自動販売機 第12話

「はぁ……」 大きな欠伸が漏れた。 背伸びをして唸っていると気持ち良くなってくる。 今日は良い昼寝日和かもしれない。こんな日には何も考えずに寝転がるっていうのもいい。 そのためにはまず、右手に持った教科書が邪魔だ。 辺りを見渡していると、視界に黒い足が入る。視線を伝わせて天を仰げば、見知らぬ顔がそこにあった。「昼寝か?」 「―――だれ?」 「ああ悪い。お前がすっごく気持ちよさそうに欠伸をしていたから、おれも眠くなってきたんだ」 「見てたのか……」 兵助が恥ずかしがっていれば、男の子が首部に腕を回してごろんと勢いよく廊下に寝っ転がってしまう。 春のような麗らかな天気に、程よい廊下の冷たさ。この絶妙なバランスがとっても気持ちが良いことを兵助は知っていた。 しかしながらそれを共有できる相手はこれまで誰もいなかった。兵助は大変引っ込み思案な子供だった。 隣に寝転がった男の子が満足して瞼を閉じている。そんな我が物顔で自分の傍に突然現れた子供に、兵助は戸惑う。 これでも忍者のたまごをしている身である。相手に警戒してしまうのは仕方がない。それと同時に人との距離を測ることが下手くそな兵助は、こんなにすぐに無防備に近寄って来る存在に困惑してしまう。 これでもかというほど待ったのち、兵助は勇気を振り絞ってたずねることにする。 「なにか……用なの?」 すると、すぐに「そうじゃない」と返される。どういうことなんだろうと兵助は首をかしげる。「どういう、こと?」 思わず兵助が困り果てて男の子に問いかける。 突然男の子はがばっと上体を起こして、兵助の方に顔を近付ける。 「あのさ。友だちに“何か用”ってことはないと思うぞ」 「え?」 「だって友だちなんだから用なんて無くても、一緒に居ていいだろ?」 兵助は困惑する。 「きみ、おれの友だちなの?」 「おれがお前と友だちになりたいから!」 「……だって名前すら知らない」 「一年ろ組竹谷八左ヱ門だ! お前は?」 「い組の久々知兵助だけど」 「ほら名前も知った。じゃあもう友だちだ」 そういって竹谷は華が咲くように笑う。それも慎ましやかな小さな花とは違う、大輪の力強い太陽のような花だ。 竹谷はその大きな優しさと力強さで兵助を引っ張る。 「一緒にこのまま日向ぼっこしようぜ!」 「えっと……う、うん―――」 「どうかした?」 「あ……あのね、竹谷」 「ハチでいいよ」 「はち……?」 「はっちゃんとかも近所の子に言われてた」 「じゃ、じゃあ……はっちゃん」 「なに?」 胡坐をかきながら竹谷が返事をする。眩しいほどの笑顔を携えて。 「おれのはじめての友だちになってくれて、ありがとう」 その台詞を聞いて竹谷は分かってしまった。 久々知のことをちゃんと見れていなかったのは自分だったんだ。 久々知のはじめての友だちは自分だった。 そんな特別な存在を大切に思い、ずっとずっと久々知は探してくれていたのだ。現代で全く記憶を持たない自分を何年も何十年も探し続けて、そのうえ自分は何も思い出さなくて……それでも久々知は諦めなかった。 すぐに彼に渡すはずだった風呂敷に二銭を隠して、竹谷は苦し紛れに久々知に抱き付く。 まだ乳臭さの残る子供らしい柔らかさのある体だ。そのどこにも現代で匂わせたことのある色気などない。たしかに久々知は子供の頃から綺麗だったようで、目の前にいる姿からですら、将来の顔立ちの良さを感じる。しかしそれでも久々知はまだ綺麗に笑えている。 心底嬉しそうに笑って……でも少し恥ずかしそうに顔を俯かせて……友だちへのお礼を一生懸命伝えている。 これがあんなに仄暗さを纏ってしまったのは、紛れもなく自分に関係している。 自分は逃げるように記憶を無くしてしまった。そのうえ鈍感にもほどがあるほど全く気が付けなくって。 「ごめんな」 気づけばそう溢していた。 すると久々知が変なことを言う。 「さようなら」 それはお別れのあいさつだ。どうしていま言うのだろう。 竹谷は不思議がって、抱えていた申し訳ない気持ちもほったらかしにして聞き返してしまう。 「なんで、さようなら?」 「おかしい?」 「久々知はもう部屋に戻るのか?」 「そうじゃない。だから“さようなら”だって」 「うん?」 まるでなぞなぞみたいだ。 あまり頭の柔らかくない竹谷が云々と唸る。それをみて久々知は、ヒントのようにもう一度それを繰り返す。 「それでよければ、ってこと」 「え?」 「“さようなら”は“左様なら”からきてるんだって。お爺さんが言ってた」 「そうなんだ!」 「うん。だから“さようなら”は“それでいいよ”って……こと」 「初めて知った! ありがとうな久々知」 「―――お、おれも兵助でいいよ」 「ああ! へーすけ!」 下の名前で呼びながら竹谷は納得する。だから注射を打つときに尾浜は言ったのだろう「さようなら」と。 てっきりあれはお別れのあいさつかと思っていたが、今の時代を知っている彼にとってその語源は容易く覚えているはず。ならあれは『往ってもいいのであれば』と言っていたのだろう。 竹谷は頷くしかない。 だってこの出会いがいずれ久々知の恋に繋がると分かっていても、もう竹谷に逃げるつもりはないからだ。 元々投げ出すことは性に合わない。諦めるなんてもってのほかだ。 ―――もしかすれば久々知はもう、五年生になっても竹谷のことを好きにならないかもしれない。目を覚まして現代に戻ったとき、この世界で起きたことがどう影響するかまでは笹山たちに聞けていないのだ。 仮の話だが……影響し合ってしまい、久々知に友だちのままでよいと思われるかもしれない。むしろ下手をすれば関わりたくないとさえ思われてしまうかもしれない。 しかし、それがどうしたというのだろうか? 竹谷は心の中でその不安を小さく笑った。 冗談言ってるんじゃないぞと。 久々知は一度たりとも、竹谷以外を好きにならなかった。 その思いだけで十分竹谷は幸せだった。だからこそ、この久々知に戻ってきてほしいと願っているのだ。 「さようなら兵助」 「うん、さようならはっちゃん」 雪のように白い肌に紅葉を咲かせて笑う子をみて、竹谷も同じように笑顔を浮かべる。 どうかこの子がこれ以上 苦しみませんようにと祈りながら。 奇妙な返事をしながら二人は小さな掌を向かい合わせて、重ね合わせて、笑顔を交わす。 竹谷の自動販売機が音をたてたのは、それから二つ季節が廻ったあとのことだった。 髪が室町と同じだけ伸びた竹谷にむかって、久々知がちゃんと自分の口で“好きだ”と告げられたのは、それからすぐの件である。 おしまい

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