自動販売機 第10話
だれもいない部屋に向かって、尾浜は「お邪魔しまーす」と声をかける。 「言いながら入ってきたら世話がないな」 「うわあ。居たんですね先輩」 団子のような目をさらに丸めて言えば、「冗談は良いから早く入れ」と叱られた。 相変わらず冷静な先輩だ。これだからい組は面白い。 「オレを呼び出したってことは兵助は失敗しました?」 「分かりきったことに時間を割くな。そんなに自分の友人の末路を知りたいならお前も参加すればよかっただろう」 「嫌だなあ。オレはゲームの責任者だから舞台から降りれないの、知ってましたよね?」 「ああ聞いた。鉢屋のプロジェクトを乗っ取って発表したと」 「うわ~人聞き悪い。あいつそんな言い方したんですか、心外だな。オレそんな人間に見えます?」 「十分な」 「立花先輩にそれをいわせるって、相当オレ信用ないですね」 あ~ショック。 そう言いながら背伸びをする尾浜の方を、立花がチラリと見やる。 疑いの目を取り下げるつもりはないらしい。立花は相変わらず探るような視線を送る。 「今回の件に関して……どっちつかずの態度をとっていればそうなる」 立花に“その件は終わった”と安堵している様子は全くない。むしろ『まだやることはある』とばかりに、思考回路を巡回させているようだ。 (だからオレが呼ばれたってわけね。面倒だな~) 尾浜は素直にこの部屋に呼ばれてやったことを後悔する。 いくら先輩からの呼び出しとはいえ、ゲーム発表の後片付けが~と適当なことを言って聞き流せばよかった。 それをしてもどうせこの先輩には通用しないのだろうが。 「ま、そりゃあ学級委員長委員会が公平でなくなって困るのは作法委員会ですよね」 尾浜が呼び出された理由を知ったような口調でいえば、片眉を上げたのは立花だ。 「分かっていたのはお前だけだろう。鉢屋や黒木はもう手を貸してしまっていた。では、それを止めなかったお前の真意は」 「―――三郎も庄左ヱ門も冷静なようで、人の情に流されやすいですから」 「お前にはそういう相手がいないからな」 「あ~あ。そうやって分かっていて聞くんですから」 人が悪いなあ。 尾浜が愚痴るように呟けば先輩が喉の奥をクツクツと鳴らして笑う。 「結果として今福はどこにいたんだ?」 「灯台下暗しでしたよ。おそらく今ごろ笹山兵太夫と一緒に居るんじゃないですか」 「……どういうことだ」 「ちょ~地元の学校ですよ。大曲第一小学校の四年A組。同じクラスに黒門伝七がいます」 「どうりで兵太夫が戻ってこないわけだ―――今の自分の身分をわかっているのか」 「看護師が小学生にしゃべりかけるとか、とんでもなく面白いですけどね」 「そういう問題じゃないだろう……」 立花は語尾をため息に溶かす。 この先輩といえば涼しい顔をして人を罠にかけている印象があったが、今のこの姿が委員会での本当の姿なのだろうと尾浜は思いつく。 エリートに見えて面倒見が良いのがこの人だ。そうじゃなければ今回の竹谷の件に関しても率先して協力してくれなかっただろう。 いくら五歳年下だった可愛い後輩の頼みであったとしても、受験シーズンであるはずの高校三年生の立花である。目指している大学も国立の競争率の高いところだと聞く。要領の良い彼であっても勉強なしではいけまい。 そんななかで全面的に笹山に協力してくれたことは、確実に作法委員会の勝利につながっているといえる。 立花の張り巡らされた策略と綾部の人の裏を掻いた罠……笹山の相手の感情を巧みに操る言霊に、何も知らされていなかった浦風の真面目さ。 そのどれが欠けても久々知や鉢屋たちは彼らの企みに勘付いてしまい、作法委員会の失敗に終わっていただろう。 まるで竹谷が救われる運命だったような展開を尾浜は面白くないと思う。 結果として幸せになったのは雷蔵と出会えた三郎と、あと全員揃った作法委員会だけなのだから。 「なんだかなあ」 聞こえないように漏らした尾浜。 「竹谷は奥の部屋にいる」 「……八左ヱ門が?」 わざわざ顎で方向までさしてくれる立花に苦笑が漏れる。 だって覚えていない竹谷にとっていまの尾浜はただのゲーム会社の社員である。混乱しているであろう今の状況で向かったところで話すことなんて何もない。 それなのに、この人は行けというのか。 なんて横暴なんだろう。 ……そういえばいつも自分の一つ年上の人たちは、誰もが横暴だった。逆らわせないだけのカリスマ性もあれば実力もある。 この人たちがいれば大丈夫だと安心なんかできるもんか。そのつぎ卒業する自分たちはどれほど、重荷だったのか、きっとこの人たちは知らないだろう。 幾度となく夢に出てきたその苦悩を思い出して尾浜は思わず笑顔を無くし、苦虫を噛み潰したような表情になる。 (―――ああ、でも) 兵助が言いたかったことが少しだけわかる。今ならそう思う。 どんだけ焦って踏ん張って、先輩に追いつけないと不安に駆られていても……あの時代の方が今より何倍も楽しかったな。 委員会途中に団子食べて叱られて……木の下でみんなで昼寝して。スマホなんて便利なものは無くても……泥だらけでいたのも楽しかったな。 今じゃあんな草木に覆われたところを探す方が大変だ。 そりゃあ―――戻りたいと思うね。うん。 「オレの忠告は役に立っただろう」 入室第一声でそう言われる。 ドレッドヘアーを揺らしながら入ってくる男を、竹谷は知っていた。 全てを見透かしたような台詞にわずかな恐怖を抱く。思わず手に持たされていたスマホを押そうとしたところ、「待って待って。オレが悪かったって!」と止められる。どこかに連絡されそうになったことに焦っているらしい。……ますます怪しい。 「あの……なんで?」 「ん~まあ兵助の友だちだし?」 「……」 「待て待てだから押すな!」 軽いノリで返答してくる男に今度はイラッとしてスマホを握り直すと、頭を下げられる。ここまでしてやっとチャラい男はきちんと話す気になったらしい。 竹谷が男に頼まれたようにスマホを膝の上に置く。とりあえず話を聞く態度をとってくれないと話さない、とのことだ。……なに様のつもりなのだろうか? 「それで貴方は何者なんですか?」 「あれ、君。ちょっと口調変わってない? オレのこと怖がってたんじゃないの?」 「なんか……あーうん。癪に障ったから」 「うわあ竹谷八左ヱ門だ」 思ったことを言えば男に嫌そうな顔をされる。失礼な人だ。 あと一つ疑問に思ったことがある。 「どうしておれの名前をみんな知ってるんですか?」 そうだ。まだ笹山や立花は今まで数回会ったことがあるのだから分かる。しかしながら先ほどから立ち代わり入れ代わり部屋にやってくる人は、全員一様に「竹谷先輩」と呼んでくるのだ。 どうして年上の見知らぬ人に“先輩”と呼ばれるのか、それが一番よくわからなかった。 「別にどうでもよくない?」 「……知られると不味いことでもあるんスか」 「いや? というより言っても納得してもらえないだろうから。現代っ子には」 「現代っ子って……貴方も現代人じゃないですか」 また人をおちょくっているのかと竹谷が呆れる。すると男はへらへらしていた顔をそのままに言う。 「お前にとっては化け物みたいな存在だよ。オレも兵助も」 「ッく、くく、ち……せんせい……?」 「あーあ。そんなに怖いなら口に出すなよ。肩こわばってるじゃん」 ため息を吐かれる。しかしこればかりはしょうがないことだ。 アダルトサイトすら怖気づいて見たことのなかった竹谷がされたことは、今しがた触れられたかと思うほど強烈な記憶として残っており、すぐに消えるものではない。もっと言うならば下手な拷問よりも身に沁みついている。 そのまま竹谷が黙り込んでいれば尾浜が続きを話しはじめる。 「お前は冗談だと思ってるかもしれないだろうけど兵助は本気で待ってたんだよ」 「……だれを」 「だから怖いなら聞くなって。声震えてるけど?」 「い、いいですから」 「責任感が強いのは悪いことじゃないけど時と場合があるだろうに……まあ、オレには関係ないけど」 吐き捨てるように尾浜が言った。 人のことに興味が薄い尾浜らしい台詞だ。 「八左ヱ門は友達いたことある?」 「は、はあ?」 「沢山いそうだよな~お前の場合。まあオレも多い方だよ? 自慢じゃないけど卒アルとか落書きだらけでさあ。誰がどれ書いたかわかんないとかしょっちゅー」 「それ、何の話すか……」 「兵助の卒アルさ」 「ッ!」 「“友だちに書いてもらうから汚さないで”ってみんなに言ってんだよ」 「―――?」 「おかしいよな、だってクラスメートが書こうとしてんだぜ? それ普通友だちじゃん。なんで書かせてくれないのって、そりゃみんな不思議がるわ」 「それは……まあ」 尾浜は竹谷の腰かけていたソファーの前にしゃがみ込む。 「俺は書かせてくれたよ」 「はあ……」 「“あとはろ組に書いてもらうんだ”って言ってきかなかったよ、あいつ」 「ろぐみ―――?」 一体何の数え方だろう。普通クラスといえば1組、2組という数え方か、もしくは都会では英字で数えられると聞く。それが“ろ組”とはどういうことだ。 竹谷が困惑して何のことか悩んでいる。 それを見て尾浜は「……やっぱり無理なわけだ」と小さく笑う。 「八左ヱ門が分からないならやっぱり兵助がしたことは間違えじゃなかったっていうことになるけど。別にオレは賛成派じゃないしな~ましてや反対派でもないけど」 「……その、先生がしたことって、何なんですか?」 やっと竹谷は事の中心を訊ねることができる。さっきからみんなが口を揃えて言うのだ。『これで件は終焉だ』と。でもまず竹谷にはその“件”がわからないのだ。 仮に久々知が自分を狙っていたとしても分からないことが多すぎる。ただ高校生を医者が襲っただけの事件にしては、明らかになっていないことが多すぎるのだ。それにこれだけ人がいるのにもかかわらず、いつまで経っても警察がやってこないのも不思議な話だ。 「聞いても無駄だと思うよ」 「なんで、」 「だってお前は信じない。ましてや兵助の名前を言うことにすら慣れてない今言ったって、何にも意味はない」 「……」 「止めておけって。雷蔵が後はどうにかしてくれるよ? 三郎もあいつには甘いから悪いようにはしない。主犯格の兵助と三郎が動かないんじゃ、他のみんなも諦めるだろうしな」 そして尾浜は言葉を切って、はっきりという。 「もう終わったんだ」 ニッコリと笑っている。忘れてしまえお前には関係ない。そう言っているように竹谷には感じる。 たしかにその通りだ。すべてを引き起こしていた久々知は今どういったわけか寝たきりになっている。共犯だったはずの男が雷蔵のいうことをきくのであれば、もう怖いことは何もないはずだ。 自ら進んで恐怖の中心に向かう必要は、全くない。 あとはいつも通りの高校生活を送って友人たちと馬鹿をして青春を謳歌すれば、すっかり全部元に戻る。犯されそうになったあのことだって、黒歴史として墓まで持っていけばいい。 だがそれを良しとしなかったのは竹谷本人だ。 「―――どうして大人は」 「ん?」 「どうして大人は、黙ってしまうんですか。嫌なことがあっても言いたいことがあっても、まるで何もなかったように飲み込んで、自分だけ我慢すれば良いみたいな面してるんですか……?」 「なに言ってんの?」 「お、おれは馬鹿だから」 「うん知ってる」 「あ。はい」 言葉の端を折られて声が詰まる。竹谷は咳をして仕切り直す。 「言葉にしないと……分からないです」 「てことは?」 「おれは察することができないんです、馬鹿なんです。だから……くっ、くくち、せんせいが……なんでおれに……その、あんなことしようとしたのか分からない」 「タジタジじゃん」 すらすらと言えずに幼稚な言葉になってしまう。竹谷は自分の不甲斐なさに悔しい思いをする。しかしそれでも言い切ったのは、これが本心だからだ。 それさえ分かっていたために尾浜は言った。「馬鹿だ」 「自分がいま言ったことわかってんの?」 「は、い」 「強姦されそうになった理由聞いてるんだぜ?」 「は……ぃ」 「男相手にセックス強要されたとか、フィクションでも笑えないことされかけたの、ほんとうに自覚してるわけ? 一歩間違えば本気で青姦がハジメテだったんだぜ? お前自分がヤバいの、わかってる?」 「っ、」 「ただ高校生が泣き喚くのが好きな性癖なだけだったらどうすんの。誰でもいい通り魔だったら? 病院での態度に腹立ってヤろうとしただけだったら? お前のことだから一生悩んで他人のこと受け入れられないだろ」 「で、もッ」 「兵助だって男だからさ……お前も気持ちわかるだろ? お前に謝罪させるために優位に立とうとして悪ノリしたかもしれない、ってそんなことも予想できないわけ?」 「―――でも」 尾浜に言われたことが正解だったらと思う不安な気持ちはある。 なのにどうしても、久々知が途中でいっていた言葉が心に引っ掛かっているのだ。 “俺もはっちゃんと居たかった” あのときは怖くて仕方がなかったがもしも、万が一にも……この言葉が本音だったら。 竹谷は胸が苦しくなる。 「おれ、は……知らないと駄目だ」 「はあ~めんどうだな―――だから餓鬼なんだって」 そう言うわりに尾浜は口角を上げてため息を吐いていた。 「安心しなよ。兵助はそんな動機でセックスするような奴じゃないから」 「あの……」 「なに、セックスしないのが信じらんない?」 「いやそうじゃなくて! そんなに大きな声で何度も、せ……っくす―――言わないでほしい、っていうか……」 「はあ? なに餓鬼みたいなこと言ってんの。友だちと話すだろ、それと同じ感覚で聞けって」 「……しないッス」 「はッ? 嘘だろ? ―――まじで?」 「はい。だって雷蔵はそういうこと好きそうじゃないし……田舎だから外で虫とってることの方が多いし……」 「えーうわぁ……それで兵助ヤる気満々だったとか、ちょーいたたまれないじゃん」 これは本気でお気の毒だ、と尾浜が顔を顰める。 珍しく本心から同情しているようだ。 「とりあえず言い訳にしかならないけど、兵助は腹が立ってシようとしたわけじゃないから」 「はい」 その台詞に竹谷は息を吐く。これは安堵のため息だ。 まずひとつめの説明はしてもらえた。しかしまだ真実は何もわかってはいないのだ。 尾浜の放つ一言一言を聞き漏らさないように、竹谷はソファーから身を乗り出して一生懸命聞く。 「兵助は幼稚園児の頃から“はっちゃん”を探してた」 竹谷の脳裏には今よりもふわふわとした白い肌の子供が思い浮かぶ。きっと綺麗な顔立ちの子供だったのだろう。幼少期の竹谷とは正反対に、久々知は昔も今と変わらずに賢い振る舞いができそうだ。 ふいに覆い被さってきた久々知の表情を思い出して右拳が震える。それも無視して竹谷は尾浜の言葉を聞き続けた。 彼の言葉はにわかに信じがたかった。 正直どこの物語だろうと思った話はいくつもある。忍者なんてそんな絵空事でしかないような仕事があったという前提すら、ふざけてるのか? と話の中盤まで疑っていた。 なのに尾浜は笑ったままでありながら目は何かを懐かしむように時々潤んでいたのだ。まるで本当にあの頃が楽しかったと言わんばかりに。 竹谷は嘘かどうかなんて気にしている暇がなかった。 「いま兵助はその一番楽しかった時代に往ってるよ」 そう言われたからだ。尾浜はポケットから透明な容器を出してちらつかせている。 そしてこうとも続ける。 「たぶんもう、目を覚まさない」 「え……」 竹谷は思わず握りしていた手を目の前のテーブルにつき顔を突き出す。 「だって普通にその注射で往けたんだから戻るのも……えっ? もう一回打ったら戻ってこれるんですよね……?」 「調合した薬があればね。通常薬を作るときは往きの分と帰りの分の二つを一組として、往く人数分用意するらしい。しかも四半刻、つまり30分以内に打たないと戻れない」 「じゃあその薬をもう一度作って、」 「あるよ。兵助が作ってたやつがもう一本。でももう30分以上経ってるんだよ。まず今の地点で兵助に打っても意味がない」 「じゃ、じゃあ自動販売機!! あれに銭を入れても戻ってこれるんですよねッ!?」 「たしかに自動販売機なら時間を気にせずな戻ってこれる。だか兵助はその存在を知らない。まず知ってたら作法委員会がお前をこっちに戻せないだろ」 「だけど! あんな変な機械が室町なんかにあったら気づくはずっ、」 「注射は打った本人しか現代の記憶を引き継がない」 「そ……んな……」 竹谷は言葉を失う。 まるで世界が久々知を捨てようとしているみたいだ。 指先まで体温がなくなっていくのが分かる。おそらく顔色も蒼くなっていることだろう。 それを見て尾浜は首をかしげる。 「良かったじゃん」 「へ?」 言われた意味がわからず抜けた声が出る。 「だってもう兵助に追われなくて済むんだよ。万事オッケーじゃん、八左ヱ門おめでとう」 「いやいやそれって少し違う、」 「どーせ兵助が戻ってきても八左ヱ門のことまた犯そうとするよ? もう二度と逃がしてもらえないよ、普通の生活に戻れないよ? だったら二度と兵助に会えなくなって良かった!」 「……」 「どうしたの、嬉しすぎて声でない? あ、わかった。思いつかなかったんだろ! 八左ヱ門って変なところ鈍いからな~」 「そんなこと言ってる場合じゃないだろッッ!!!!」 ドゴッッ!! 右手から鈍い音がする。 気づけば竹谷は右拳で尾浜の頬を殴っていた。本気で殴ったからだろう尾浜の身体はわずかに浮いて、離れたところにあった段ボールの山に突っ込んでいった。 ガタガタと段ボールが崩れてくる。部屋のなかが騒がしくなってから、暫くして静寂に包まれる。「いって~」 唸りながら尾浜が這いあがってくる。 「ぁ……す、すみません」 「思いっきり殴っただろお前……マジで痛い。―――なに? なんでそんなに心配してんの。雷蔵がそうだったらまだしも、相手は兵助だぞ。そこ勘違いしてるだろ」 「そ、」 「オレ言ってるじゃん。もうお前忘れろって。兵助のことはこっちでどうにかするし、お前はもう高校生に戻れって」 「……どうにかって」 「それはどうにかだよ。大人のいうことは信じられないって?」 「―――違う」 「お前が心配してんのも同じ大人だ。大人のことは大人に任せ、」 「おれが!! 心配してるのは、久々知兵助だ!! 他の誰でもない……ッ、大人じゃないッ、久々知兵助って奴だ!」 包帯を巻かれた右手で尾浜の胸倉を掴む。地面に倒れ込んでいた尾浜は強制的に顔を上げさせられて心底苛立っているようだ。 「耳元で吐けぶな!!」 「い゛った……ッ!」 顔を歪ませた尾浜が鉄拳を決めてくる。脳天にきまった一撃必殺のようなそれに、竹谷の手がほどける。 「まったく……最近の若い子はキレやすいなあ~」 呑気に言いながらも尾浜はまだ怒っているのか語尾がキツイ。 やってしまった感があるため、竹谷は頭を押さえながらその場に正座をする。 「で、」 バンダナを撒き直しながら尾浜はきく。 「冗談抜きで八左ヱ門はどうしたい?」 「……おれは」 「言ってみろって」 改めてたずねられると言葉が詰まる。どうにかしたい気持ちはあるが実際何ができるのかわからない。やっぱり口先だけだったんじゃないか、そう言われるのが目に見えている。 別に罵られるのも呆れられるのも問題ない。しかしながらそれで久々知が戻ってくるわけではないのだ。 竹谷は何か方法はないかと唸る。 胡坐をかいたまま悩んでいるため時々骨折したことを忘れて左腕を膝につきバランスを崩す。それを何度も繰り返していた。 それを見ていた尾浜が小さな声で訊ねる。 「どうして悩むわけ」 「え?」 耳の良い竹谷にはそれが聞こえている。 「オレには理解できないよ。なんでお前にとって記憶にないはずの奴のために頑張れる? 突然襲おうとした奴だぜ、理由があったとはいえ」 「あーうん……たしかにそうなんだけど」 「もしもオレが言ったことが嘘だったらどうするわけ?」 「それは困るな……はは」 「本当はお前と兵助があったことなんて無かったら? 忍者なんて空想のことだったら?」 「うん―――それでもいいさ。おれはただもう一度、久々知兵助に会って話がしたいんだ」 もう竹谷は久々知の名前を震えて呼ばなくなっていた。 そのことに尾浜が気づいたとき、やっぱりこの男にはかなわないと肩を落とすのである。 人と人とは分かり合えないといったあの青い学年だった頃―――竹谷と考えが衝突して、“語りつくせばいいだろう”と言い切られてしまったあの頃から。 そして尾浜はもう一つ竹谷に敵わないと思わされる。 「たしか注射、もう一本あるんだよな?」 「あるよ。ほらこれ。でももう兵助に打ったって意味ない」 「兵助に、だろ? ……おれに打ったらどうなる?」 「そりゃ調合された世界に往けるけど―――まさか」 竹谷はニッと笑って「そのまさか」と繰り返す。 「無理ムリ無理。絶対にそれは駄目だろ!? 雷蔵にお前が安静にしてるか見て来いって言われたのに注射打ったなんか知られたら、オレ殺される! てか兵助にも何やかんやで殺されるし!!」 「あ~まあそれは、おれがどうにかする!」 「てかどうやってお前戻るつもりだよ!? オレ言ったからなッ、自動販売機は使うたびに桁が跳ね上がって最後は、払えるような金額じゃないって!!」 「……前、おれいくらだった?」 「20銭だよ」 「じゃあ次は?」 「200銭だろうな」 「い、今の値段では……?」 「ざっと二万円。しかもあの時代でそれだけ稼ぐとなると、一年じゃきかないから」 「マジか」 「そのうえ今から往くのは何歳かわからないからな。赤子だったら働き始めるのにすら時間かかるぞ」 だから止めておけ、と尾浜が全身からオーラを出す。形相すら変わっていて、とてもじゃないが見てられないような顔をしている。 たしかに尾浜の言うとおりである。むしろ誰に話しても十人中十人が止める計画だろう。 こんなすごい薬ができるぐらいなのだ。笹山を待っていればもっと効果的な薬や方法ができるかもしれない。それを待った方が確実かも知れない。―――でもそれがいつかは分からない。 そんなに長い間久々知を見捨てておけるだろうか。 竹谷は自分に問いかけてみる。『お前は久々知兵助のために人生を棒に振る覚悟はあるのか?』と。 ……はっきりいって愚問だと自分が笑っている。 だっておれは室町のその頃からいつも言っていたらしいのだ。 「関わったら最後まで! おれは……兵助の気持ちに応えたいよ」 竹谷は太陽のように華めいた笑顔を浮かべて応える。 何百年もおれを想い続けてくれた兵助に さあ、想いを返そう。