだから、いいんじゃないか? 笹山みたいに余計な口出ししてこないんじゃないか? 同じ看護師でも立場が全く違う浦風に話すかどうかを迷った挙句、 (どうせ明後日にはすべてが終わるんだ) と思い出してさらに上機嫌になったため、久々知は話すことにした。 「上手くいきそうなんだ」 「うまくいく……?」 「個人的なことだから深くは言えないが、そうだな―――うん。来てくれるんだ」 そう言えば、浦風はさらに首をかしげてハテナを浮かべる。やっぱり伝わらないよなと思うが、久々知は決して悲観的ではなかった。逆に嬉しくて楽しみで仕方がなかった。 「きてくれる」 自分で言った言葉の響きに酔ってまた、「ははっ」と小さく笑ってしまうのだった。 医者がご機嫌だったことを不思議に思いながらも、看護師である浦風は自分の医者の元へ戻る。そこで待っていた医者はペンを鼻と唇との間に器用に挟みながら、「どー?」と訊ねてきた。 「変な顔……」 「おや、失礼な子」 ムッとしたと口で言いながら表情が変わらない医者に報告する。 「ご機嫌でした」 「おやまあ。それはそれは結構なことで」 「ええ。とりあえず、変なこと言ってました」 「へん~?」 語尾を泳がせながら医者はペンをペン入れに投げ入れた。上手く一発で入ったそれに、ふふんと鼻を鳴らしている。 「“きてくれる”って」 「―――それは困った」 「え?」 話を聞いているのか微妙なぐらいボーっとしていた医者が、前を向いたまま声を強くした。この男にしては覇気のある声である。 常時何を考えているのか分かりにくい医者だ。その変わりっぷりに浦風は驚いて、抜けた声を出してしまった。 そんな浦風を放って、医者は、 「藤内は昨日、どんな夢を見た?」 と訊ねる。 「夢、ですか?」 「そう。おやすみ~って寝て、見るやつ」 「どうしてまた?」 「いいから」 思い付きのような質問に戸惑いながら、この医者に抗議しても無駄だろうと今までの経験で悟る。そして昨晩のことについて考えを巡らせる。 こんな予習はしたことなかった……。 反省しないと、と思いながら。 なにかとてつもなくどうでも良い夢を見たような気もするし、大切だったような気もする。曖昧なのだ。夢というもの自体。 「そうですね……」 どうにか記憶にあるかぎりのことを伝える。 「自動販売機にお金入れていました」 やっぱりどうでもいいことだった。 でも他に覚えていることというと、落とし穴にはまって通りかかった人に助けてもらっただの落とし物をして拾ってもらっただの、どうでもいいことの極みだったのだ。 今しがた口に出したことと同レベルな“どうでもいいこと”のパラダイスだったため、浦風は自分の返答に『特にないです』と言えばよかったと後悔していた。 だからこそ医者に、 「そんなところか」 と漏らされたときには、何を言われているの分からなかった。 「そん……へ? なんの話ですか?」 「今から藤内にとんでもなくヤバい話をしてあげよう」 「いや、しなくていいです。僕は綾部先生の共犯者になりたくないです」 「遠慮しなくていいよ。高校の時だってやんちゃしたでしょ、一緒に」 「あれは巻き込まれたんです! 予習させてあげるからって謳い文句に騙されて!」 「騙したとは人聞き悪い。藤内が何でもやりたがるから、巻き込まれるんだよ」 「じゃあ今回は無かったということで」 「それとこれとは別のはなしだ。これは先輩命令、昔の感覚で良いから付き合うコト」 「え~」 心底嫌そうに藤内が唸れば、医者である綾部は聞いてないというように耳を塞ぐふりをする。……ダメだ。やる気だこの人。 いつもやる気が見えない得体の知れない先生だと病院内でも噂されているが、その反面一度決めてしまった信念に関していえば、誰の言うこともきかない頑固さがあった。それが発動されると、いくら高校からの付き合いである藤内が「やめましょう!」と止めても『NO』を突き返されるのである。 今回は恐らくそのパターン。観念した浦風は、 (これも予習のうち、予習のうち……何のだ?) とハテナを浮かべながら綾部の話を待つことにした。 「コホンっ」 綾部が耳から手を離してはわざとらしく咳を一回し、話し始める。 「藤内は昨晩夜勤だっただろ?」 「はい。突然変更になって困りました」 「それは僕が申請したから」 「なんで勝手に僕のまで、するんですか!?」 「それはまあ置いといて」 「置いとかないでくださいよ」 小うるさく浦風が反発していれば口のなかに飴を押し込まれた。うん、これ薬用ドロップだ。しかも薄荷味で、微妙に浦風が苦手としているヤツ。 「藤内が、巡回が終わって寝ているとこに、注射をしたって訳だ。チクッと」 「……はい?」 「そうしたら思った以上にぐっすり眠っちゃうからさあ、僕の休憩時間がぜーんぶ藤内の休憩時間にとられちゃうし、もう二度とするもんかって思ったね。だって、向こうに往くのも気力使うし、戻ってすぐの寝惚けた頭だと久々知先輩に気づかれちゃうだろうし~それを考えてたら、疲れるったらありゃしない。なのにいつもあれを兵太夫がしてるんだから、アイツは結構物好きだ」 「いや、それ綾部先生に言われたらおしまいだと思います。―――じゃなくて、注射ってどういうことですか!?」 飴を噛み砕きながら吠えれば、綾部が眉を寄せて嫌そうな顔をする。 「人の話は最後まで聞きなって」 「聞きたくないような話がされるんですよ」 「それはお気の毒さま」 「しているのは先輩ですけどね」 「ふふん」 ご機嫌に綾部が顔を変えた。どうやら“先輩”と呼ばれたことが嬉しかったらしい。 そういう場合じゃないだろうと浦風は焦る。 「で、その注射ってなんですか? 体に影響ないですか? 睡眠状態が変わるとかそういう方面ですか?」 「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。もう一度注射したから」 「なんで二回もするんですか!?」 「そうしないと戻ってこれないから」 「っ?」 吠えていた浦風がストップする。 綾部の声が変わり、糸を張ったような静けさを伴い始めたためだ。顔を見れば、その表情も意図的に冷たくされているような気がする。 どうしたのだろうか? 浦風は理解に苦しむ。その状態の彼に気づき、綾部はため息をひとつ吐く。そして珍しく声を和らげて話しかけてきた。 「そういう薬なんだよ」 「……くすり?」 「うん。自分が望む世界に行ける薬」 「自分が望む世界―――」 「とは言っても、今の段階では半径100m以内の、一番はじめに注射をした人間の望む世界に左右されるんだけどね」 「それって接種した側の人間じゃなくて、注射をした人間の意志に従うんですか?」 「そうそう、調合段階で決められるんだよ」 淡々と説明をしていく綾部は何も戸惑っていない。反対に浦風は困惑してきて、 (そんな訳の分からない薬があるのか、と戸惑っている自分がおかしいのか……?) と狼狽えていた。 それを見た綾部はやはり優しい声色をして、話を続けた。 「昨日はお前のおかげで助かったんだ」 「―――へ、」 「ひとりの患者が藤内のおかげで戻ってこれた」 「僕は、何も、してませんよ?」 「そりゃあ~したのは夢の中の藤内だから」 「またそんな意味の分からないことを……」 「お前はさっき自動販売機と言っただろう? あれさ」 「何がですか」 「向こうの人が戻ってくる、たったひとつの方法が」 まさか、とはもう言えなかった。 充分心当たりがあるのだ。 夢の中だけに限定されれば、浦風が誰か知らない人を『先輩』と呼び、頼っていたということは。 そしてその人に負担してもらいながら自動販売機を動かしたことを、浦風はよく覚えていた。 (あの夢は―――本当に薬によって作られた世界だったのだろうか) うっすらと浦風が信じはじめていれば、それを見た綾部が「本当は現実のことなんだけどね」と小さく呟く。しかしそれが本人に届くことはなかった。 そして綾部は頭を抱え込んでいる後輩の背中を目にしては、 「アルバイトは上手にしなよ」 と言った。 まるで銭が足りずに、結局隠れて立花が出す羽目になった昨晩のことを示唆する口ぶりだった。 「とりあえず明後日、何をするか知らないと手の出しようがない」 綾部が面倒くさそうに、そう唸る。 ふと廊下側のドアがスライドした。 開いたドアの先に立っていた青年が、誇らしそうに「ふふんっ」と笑っている。 「相変わらず久々知は、詰めが甘いな」 「……目が覚めてたんですね」 立花先輩―――と綾部に呼ばれた青年。 その右手には黒い小型のカラクリが持たれている。浦風が思うにそれはおそらく盗聴器のようなものだ。 そんな青年をみて浦風は、 (どこから来たんだろう、この子。……というかなんで先輩?) と不思議に思っていた。 すると青年は、浦風をみて口角を上げる。実に顔の整った、儚げな容姿の、雪のような学生だ。 「藤内もいるなら話は早いな。さっき兵太夫にも会ってきた」 「手が早いですねぇ」 「変な言い方をするな。……おい、藤内も変な顔をするな」 「えー……だって初対面の高校生に呼び捨てされた」 「“しょ”対面? ―――喜八郎、お前説明しなかったな?」 「僕のキャラじゃありませーん」 「お前がキャラなんか気にするもんか」 ただただ面倒くさかったのだなと思い至りながら、少年―――立花は、浦風の方をまた向いて微笑みかけた。 「私たちは作法を重んじ、その様式美にこだわる集まりだ。取って付けたような生半可なものを嫌い、世の理に背くものを排除する。……お前はどうだ?」 浦風藤内。 ―――名前を呼ばれた彼は、肩を揺らして「ぼくは……」と戸惑った。

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